剣聖

賢者テラ

短編

 はるか昔。

 それはそれは、気の遠くなるような昔。

 ある二つの国の間に、大きな戦争がありました。

 負けた国の王は、警護の剣士に守られ城外に脱出しましたが——

 ついに、腕利きの追っ手に見つかり王は死にました。

 最後まで王を守った剣士も、敵の凶刃に倒れました。

 剣士も、死んだかに見えたのですが……



「もし、旅のお方ですか?もし……」

 近くで牧畜を営む娘が、羊を連れ出している時でした。

 草むらの影に、人の背中のようなものが見えます。

 近寄ってみると、肩を剣でざっくり切りつけられた男が。

「まぁ。これはひどい」

 まだ、息はあるようです。

 さっそく娘は、男を荷車に乗せて、家へ連れ帰りました。



 娘は、男を酪農用の納屋にかくまい、傷口に薬草の汁をすり込みます。

 彼女には両親がいましたが、両親は畑仕事しかしません。

 家畜のことは娘にすべて任せてあるので、男に気付くことはないでしょう。

 話ができるくらいに回復した男は、娘にお礼を言いました。

「ありがとう。でもこれ以上あなたに迷惑がかかってはいけない——」

 そして、まだ痛むはずの体を動かして、出て行こうとするのです。



 男の名は、コルといいました。

「私はリズ。お願いです、完治するまではここにいてくださいな」

 リズの必死の願いに、コルは何とか思い直してくれました。

 コルは、自分の素性をリズに明かしました。

「あなたは王の警護の方でしたか!」

 逃げ惑う日々の中、今の情勢が分からなかったコルは尋ねました。

「今、この国はどうなっている?」

「はい。隣国の領土として吸収され、法律も税も変わるようです」

「そうか……」



 リズは、納屋のコルに食事を運んだり傷口に薬を塗ったり——

 それはそれは、かいがいしく世話をしました。

 やがて、二人の中に男と女としての愛が芽生えました。

 半年ほどしてコルは再び健康体に戻りました。

 でも、もう二人はすでに、離れ離れになるなど考えられなくなっていたのです。



「そう。君はなかなか筋がいい——」

 コルは、出来心でリズに剣術を教えました。

 驚いたことに、教えてみるとリズに剣の才があることが分かりました。

 剣筋を見る目も身体能力も、申し分ありません。

 守るべき国を失った分、コルはリズを一流の剣士に育てることに熱中したのです。

 それに応えて、リズもめきめきと剣の腕を上げました。



 さて、コルたちの国を占領した隣国の王は、悪王でありました。

 人が死ぬまで殺しあうのを眺めるのが、大好きでした。

 コロッセウム(大闘技場)で奴隷剣闘士同士を闘わせ——

 どちらが生き残るか、に大金を賭け合うのです。

 王は、無茶苦茶なお触れを出します。



 ……この国の民は弱っちいやつらばかりだ。

 ホネのあるやつは一人もいないのか?

 我が本国一の剣士・ガドを打ち負かすものはいないか。

 誰も挑戦せぬなら、この領土に重税を課してやる。

 そして、美しい娘を週に一人、私の慰み者として差し出してもらおう——



 ある日リズが納屋へ行ってみますと、コルの姿がありません。

 書置きに気付いたリズは、それを読んで青ざめました。



 ……私はガドに挑戦する。

 恐らく、負けるだろう。

 私も剣士の端くれ。敵の力量は分かる。

 ヤツは、私が知る限り最強の剣士だ。

 愛するリズ、分かってほしい。

 負けると分かっているが、私が挑まねば誰が挑むのか。それに挑戦者が出たことで、王も重税を課すことや娘をさらうことを、少しは待つだろう。

 もともと、死んでいるはずの身。

 少しでも、民のために役立って死にたいのだ。



 なりふりかまわず、リズは闘技場に走りました。

 息を切らせて、リズが闘技場へと駆けつけた時——

 すでに、コルの死体が運び出されようとしているところでした。

 リズは、目に焼け付けました。

 去ろうとする剣士、仇(かたき)であるガドの姿を。

 愛する者の命を奪った、怨讐の顔を。

 悪王は、その場で観衆に宣言しました。

「今回の挑戦者に免じて、二年待ってやろう」

 もし、二年して誰もガドに挑戦する者が現れなければ——

 その時は民に重税が課され、美しい娘は悪王の舌に汚されることになるのです。



 リズは泣きました。

 毎日毎日、来る日も来る日も、泣き暮らしました。

 食事も取らず、生きる気力も失いました。

 痩せこけた体を野に投げ出すと、輝く太陽が見えます。

 剣とは、何だろう?

