第12話・初体験と思い出

 今までに経験した事が無い衆人環視しゅうじんかんしの中、俺は用意された席に座ってシエラちゃんと一緒にイルカショーが始まるのを待っていた。


「先生、イルカショーはまだ始まらないの?」

「えっ? ああ、もうすぐ始まると思うよ」

「そっか、楽しみ」


 シエラちゃんは初めての水族館でテンションが上がってきているらしく、周りの事など一切気にしていない様子でイルカの泳いでいるプールを見つめている。

 俺はと言えば周りに居るお客さん達の視線が気になり、落ち着いてショーを見れる様な心境ではなかった。しかし時間は無情にも過ぎ去るもので、そんな俺の心境などお構い無しにイルカショーは始まってしまった。


「皆様こんにちはー! 今日は海世界のイルカショーにお越しいただき、まことにありがとうございます! 約三十分ほどのショーになりますが、最後までお付き合い下さーい!」


 ショーのステージに現れたお姉さんがインカムを通して元気にそう言うと、観客席からは沢山の拍手が沸き起こった。


「先生、入学式とか自己紹介の時も不思議に思ってたけど、何でみんな手を叩いてるの?」

「ん? あれはまあ何て言うか、友好とか感謝とか共感とか、そんな気持ちを表す為にやるらしいって、だいぶ前に本で見た事があるよ」

「へえー、そうなんだ」


 そう答えるとシエラちゃんは大勢の観客の真似をして拍手を始めた。

 シエラちゃんはジャンルによって知っている知識や常識にかなり差が出るけど、こうして新しいものを知る度にそれを実践しようとする心意気は素晴らしいと思う。


「ありがとうございます! それでは皆様お待ちかねのショーの主役をご紹介します! まずはいつも活発なやんちゃボーイ! ジョー君です!」


 進行役のお姉さんはそう言うと、首に掛けている笛を手に持ってピーっと長く吹いた。するとプールの中から一匹のイルカが高くジャンプをし、その姿を衆目へと見せた。


「先生、あれがイルカ?」

「そうだよ」

「どうやって水中からあんなに高く飛んでるの?」

「さすがにそこまでは分からないから、あとで係りの人に聞いてみよっか」

「うん」

「はーい! ジョー君は今日も絶好調みたいですね! 続いてはこのイルカショーのヒロイン! シルフィーちゃんのご紹介です!」


 進行役のお姉さんは先ほどよりも強く短く笛を吹き鳴らした。すると笛の音のあと、すぐに先ほどのイルカとは少し違う色をしたイルカが水中から高く飛び上がった。


「わあー!」


 高く飛び上がったイルカが大きな水しぶきをあげて水中へ潜ると、シエラちゃんは普段ではあまり見ない楽しそうな様子で手を叩きながらイルカを見ていた。

 そしてそこからはジョー君とシルフィーちゃんの素晴らしいパフォーマンスにより会場内は更なる盛り上がりを見せ、あっという間に三十分ほどの時間が過ぎ去った。


「それではこれで、本日最初のイルカショーは終了となります! お越しいただいた皆様! 最後までショーをご覧いただき、本当にありがとうございます! 次にご来館される機会がありました際には、是非またジョー君とシルフィーちゃんに会いに来て下さいねー!」


 進行役のお姉さんがそう言って頭を下げると、それを見計らった様にしてジョー君とシルフィーちゃんが水中から勢い良くジャンプし、空中で交差した。するとそれを見たお客さん達は今日一番の大きな拍手を二匹に送り、会場をあとにし始めた。


「シエラちゃん、楽しかった?」

「うん!」

「そっか、それなら良かったよ。それじゃあ俺達も次の場所に行こっか」

「あっ、お二人にはこのあと、ジョー君とシルフィーちゃんへの餌やりと触れ合いを体験できますが、どうされますか?」

「えっ!? そんな事までさせてもらえるんですか?」

「はい、特別優待チケットでご入場のお客様だけが体験できる内容となっています」

「そうだったんですね。シエラちゃん、どうする?」

「やる!」


 シエラちゃんは本当に興味津々な様子で元気良くそう答えた。

 こうして俺達はジョー君とシルフィーちゃんへの餌やりと触れ合いという、普段では絶対に体験できない事をさせてもらい、大満足な気持ちでイルカショーの会場をあとにした。

 そしてイルカショーの会場を出た俺達は館内にあるレストランでちょっと遅めの昼食を摂り、再び館内を巡り始めた。


「――ご来館のお客様、本日は海世界へお越しいただき、誠にありがとうございます。ただいま閉館の三十分前となりましたので、閉館時間となります十八時までにご退館いただきますよう、お願い申し上げます」

