第11話
「もっとゆっくり歩いたらどうだ? 危ないぞ」
「トーヤの言う通りですわ。ファシーユ様。転びますわよ」
トーヤとセラティア様が、走っている私を止めようと声をかける。
王宮の南に位置する薬草園で、私は籠を両手に抱えて走り回っていた。
「もう大丈夫よ。二人共、心配しすぎよ。師匠も大丈夫だって言っていたじゃない」
このやりとりは、もう五十回は軽く超えていると思う。
それほどまでに、自由に走り回っている私が気になるらしい。
「そうは言っても、半年前までは杖を使っていたのに。あの薬草は凄い。大量に採れないのが残念だ」
トーヤがその奇跡の薬草に近づく。
師匠が南国の国まで出向き採取して来た薬草は、この国の気候には合わないようで、栽培は上手くいかなかった。
目の前にあるのは、今にも枯れそうな緑の小さな葉っぱ一つだけ。
半年前は苗が七つあったのに、一つを残し無残にも枯れてしまった。
ルーファス様達がアリーシェに帰ってから半年が経った。
トーヤが教えてくれた情報によると、疫病は収束に向かっていると言う。竜国から持ち帰った薬が効いたらしい。
そして師匠が約束を守るために、大陸の最南端の国まで、奇跡の薬草を取りに行ってくれた。
治癒が盛んなその国まで、普通の人間だと二カ月はかかる道のり。
それを竜族の力を使い、一日で辿りつく怖さに言葉を失ったのは言うまでもない。
しかも、その国の王妃殿下に治癒や薬の調合を習って来たらしく、三カ月後に帰って来た師匠の手には、私の怪我を治す丸薬が握られていた。
そのまずい丸薬を呑み続けること一カ月。
上手く歩けなかった重い足は軽くなり、杖がいらなくなった。そして、徐々にならし、今は走り回れるほどに回復した。
それと額にあった傷や、身体にあった傷も薄くなり全く目立たない。
昔みたいに自由に動ける奇跡に感謝した。
「あ、忘れてた。ファシー、午後から客が来るぞ。……少しは身なりを整えろ」
「なんで?」
畑にしゃがみこみ土をいじっている私のスカートの裾は泥だらけだ。こうなることを予想して、汚れても良い服を着ていた。
なのに、トーヤが着替えろと言う。
ちなみに二人は畑にあるガゼボで優雅にお茶を飲んいる。
働いているのは私だけ。
なぜなら、私がこの畑の管理を師匠から任されたからだ。さすがに広大な薬草園を一人で管理することは難しく、師匠のお弟子さん達も手伝ってくれている。
トーヤは口だけ出す責任者の立場だ。
「私もその方が良いと思いますわ」
セラティア様までもがトーヤと同じことを言う。
仲良くお茶を飲んでいる姿は、陽だまりのように眩しい。その温かい空気に触れると、思い出すのはルーファス様の顔。
この半年間、便りは全くない。
それを望んで突き放したのに、まだ胸の奥がチクリと痛む。この病はまだ治りそうになかった。
残念な自分に呆れてしまう。
「このままでも大丈夫です。それに、私へのお客様が来る訳ないわ。だってお友達はいないもの」
街に下りれば、竜国で仲良くなった友人はいるが、王宮にわざわざ私を訪ねて来る人物などいない。
心当たりが全くなかった。
「うーん。ファシーがそう言うなら良いけど。着替えた方が良いと思うけど。お、……思ったよりも早く着いたようだ」
穏やかな表情だったトーヤの顔つきが変わった。
それは王族として誰かに接する時のもの。
トーヤがセラティア様の手をとる。
二人で立ち上がると、私の元へとやって来た。
竜族は人間より視覚や聴覚、嗅覚が優れている。トーヤは人間にわからない何かに気づいたらしい。
一体誰が来たのかと、興味津々に私も立ち上がった。
そこで気づく。
二人が言うように、思っていたよりも土まみれだと。
服の至る所に泥が飛び跳ね、手で払っても取れない。しかも顔を拭うと、顔にも土がついている酷い状態だ。
「トーヤ、セラティア様。やっぱり顔だけでも洗って来ます」
「いや、もう良いから。あっちも早く来たよな」
「そうですわね。よほど会いたかったのでしょうね。ファシーユ様に」
また二人が私にわからない会話を続ける。
それを聞いて私は口を尖らした。
「一体誰です? その私に会いたい……人って」
すると、トーヤが一方向へ視線を向けた。私に見るようにと指で示す。
時間が止まった気がした。
この場にいる全ての視線が彼に注がれる。
「えっ……なんで?」
木々の間から姿を現したのは、絶対に忘れない彼だった。
神秘的な白銀の髪に、私を真っすぐに見つめてくる緑の瞳は嬉しそうに見える。
半年前は厳しい顔つきだったのに、今はとても穏やかだ。
どうして彼がここにいるのだろう?