 強さとは、何だろう?

 力が強ければ、正しいのか。

 だとすればガドが、そして悪王が正しいのか。

 正しくないのだとすれば、なぜ彼らに誰も勝てないのか——

 リズの顔が、剣士らしい表情になります。

 リズは剣を手にすると、親も家も家畜も置いて旅に出ました。

 愛する者の仇をとるために。

 恨みを晴らすために。



 リズは、少しでも剣の達人がいると聞けばすぐに出向きました。

 どんなに遠くても。

 そして、教えを請いました。

 彼女は、必死で剣を覚えました。

 血反吐が出るくらい、体をいじめ抜きました。

 幾つもの流派の剣術を、体に叩き込みました。

 両手剣から片手剣、そして短剣(ダガー)の使い方まで窮めました。

 しかし。

 何かが、足りない。

 これではまだ勝てない。

 私は、本当に強くなったんじゃない——



「ああ。そのじいさんなら、この村の向こうさね」

 東洋の遠い国から来たという、変わり者の老人がいるとの噂を聞きました。

 何でも、見たこともない不思議な剣を使うのだそうです。

 3時間ほども歩くと、その老人の家はありました。

「どなたじゃな」

 さっそく、その老人に用向きを伝えますと——

「帰りなされ」

 老人は、まったくリズを相手にしません。

「一目でわかった。あんたにはなんぼ教えてもムダじゃ」



 リズは、気になりました。

 私の何がいけないの?

