最終章 - 虚像のカゲ

「高橋昌磨、先生だ」


先生……? 不信感を抱きながらも微かに見覚えのあるバイク男はヘルメットに両手をかけた。シールドの奥にある顔は太陽の反射で見えない。ゆっくりとヘルメットを持ち上げ、遂に顔が露わとなった。


「た……、高橋……先生……」


――XXせX、XXたXXXちなXX。


文のパーツがどんどん気持ち悪いスピードで開示されていく。高橋先生の顔は笑みを浮かべていた。


――XXせん、XんたXむXちなXよ。


まさか。嘘だ。こんなのありえない。

過去、事故が起こった時の記憶が鮮明に蘇ってくる。違う。違う。違う違う違う違う違う。


――Xょせん、あんたXむXちなXよ。


あの時のセリフ。そのセリフを放った人物が淡々と絞られていく。これは夢だ。夢であってくれ。頼む頼むから。


――しょせん、あんたXむかちXのよ。


もう読めるようになってしまった。完全に分かりきってしまった。


――しょせん、あんたはむかちなのよ。

――所詮、あんたは無価値なのよ。


全てのピースが合わさって一つの文が完成した。その時、過去の記憶が全てフラッシュバックしてきた。


「――あんたって無能だよね〜脳みそ入ってんのかしら。親も面倒だし勉強も面倒だし。何か娯楽はないかな〜」

「うるさいな。お前生意気なんだよ」

「あぁ? なによ。なんか文句ある?」


金曜日の夕方。全ての授業が終わり、妹の一之瀬七海と廊下を歩いている時の会話だ。こいつは人前ではいい人気取りだが、誰も見なくなると裏の黒い部分が出る。いや、訂正する。裏ではなくこっちが一之瀬七海の姿だ。


「クラスメイトも馬鹿だし、ろくに話も出来ない」

「おい、言いすぎだろ」


クラスメイトを小馬鹿にする。自分は何でも出来るからと言って人間を下に見る。そんな奴を許せなかった。だから


「なぁ、ちょっと綺麗な空気を吸いに屋上に行こう。親がいないの忘れてて鍵持ってくるの忘れた」

「それって前半、鍵忘れたのを正当化しようとしたでしょ。ほんと馬鹿。あーあ、こんなのが私の兄とか恥ずかしいよ」


僕のイライラはギリギリまで溜まってきていた。僕? 違う。は僕なんて一人称を使わない。

屋上に着いた俺は傘をベンチの背もたれにかけて座った。朝、雨が降っていたため所々に水たまりが出来ている。空は赤色に変色していき、冷たい風が俺の前髪を揺らした。七海は腕を鉄格子に置き、軽蔑しきった目で俺に向かって言った。


「あんたってほんと役立たずよね。何も出来ない。


――所詮、あんたは無価値なのよ」


「へ? 今なんて言った?」


頭に血が上った俺は両手の拳に力が入り爪が皮膚にくい込む。息が震えて冷静さが失われていった。


「所詮、あ・ん・たは、無・価・値なのよ」


温度のない言葉で堪忍袋の緒が切れた。俺は殺意の目をして七海の横へ近づいた。やっとその様子に気づいたのか少し動揺しはじめた。だが俺は立ち止まらず歯を食いしばった。そして七海の頬に力強く平手打ちをした。


「……え?」


綺麗だった髪は乱れ、頬は真っ赤になっていた。腕を引っ張って地面へ投げ飛ばした。それのせいで膝を擦って血が滲み出ていた。馬乗りになってに作った拳を顔面に浴びせる。


「お前さえ! お前さえいなければ……!!」


利き手じゃないのは少しでも捜査を妨害するためだ。俺はこいつを絶対に……。頭の中はそれでいっぱいだった。気が狂った俺の耳には何の音も入ってこなかった。

俺は先に産まれてきた。ただそれだけだ。なのに妹は女だったからか知らないが親、親戚、祖父母などから愛情を注がれていた。テストでも俺が必死の努力でとった九八点よりも、俺より下の妹の方が褒められた。はっきり言って意味がわからなかった。依怙贔屓えこひいきにも程があると思った。こいつさえ、こいつさえいなければ俺は幸せな人生を歩んでいたはずだった。それがこんな表裏のある奴にねじ伏せられた。それが許せなかった。今までずっと憎んでいた。


