第七話 火龍

 天下人 豊臣秀吉は今わの際に至るまで織田信長の描いた覇道をなぞらえこの世を去った。覇道久しからず。跡目を継ぐ若干七歳の秀頼が国を治められるはずもなく、秀吉の遺した火種は時代の凶風に煽られ天を突く火柱を産み日本を東西に分断した。


「広秀!お前はこの茶番に関わるんやない!」

着流しの襟を乱し声を荒げる惺窩の進言に広秀は耳を貸さない。

「惺窩さん暫しの間この獅子王を預かっていただけませんか?」

「お前はいつも大事な話をはぐらかす!」

「家康さんのお話は大変楽しいものでした。しかし護るべきものがあります故、どうかお引き取りを」

流浪に身を置く惺窩は続ける言葉を失い、それが広秀と惺窩の今生の別れとなった。


 義に生きた赤松広秀は盟友 石田三成率いる豊臣方の西軍に就き、大義に生きた徳川家康は東軍を率いた。

広秀は西軍の軍計から細川幽斎が立て籠る丹後田辺城(京都府舞鶴市)を包囲する軍に名を連ねこれを開城させた。しかしその二日後に関ヶ原で火蓋の切られた本戦では西軍の小早川秀秋が東軍に寝返り戦局を歪めると、蜷局とぐろ巻く火柱は瞬く間に火龍と化し西軍の喉笛を喰い千切った。

このとき確かに徳川家康は時代に選ばれたが、この一局 家康布石の一手は石田三成が着座する遥か昔に盤面の外から打たれていた。


 関ヶ原以後も反徳川の残り火が諸国にくすぶっていたが、捕縛された石田三成は京の六条河原で斬首され赤松広秀は竹田城で静かに自らの沙汰を待っていた。


その竹田城に豊臣家と袂を分かち関ヶ原では徳川にくみした旧知の武将 亀井茲矩かめい これのりが鳥取城攻めの援軍を乞うてきた。亀井はかつて秀吉の軍下で共に馬を並べたことから赤松広秀を良く知り、仁も義もなくただ戦後処理の功労に焦り広秀を鳥取城下に引きり出した。


堅牢な鳥取城の籠城に万策尽きた亀井茲矩は広秀の到着を見計らうと城下に火を放ち狂気の焔で地獄絵図をえがいた。そして後に徳川家康の訊問を受けた亀井は讒言ざんげんを用いて赤松広秀ひとりにその罪を背負わせる。


しかし広秀には亀井が己を利用するであろうことが。亀井茲矩が赤松広秀を知るように、赤松広秀もまた亀井茲矩を知っていた。亀井の使者が竹田城に駆け付けたとき広秀は時代に課された己のを悟り、鳥取の町が狂火に焼かれるその様を己がとがとして目に焼き付けていた。


そして赤松広秀に徳川家康から切腹の沙汰が下される。

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