 コルは、私は究めれば最強の剣士になれると言った。

 地面に頭をこすりつけて、再びリズは老人に教えを乞いました。

 いけないところがあるのなら、直します。

 どうか、私の欠点をお教えください——

 でも老人は、首を振ってこう言うだけでした。

 それを教えてやったところで、そんなもんは意味がない。

 あんたが自分の力で分からんとだめなんじゃ。



 リズは老人の家のそばに小屋を作り、住み着きました。

 老人はリズに冷たく、見向きもしません。

 毎日、リズは剣を教えてほしいとお願いしました。

 時に老人から目障りじゃ、と殴られ蹴られしました。

 それでも、彼女はあきらめませんでした。



 一ヶ月して、リズは老人から家に招き入れられました。

 最強の剣士・『剣聖』になりたいか、と聞かれました。

 迷わずリズは、はいと返事をします。

 彼女は、老人の弟子になりました。

 何でも文句を言わず、言われたとおりにすることを条件に……



 彼女は、小麦畑の仕事を任されました。

 そして、村はずれにある孤児院で働かされました。

 どちらも、剣術には直接関係がありません。

 でもリズは、腐らずに言われたとおりにしました。



 作物が、愛おしい。

 すくすく育てば、それを見て笑顔になる。

 害虫が出れば、自分のことはさて置き、一晩中でも駆除する。

 かわいそうな子どもたち。

 愛に飢え、やるせなさに心とは裏腹の悪さをしたりする。

 でも、私にはどの子も同じようにかわいい——



 一年が過ぎました。

 老人は言いました。

「おぬし、変わったの」

 その日から、老人はリズに剣を持たせました。



「初めて見ます。この剣は一体……?」

 老人は言いました。

 これはな、はるか遠い倭の国から伝わる『カタナ』という剣じゃ。

 この剣は、長い戦闘には向かん。

 世界のどの剣よりも鋭く、殺傷能力が高い代わりに、刃に強靭性がない。

 数回敵の剣を受け止めただけで、刃がこぼれてしまうんじゃ。

 つまり、一撃必殺でなけりゃいかん。



 それを可能にするのは、迷いのない澄みきった心。

 揺るがない、巌のような精神。

 これを手にする者に、要求されることがある。

 それは、相手を負かそうという思いがあってはならん、ということじゃ。

 倒さねばならん敵に、この剣で相対した時——

 その相手を哀れみ、正しい道へ戻ってほしいと心から願うのじゃ。

 そうすれば、あとはどうすればよいか剣が教えてくれる。



 裏山に、老人が育てたという見たこともない植物が植わっていました。

「竹という、東洋にしかない木じゃ」

 リズは竹を相手に、カタナを振るい続けます。

 疲れてぶっ倒れるまで、修行は毎日続きます。



 風を読め

 見るな 感じろ

 斬るな 踊れ

 剣を振るな 剣に振られよ

 剣に魂がこもっているならば 剣はお前よりも正しい



 お前は水だ

 どんな形にも変わり すべての衝撃をも包み込む

 チカラなどという無用の長物に頼るな

 受けよ 抵抗するな 流せ

 剣魂から示された最後の一撃にだけこめればよい

 敵を斬るな

 己を斬れ

 敵を憎んで斬れば己を斬るのに等しい

 相手を生かすために斬れ

 一見矛盾しているように聞こえるだろうが——

 いずれ分かる時が来る



 修行を終える日がやってきました。

 ひざまずくリズに、老人は言いました。



 よくやった。

 お前の中には、もはや恨みの心がないことを知っている。

 復讐のために剣を振るわないことも、知っている。

 自分の利益のために強さを誇らないことも知っている。

 今日からお前は、自分のことを『剣聖』と名乗りなさい。

 お前には、その資格がある。

 さぁ、行け。

 成すべきと思ったことを成すがよい——。



「……あれが『剣聖』とやらか。何と、女ではないか」

 王のそばにいた側近が答えます。

 ええ、最近噂になりだしたので、私もよくは知らないのですが——

 何でも、実際に戦うのを見た者は少ないのだとか。

 彼女に挑む者は、並の腕の者であれば、いや達人であればなおさら——

 戦う前から負けを悟って、降参するそうなのです。

 つまり、そういった不戦勝がほとんどで戦う機会自体が目撃されず、謎に包まれているのです。

「なるほど、面白い。しかし、ガドにそれが通用するかな?」



「それでは、始めい!」

 闘技の開始のドラが、コロッセウムに響きます。

「剣聖と名乗る者よ。お前の腕、見せてもらうぞ」

 ガドは肩に担ぐほどの大剣を振りかざして、リズとの距離を詰めてきます。

 駆ける姿のあまりの迫力に、地響きまで聞こえてきそうです。

 リズは、頭の中で瞬時に作戦を組み立てました。

 ……剣の腕だけのことで言えば、コイツは確かに強い。

 一撃必殺は、ムリか。



 ツイン・オリハルコン・ブレード!



 リズはカタナの柄には手を触れず、両足もとに忍ばせた短剣を抜きました。

 逆手に持ち、二刀流に構えます。

「そんなちっこいもんで勝てると思うのか——」

 横薙ぎにガドの両手剣が流れてきます。

 空気がブゥンと鈍い音を立て、血に飢えた刃がリズの腹部を襲います。



 空を切ったガドの剣のはるか上に、リズの体はありました。

 羽根でも生えたかのように、フワリと跳躍したリズ。

 そのまま宙返りをした後半身をひねって、頭から地に下りていきます。

 エビのように上半身を逸らし、遠心力で回旋脚をガドの背中に決めると——



 神道無念流・円翔月閃剣



「…………!」

 リズとすれ違い様に、肩に鈍い痛みを覚えたガド。

 肩に触れ、手の先に血の付いているのを確認すると——

「ほう」

 ガドの目の色が変わりました。明らかに本気です。

 それまでは、噂を聞いてはいても女だと思って、なめていたのでした。

「オレに傷を負わせるとは。女よ、甘く見て悪かった」

 大剣を上段に振りかざすガド。

「今度は決める!」



 それは、ほんの一瞬の出来事でした。

 リズの瞳に映ったガドの姿は、かすんでいきます。

 代わりに見えてきたのは——

 ……コル。

 ああ、愛しい人。

 でも、今はあなたのためだけじゃないの。

 皆の救いのため。

 笑顔のため。

 そして、目の前のこの男のため——



 今こそ、師に教わったすべてを出し切る時!