「あっ、もうそんな時間なんだ。シエラちゃん、そろそろ帰る準備をしないと」

「えっ? でもまだ見てない場所が沢山あるよ?」

「残念だけど、残りの場所を三十分で見て回るのは無理かな」

「そうなんだ……」


 そう答えるとシエラちゃんは、明らかにしょんぼりとした表情を見せた。

 予定では一日で十分に館内を見て回れるはずだったんだけど、シエラちゃんが各コーナーで予想外に興味を示した事で時間を使い、結果的に予定の半分ほどしか回れなかった。

 だけどそれでも、俺は楽しかった。シエラちゃんのする質問に答えたり、分からない時は係員さんに聞いて一緒に感心したりと、かなり充実した時間を過ごせたからだ。

 そしてシエラちゃんのしょんぼりとした様子を見る限り、シエラちゃんも水族館を楽しんでくれていたんだろうとは思える。だからこそ、そんなシエラちゃんを見てちょっと可哀そうになってしまっていた。


「……ねえ、シエラちゃん、残り時間で全部を見て回るのは無理だけど、ちょっと俺に付き合ってくれないかな?」

「行きたい場所があるの?」

「うん、どうかな?」

「分かった、先生の行きたい場所に行く」

「ありがとう、それじゃあ行こっか」

「うん」


 了承を得た俺は、シエラちゃんを連れてお土産物屋さんへと向かった。


「わあー、今日見たお魚がいっぱい」


 一緒に来たお土産物屋さんの店内には、大小様々な大きさの可愛らしい海の動物達のぬいぐるみが並び、沢山のお客さん達で賑わいを見せていた。

 そしてそんな店内をしばらく見回っていると、シエラちゃんは店内の一角で立ち止まり、とある一点をじっと見つめ始めた。


 ――あのぬいぐるみが欲しいのかな?


 シエラちゃんの見つめている先には、大きなイルカのぬいぐるみがあった。イルカショーを見たあともしきりにイルカの話をしていたから、よっぽどイルカの事が気に入ったんだろう。


「シエラちゃん、あのぬいぐるみが気になるの?」

「うん、イルカショーで見たジョー君と似てたから」

「買ってあげよっか?」

「いいの?」

「いいよ、せっかく初めて一緒に遊びに来たんだから」

「……やっぱりいい」

「えっ? どうして?」

「あんなに大きいの、先生に迷惑かけるから」

「別にそんな事はないよ?」

「でもいい、その代わりにこれが欲しい」


 そう言うとシエラちゃんは大きなイルカのぬいぐるみがある棚のすぐ下、そこにある小さなイルカのぬいぐるみを手に取った。


「本当にこれでいいの?」

「うん、こっちはシルフィーちゃんに似てて好き」

「そっか、それならそれにしよう。買って来るから待ってて」

「分かった」


 俺はシエラちゃんからぬいぐるみを受け取り、店内に二つあるレジの一つへとぬいぐるみを持って行った。


「いらっしゃいませ!」

「すいません、これ、お願いします」

「はい、ありがとうございます」

「それと、あそこにある大きなイルカのぬいぐるみを一つ配送してほしいんですが」

「かしこまりました、それではこちらに住所などのご記入をお願いします」


 なんだかんだであの大きなぬいぐるみが欲しかったのは間違いないだろうから、俺はシエラちゃんに内緒であの大きなイルカのぬいぐるみを購入する事にした。


「記入はこれでいいですか?」

「はい、ありがとうございます。では送料込みで、三万八千円になります」

「はい」

「ありがとうございます、三万八千円ちょうどを頂戴します。では三日後にお届けとなりますが、時間帯の指定はございますか?」

「できれば二十時頃にお願いしたいんですが、大丈夫ですかね?」

「かしこまりました、では三日後の二十時でお受け致します。それと、こちらがお客様の控えになります」

「ありがとう」

「いえ、ご利用、ありがとうございました」

「シエラちゃん、お待たせ。はい、これ」

「ありがとう、先生。それとこれは私から」

「えっ? 俺に?」

「うん」

「開けてもいいかな?」

「いいよ」


 小さな紙袋を開けると、そこには小さなイルカのキーホルダーが入っていた。


「可愛いキーホルダーだね」

「うん、私と一緒」


 そう言うとシエラちゃんはもう一つの小さな紙袋をビニール袋から取り出し、その中身を出して見せた。


 ――お揃いのキーホルダーって、なんだか照れるな。


「ありがとね、シエラちゃん」

「うん、先生、また一緒にここへ来ようよ」

「そうだね、まだ見てない場所もあったからね、また一緒に来よう」

「うん!」


 こうして俺はシエラちゃんと一緒にまたここへ訪れる約束を交わし、初めての水族館デートを終えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る