国交絡みだと思うが、なぜ騎士服ではなく普段着なのか意味不明だ。
「早かったな。もう少し時間がかかると思っていたが。……二人でゆっくり話せ。ファシー……自分の気持ちに素直にな」
まだ茫然とルーファス様を見ている私に、トーヤがセラティア様を連れて去って行く。どうやら彼が来るのを知らなかったのは、私だけだったらしい。
さっきまで薬草園にいた師匠の弟子達も、いつの間にかいなくなっていた。
「……どうしてここに?」
私が話しかけると、ルーファス様は嬉しそうに笑った。
「ファシーユに会いに。そして、告白するためにここに来た」
「えっ……。告白?」
何を言っているのか理解が追いつかない。
私の気持ちなら、半年前にきっぱりと伝えたはずだ。一緒にはなれないと。
「もう一度、最初からやり直したい。初めて出会った頃のように。信じられないかも知れないが君だけを愛すると誓う。一緒に過ごして決めてくれないか? それでも無理なら諦める」
誰かに強要されているとか、嘘とかでもない。ルーファス様の必死な懇願にぐらついた。
「一緒に……。で、でも私はアリーシェへ帰りません。竜国でこのまま生きていきます」
この気持ちは変わらない。
この国は、私にとって居心地が良いから。ずっとここに居ようと覚悟を決めていた。
「わかっている。だから、俺がここに住む」
「えっ?」
ルーファス様のとんでもない発言に、私の顔から血の気が引いた。
彼は次期侯爵様だ。しかも一人息子。
そんな彼が竜国に住める訳がない。
するとファシーユの言いたいことがわかったのか、ルーファスが話し出す。
「家督は父の弟が継ぐことになった。家族や陛下にも了承頂いている。この国では宰相補佐の地位をいただいた。竜人は強いが、考えるのが少し苦手らしい。ちなみに俺は、策略は得意分野だ。勿論、第三皇子の口利きで」
開いた口が塞がらないとはこのことだろう。
しかもまたトーヤが絡んでいる。
いつの間にかルーファス様は家族と国王陛下まで説得したらしい。その行動力に脱帽した。
「葛藤はなかったのですか? 生まれてから死ぬまで骨を埋める予定の場所だったのですよ? なにも、違う国へ来なくても……恵まれた環境だったではありませんか?」
ルーファス様が努力していたのは私が一番良く知っていた。
文官になるために。そして、騎士になるためには、血の滲むような努力が必要だったから。それを全部捨てることになるのだ。
「でも、そこに君はいない。俺は、ファシーの側にいたい。これからもずっと」
彼の瞳に迷いはなかった。
半年考え、周囲を説得したのだろう。……私のために。
「そこまでしなくても。……そこまでしていただくほど、私は素晴らしい人間ではありません。妬むしすぐ泣くし嘘もつくから……。あなたに飽きられてしまいます」
彼が思っている私の姿は、猫をずっと被って演じていた、大人しい深窓の令嬢だろう。彼好みに作り上げた虚像だ。
「俺も同じだ。婚約した時、君と何を話せば良いのかわからなくて無口な男になった。でも、黙っているだけじゃ伝わらない。だから、これからはなるべく言葉で伝える。だから……一緒に過ごそう。出来ればずっと」
思わず泣いてしまった。
彼の言葉が嬉しかったから。
半年前についた嘘は心の傷となっていた。それが解け始める。
この手を……もう一度取ってみたいと心が訴えた。
「私、本当は木に登るし走り回るのが好きです。それに馬にも乗りたいし旅にも出たい。私はこの先、我儘に生きると決めています。それでも大丈夫ですか?」
最終確認をするために言葉を並べる。
「勿論。木に登るのも付き合うし、馬は得意だ。練習に付き合うよ。君が一緒にいてくれたら、どんな旅も色鮮やかになりそうだ」
あんなにも無口で、何を考えているのかわからなかったルーファス様が、饒舌に話し出した。それも、私が欲しい言葉をいくつもくれる。
「この先、辛いことも多いですよ。竜国では私達、人間は肩身が狭いです。お仕事も竜人に囲まれながらは大変だと思います」
「覚悟してるよ。簡単に出来る仕事はこの世にはない。ファシーがいれば頑張れる。他には何かある?」
私の不安を次々と潰していくルーファス様は誠実だった。
だから、私も言葉に出して伝える。
「私で良かったら……一緒にいてください。出来れば年をとって死ぬまでずっと。だけど、しばらくはお試し期間です。ダメだと思ったらアリーシェへ帰って下さい」
もしかしたら上手くいかないかも知れない。
そう思った私は予防線を張る。
「いつまで?」
「えっと……半年ほど」
「うん。それなら耐えられるかな。でも、一緒に暮らすのは決まっているから。家も第三皇子から貰っているしね」
「えっ?」
またしてもトーヤが手を回していたらしい。
からかうようなルーファス様の言い方に笑みが零れた。すると、私の側まで来ると、一瞬迷いながらも引き寄せられた。
初めて抱かれた彼の腕の中で戸惑いながらも、その温もりに心から感謝した。
またこの手を取り、二人で歩める奇跡に。
「愛してるよ、ファシーユ。あ、それと第三皇子には気を付けて。俺達の子供を狙っているから」
「えっ……子供って」
結婚もまだなのに、いきなりの子供の話に顔に熱が集まった。
「俺達の子供が、皇子の番の生まれ変わりらしい」
その言葉に茫然とした。
トーヤが私を助けたのは、亡くなった番から未来を教えられていたからだろう。また生まれ変わると。
だから私を竜国に呼んだ。
自分と番のために。
慈悲などないと恐れられた竜族であるトーヤが、人間の私に優しかった理由が今、とけた。そして、これかの未来を予想して頭が痛くなりそうだ。
「……あとからトーヤを問い詰めないと」
「ああ。俺も手伝うよ。少しは反撃しとかないと」
「ええ、頑張りましょう。宰相補佐様」
そう言うと、ルーファス様が私の手を取って歩き出した。
また、この手に触れることが出来た喜びを噛みしめながら未来を目指す。
未来が見える令嬢は、恋を諦めました。 在原小与 @sayo
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