 リズのカッと見開いた目は、鬼気迫るエネルギーを放ちます。

 鋭い視線が、ガドの頭を貫き通しました。

 ……剣よ、導きたまえ! 柳生新陰流・奥義!

 一撃必殺の愛刀、カタナに手をかけ——



 月下崩牙旋破剣・弐式



「待て!」

 その声に、リズはすんでのところで刀を止めました。

 ガドの喉元ピッタリで、剣は静止します。

 刃先は触れていないのに、あまりの剣の鋭さが空気を振動させ、ガドの皮膚が裂けて血が!

 観衆は、一体何が起こったのか分かりません。

 ガドはリズの前に歩み寄り、言葉を発しました。

「さっきの短剣を、貸してほしい」

 目を見れば、リズには分かりました。

 武器を貸しても、ガドにはもう自分を攻撃する意思がないことを。

 彼女は、オリハルコンブレードを一本、ガドに差し出しました。

 受け取るやいなや、彼はそれをヒュンと投げつけました。

「ああっ、王様!」

 短剣は真っ直ぐに、見物していた王の胸に深々と突き刺さっています。

 さぁ、闘技場は大混乱です。



 ガドとリズは、王の軍隊と戦いました。

 二人の最強の剣士の前に、数百人が倒れました。

「なぜ、王を殺した?」

 押し寄せる敵に剣を振るいながら、リズはガドに尋ねます。

「……はっきり分かったからだ」

 大剣一振りで20人を吹き飛ばしたガドは、答えました。

「お前がその変わった剣を抜こうとした瞬間、オレの死が確実に見えた」

 それでも王の軍隊は、次から次へと押し寄せます。

「そして、やはり今の王は間違っているとお前の目が教えてくれた」

 リズは空中を回転して、二人を襲う無数の矢の雨をカタナで薙ぎ払いました。

 しかし、いくら二人が強くても軍隊は千人弱もの数がその場におり、倒してもキリがありません。



 すると、闘技場の外から軍隊とは別の声がします。

「まさか」

 目に涙があふれてしょうがないリズは、袖で涙を拭います。

「民衆か………!」

 ガドは、うめきました。

 そうです。

 二人が王に対抗したのを見て、民衆が勇気を出して立ち上がったのです! 



 悪王とその主権は、倒れました。

 王の軍の兵も、皮肉なことにだんだん命をかけてまで戦う必要を感じなくなり——

 ものの数時間で、戦いは終わりました。

 新たな王を立てて、隣国の支配から独立し、元の国に戻りました。

 実は最初、リズが新しい王にと担ぎ上げられかけたのですが………

「私は剣の道に生きる者。まつりごとには向きません」

 そう言って、辞退してしまいました。

 ガドは、王直属の正規軍の指令官になり——

 リズは王の近衛隊の隊長となって、王に仕えました。



 国を救った剣聖・リズは、今や国の子どもたちの憧れの的です。

 子ども好きのリズは、修行時のことが忘れられず、今でも孤児院を訪問します。

「ねぇ、どうやったらリズ姉ちゃんみたいに強くなれるのかなぁ?」

 小さな女の子が、目を輝かせて聞いてきます。

 リズは子どもの目線までかがむと、優しくこう言います。



 ………育ててごらんなさい。

 人でも動物でも、植物でも。

 何かの命に対して責任を持とうとするなら

 命を恨むよりも、愛おしく思う気持ちの方が勝れば——

 あなたは誰よりも強いのです。



 本当の強さとは何か。



 愛する者のために、自分が傷つくのを恐れないこと——。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

剣聖 賢者テラ @eyeofgod

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