「さっさと死んでくれよ!!」


泣き叫んだ俺は腕を思いっきり振り下ろした。顔面に当たる瞬間、正気を取り戻した俺は七海の顔面を見た。右目の周りが腫れて、鼻血がでていた。怖くなった俺は七海の体から離れた。薄い胸は一ミリも上下に動かず頬には何筋か通った涙の跡があった。制服に血飛沫が飛んでいて見るに堪えない惨い光景だった。日は沈み、うっすらみえた月の模様が俺を嘲笑っているように見える。塾があったことに気づき、急いで電話をかけた。


「すみません。今日、用事が、あって、塾、行けま、せん」


声が震えた。電話を切ったらスマホがスルッと手から滑り落ちて画面が粉砕した。拾うこともできずただ立ち尽くしていた。。その衝動に駆られて俺は逃げることを選択し、七海の体を担いで屋上から投げ捨てた。地面に体が接触する音が聴こえて吐き気を催した。急いで駐輪場へ向かいカゴにカバンを置く。スタンドを蹴りあげ学校から立ち漕ぎで離れていった。悲劇的な結果にはなったが俺の思惑通りだった。どんなに荒く扱ってもDNAは残らない。そう、というやつだ。指紋さえ気をつければ髪の毛が残ろうが俺のDNAは一之瀬七海と一致する。つまりここに俺はいなかったも同様というわけだ。田舎と言ってもおかしくはないから監視カメラも少ない。勝った。そう思っていた時だった。

横から猛スピードで走ってくるバイクを見た。減速せずに自転車の真横にぶつかって重力を忘れたかのように体が浮き、全ての世界がスローになった。バイクはバランスを崩し草むらに突っ込んだ。

そして俺の記憶は暗闇に消える。


「一之瀬涼太。お前がやった事を先生は全て見てた。付き添そうから自首しに行こう」


そうか。俺は七海、実の妹を殺したのか。それが今となってはかなり昔の事のように思える。


「ははっ、そうです。確かに俺は一之瀬七海を殺しました。無残な姿になるまで」

「殺したとかそんな言葉を使うな。さあ行こう」


先生は俺に出頭するように促している。だが、俺はもう


「本当に良いのですか? そうするなら俺は高橋先生を訴えますよ。罪も大きいでしょうね。なんせですから」

「なっ! なぜそれを――」

「だって、そのヘルメット。あの時と同じじゃないですか。バイクは新しく買い換えたんですよね? 思い出したんですよ。先生の考えが浅かったですね」

「だが、お前は人を残酷なやり方で殺めている。それに違いはない」

「少年法をご存知ないと。俺より先生の方が大変なことになりますよ。顔写真と名前を公表されます。学校の評判にも関わるでしょうね」

「お前は、本当に生意気な奴だな……」


先生は顔をしかめた。まさに、「涼太はあの時の記憶を失っているから私は何をしても大丈夫だと思っていた」というように。この先生は保護者の評判をかなり気にしているから、なかなか大胆な行動はできないはずだ。

ここで一手打ってみる。


「なら、条約を結びましょう」

「条約?」

「えぇ。お互いにこの事件を闇から闇に葬る。という。これならウィンウィンでしょう?」


悩んでいる。しかしそれも時間の問題だ。

この先生は必ず黒に染まる。


「悔しいが。そうしよう」


やっぱりこの学校の教師はクズばっかりだ。高橋先生は渋々とバイクへ乗り、最終的に俺を睨んで走っていった。


ホッと一息ついた俺は自室へ戻りベッドに寝転がった。LINEの通知が来てトークを開く。


蓮>>犯人マジで許せねえ


さっきの会話を聞いていたかのようなメッセージだ。タイミングがよくて笑ってしまう。既読をつけたからには返さないとうるさい。

てきとうに打ちスマホをソファーに投げた。

部屋のカーテンを開けガラスの窓を開ける。

爽やかで新鮮な風が部屋を包み込んだ。

深呼吸して空に浮かぶ雲を見つめる。

遠くからパトカーのサイレン音がけたたましく鳴り響き、無数クラクションの音が鳴ったのち電信棒に何かが衝突する音が聞こえた。

何が起こったか俺には分からないし興味もない。ただ呆然と空を眺めていた。



――これでもう、事件は幕を引いた。


誰も知らない未解決事件。


事件には何らかのカゲが潜んでいる。


だが、それが真実とは限らない。


目の前の人間が本当の姿とは限らない。


自分の前にいる人間は虚像かもしれない。


真実を知りたければ、全てを疑うしかない。



放り投げられたスマホの画面には一つの返信が書かれていた。味気のない淡々とした文章だった。


蓮>>犯人マジで許せねえ

涼太>>あぁ。犯人をいつかぶっ殺してやりたいな笑

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