第十話 人柱

 その年の冬、藤原惺窩はかつて茶の席を持った江戸の屋敷に徳川家康を訪ねた。

家康は小雪舞う庭にひとりたたずみ血で染められたような赤い椿の花を見つめていた。


「てめぇは赤松広秀をこの国の人柱にしたな?」


家康の背中は何も応えない。


「あの馬鹿げた時代の中で広秀のいうんは最後の最後であの乱痴気騒ぎに幕を引くことやったわけや」


関ヶ原の後、家康に恭順の意を示した武将達の中で切腹を命じられたのは赤松広秀ただ一人であった。一説にこれは関ヶ原の戦後処理を長期化させず豊臣恩顧の武将達を統率し、西欧列強や禍根を残した大陸から日本を護る為の高度な政治的判断だったとも言われている。そして播磨の名門 赤松の血を断つ沙汰は関ヶ原の残り火 くすぶる天下へ徳川の覚悟を知らしめるに十分であった。


慶長5年10月28日 赤松広秀 切腹

程なく徳川家康は江戸幕府を開幕すると日本国は二百六十年に渡る泰平の世を迎える。


「この太刀はてめぇにくれたる」

惺窩は家康の胸元に獅子王を押しやると白い粉雪が黒漆の鞘に舞い落ちた。

「心せえよ、獅子王は器がせもうなった魂の宿る鋼や。その口の語る国作りが偽りやった時は鵺がてめぇを噛み殺すからの」


赤松広秀もまた切腹の沙汰に何一つ反論することなくただひとつ臣民臣下の助命だけを嘆願したという。但し罪人としての沙汰であったが故に辞世の句は認められず、その名は後世までおとしめられていく。


赤い椿の花がひとつ首のように落ちた。


「……どうかゆるされよ」

小雪舞う庭でひとり獅子王の太刀を手にする徳川家康の頬に一筋の涙が流れた。



 関ヶ原の直前、赤松広秀は混乱に乗じ姜沆カンハンの朝鮮帰国を手引きしていた。

祖国李氏朝鮮に戻った姜沆は日本の情勢を報告すると国王より仕官の招きを受けたが自らを罪人と断じこれを辞退した。そして故郷に隠居し後継の指導に努める静かな生活の中、姜沆はその著書「看羊録かんようろく」で藤原惺窩の言を借りて次のように書き遺している。


日本の将官は全てこれ盗賊であったが

ただ赤松広秀のみが人らしい心を持っていた


( 了 )

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