第五話 竹田城

 草臥くたびれた僧衣をまとう藤原惺窩が但馬たじまの竹田城を訪れたのは三木城の陥落からおよそ七年後、田畑が黄金色こがねいろに染まる晩夏の頃だった。時代は豊臣秀吉と名を改めた天下人の無益な朝鮮出兵により未だ混迷の頃にあったが、竹田城下の豊かな国作りは京にも聞こえていた。


 神話の時代、多々良木たたらぎの地名に名残りを見せるように渡来神 天日槍あめのひぼこが但馬の地に製鉄技術をもたらしたと伝えられている。そして室町初期の刀匠 法城寺国光を始祖とする竹田の法城寺一門は薙刀なぎなた作りの上手と謳われ数多の業物を生み出すなど元来但馬の物作りにおける誇りは高い。それを見抜く赤松広秀の慧眼は年貢を引き下げ民に漆器や養蚕など物作りを奨励することで竹田の国力を蓄えていた。

また収穫期に決まって氾濫する円山川の治水工事を自ら民と城兵を率いて敢行し、但馬の大地に豊饒な恵みを約束させている。

その国作りはかつて広秀と惺窩が播磨で語り合った夢と知恵を礎にしていることは明白であった。


「惺窩様、ご覧ください!稲穂があんなにこうべを垂れてございます!」

惺窩の身の周りの世話をする童女の楓がはしゃいでいる。


道端の農夫に広秀の居館を尋ねると手を止め「赤松あかまっさんのお屋敷でしたらこの川に沿って行かれると直に見えて参りますよ」と随分親し気な答えが返ってくる。どうやら竹田城下の国力の源泉は人作りにあるらしい。


竹田城は竹田山の頂に築かれた堅牢な山城で野面のづら積みの石垣を礎に美しい天守が翼を広げている。片や広秀の簡素な居館は竹田山の麓にひっそりと佇んでいた。聞けばこの館に広秀は豊臣秀吉の薦めで娶った五大老 宇喜多秀家の美しい妹と暮らしているという。


久方ぶりに見る広秀は女子おなごの如き容姿こそ変わらなかったが、その瞳に宿る深み増す影を惺窩は見逃さない。ただ不思議と話は弾み惺窩は広秀の国作りを讃え、広秀は惺窩の高名を讃えた。


「随分 はげんどるみたいやな?」

惺窩は自身を納得させるように聞いた。

「えっ? 私は惺窩さんみたいに禿げてませんよ」

「誰が禿げや! お前いま全僧侶を敵に回したど! 仏敵か!?第六天魔王なんか!?」

笑う広秀を見て惺窩は内心胸を撫で下ろしていた。


「それにな、もうじきこの坊主頭ともおさらばや。わいは仏道を降りる」

「……儒学ですね」

「そうや、仏門は死後を開く門。わいは気が短いからな。今を生きる民を救うんは儒学やと考えとる。お前が言う民草と歌を詠む国作りをわいが儒学で支えたる」

楓が驚いた顔つきで惺窩を見ている。寝耳に水だったらしい。

後に文禄 慶長の役と語られる豊臣秀吉 二度の朝鮮出兵は混沌を極め、その戦下に捕縛された朝鮮の若き儒学者 姜沆カンハンは京の伏見に軟禁されていた。惺窩がこの姜沆を訪ねているという噂は但馬にも聞こえていた。


別所長治べっしょながはるさんは…」

惺窩は息をのんだ。

「長治さんは臣民の命と引き換えに自ら肚を切られたそうです」

自惚うぬぼれとるんか?あの三木城攻めの大局はとうに決まっとった。お前が長治を殺したわけやない」

「しかしあの時、私は私の感情を抑えきれませんでした。意趣返しで我を忘れた武将が民と歌を詠む国作りなど片腹痛いですね」

「それでもお前はこの城下を潤わせとる。お前はまだお前の夢を諦めてへん!」

広秀は何も応えない。ただ虚しい時間が流れた。


惺窩は静かに座を立つと広秀に背を向けた。


「広秀、わいは京で秀吉にうた。あれはもう猿やない、信長に取り憑かれた蛇や。決して気を許すなよ」

そう言い残すと惺窩は狼狽うろたえる楓を連れ冷めた座を後にした。館には夏の終わりを告げるひぐらしの声が降り注いでいる。


黄金色こがねいろの田園を貫く帰り道、後ろ髪をひかれた楓が山上にそびえる竹田城を仰ぎ見て呟いた。

「惺窩様、何やら獣が鳴いておりまする」


「……嗚呼、鵺が哭いてやがる」

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