第六話 徳川家康

 藤原惺窩はその言に従い仏道を降りると政争の具に形を歪める明や朝鮮の儒教を紐解き、学問として日本の儒学を確立してゆく。


 豊臣秀吉の朝鮮出兵において捕虜となった儒学者 姜沆カンハンは京で軟禁生活にあったが、志を同じくする五つ年上の惺窩には心を開いていた。寡黙な捕虜に礼を尽くし儒学の教えを請う惺窩に姜沆は礼を以て応え、筆談による珠玉の対話は幾千を越えた。そして赤松広秀は秘かに但馬から資金を届け二人の研鑽を影より支えていた。

歳の近い三人の青年は各々の運命に翻弄されながらも学問に捧げる一時に暫し儚い夢を見て、論語を含む四書五経の和訳という日本人を礼節に導く仕事を成し遂げていく。

孔子に始まる礼節の教えは遥か時と海を越え、日出ひいづる国で名もなき若者達に正しく光を当てられようとしていた。


 そしてこの日、豊臣五大老の一人 徳川家康が惺窩を江戸の屋敷に招き教えを請うていた。着流しを纏う惺窩は美しく伸びた黒髪を後ろに束ね座を正している。

二人は簡素だが明るい茶室で膝を交え、障子の外では春に向かう陽光が椿に積もる雪を溶かしていた。


「惺窩殿に問う。国を治めるとは如何に?」

「それは家をやすらかしめるに相似るなり」

「……国を一つの家族と見立てれば子や孫たる民の暮らしを護りそれを以って国の安寧と繁栄を図るべしとのことですな? 然らば国を治める者の道とは如何に?」

「孟子に曰くを以て仁を仮る者はたり。これすなわち覇道。を以て仁を行う者はたり。これ即ち王道なり」

徳川家康の名を持つ求道の徒に贈る惺窩なりの手向けであった。家康は目を閉じ聞き入っている。

「成る程… 即ち精神の高みを目指し、 即ち労りの政を行う者こそ誠の王と。しかし其は重き荷を背負うあてどない旅の如き道でございますな」

「更に曰く、王の王たらざるは為さざるなりと」

「ほっ! これは耳の痛い話でございます」

家康の温和な笑い声が凛とした茶室に響いた。この時、家康は五十に手が届く頃、自らの子ほどに歳の離れた惺窩に対し家康も礼を尽くし真摯に問答を楽しんでいた。


惺窩は徳川家康に赤松広秀を重ねていた。しかしその瞳の奥に宿る覚悟にも似た冷たい炎を見逃しはしない。 


「あんたと同じことを考える馬鹿が但馬にいるぜ」

「……竹田城の赤松広秀殿、お噂は予々かねがね


家康は自ら点てた茶を惺窩に差し出した。

「その血筋に恥じない実に楽しみな若者でございますな。いつか天がを与えた暁には共に仁のまつりごとを語らいたいものです」


家康の明るい笑い声が再び茶室に響くと、瞳を閉じ温かい一服を手にする惺窩の横顔にも笑みがこぼれた。

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