第8話 襲撃

 静寂の降りた廊下を歩くのは、これで二度目になる。前回との違いは、周りの静けさに比べて自分の心臓の音がうるさいくらいに響いているということだろうか。

 通用門からは、あっさりと中に入れた。近くに人影はなく、念のため厨房や使用人部屋を見て回ったが、どこも無人だ。その理由はほどなく分かった。

 門番の言っていたとおり、大広間のある東棟にだけ明らかに人の気配がある。いつぞやと同じように、私は中庭を通り抜けて東棟へ近づいた。手には、途中で厨房に寄って持ってきた鉄の片手鍋。鍋一つでアドルフを助け出せるとは流石に考えていないが、刃物なんて慣れない得物では、むしろ自分自身が怪我をしそうだと判断してのことである。そもそも、お屋敷を占拠してる敵相手に、こんな子供が向かっていくこと自体が間違ってはいるのだけども。

 (でもアドルフが捕まってるんってんだから。行くしかないでしょう)

 どう考えたって、ここでアドルフを放って逃げるという道はありえない。この世界で初めて会った人で、友達で、恩人で。やっと自由になったっていうのに。こんなとこで、あっさり見過ごせって?できるわけがない。

 (そりゃ数ヶ月地下牢シェアハウスしただけですけど。縁もゆかりもないんですけど)

 それでも、成り行きとはいえ私がこの世界に来て行動したことで、彼のためでないことの方が多いんじゃなかろうか。別に恩を着せるわけではなくて。この世界にきてから、私はひたすら彼の命を繋ぐことばかり考えて過ごした。そうやって、アドルフのために私が頑張ったことまで、台無しにされようとしていることに、私は今、かなり腹が立っているのだ。私が善人なわけではない。ただ、私のエゴのために私はアドルフの人生を台無しにしようとするやつが許せないということなのだと思う。

(助けが来るまでの時間稼ぎにでもなればいい。子供のなりだから、たいして警戒されないだろうし。怖がるふりして騒いでもいいし、いざとなったらアドルフにしがみついて離れないでいてやる)

 東棟の壁に到着し、室内へ入る通用門の閂がかかっていることに天を仰いだ私は、別の入り口を探す為に壁沿いに移動する。大広間は一度しか足を踏み入れたことがないため、構造があまり把握できていない。さてどうやって敵情視察するかと、ひとまず身をかがめてあたりを伺った私は、ふと不自然な光景に目を止めた。それは不審者でもなんでもない、ただの花だった。

 こんな花あっただろうか。中庭の隅の方に、ひときわ大きな花弁を咲き誇らせる大輪の花がある。一本二本ではなくて、数十本は群生しているのだが、それが整然と整えられた庭園とはあまりに趣が違い、ひどく不恰好に密集していて、悪い意味でとても目立つ。薄い紫色の花弁も、周りの温かみのある色合いから浮いていて、明らかに庭師の意図ではないことが見て取れる。

 私はその光景を目の端に留めながら、ああ、だから「枯葉剤」が必要だったのだと納得した。これでは庭師は困っただろう。不憫に思い、そして連想する。突然生えてきた、紫色の花。

 (あそこに、野花があった。)

 紫色の蕾をつけた野花が。私が「大きくなれ」と呼びかけた野花が。何かが繋がった。繋がった思考が導き出す結論に、頭がくらりとする。

 同時に、屋内から人の声が聞こえた。くぐもっているが、叫ぶような大声だ。頭の中で膨らむ考えは無理に押し込めて、私は大慌てで声の出どころを探す。内容が拾えそうな場所で頭上を見上げると、庭に突き出たバルコニーがあった。ついで壁ぎわに生えた細い白樺を枝を発見し、どうにかよじ登る。あちこち擦りむきながら幹の細くなる高さまで上がり、二階のバルコニーに飛び移る事が出来た。廊下に続く扉のガラス窓に駆け寄り、べたっと耳をつけてリスニングを開始する。

「ですから!!お手洗いに行きたいと言っているのです!!」

「少し待て!我々の代表がいま公子と話を、」

「待てません!!決壊寸前です!!あなた方は殿方よりも婦人の方が身体構造的に耐えられる限界が近いことをご存知ないの!?なんという浅学!!それでも憂国の志士ですか!」

 嘘でしょ。私はちょっと自分の耳が信じられない気持ちで、声の主の顔を思い浮かべた。この声は、我らがメイド長ではないか。

 唖然とする私にかまわず、漏らすとか漏らすなとか、しょうもないことを言い争う声が続く。しかも、扉向こうの廊下越しに室内の会話が聞こえるのだから、両者とも壮絶な音量でやりあっているに違いなかった。

「もちろん我々は、あまねく人民の為新しき国を建国するという崇高な志を持った志士であ」

「志士とは!!高き志を持ち他を全て犠牲にする者のことです!!では志ざすものとはなにか?それは健全な国であり人民の幸福!!その幸福を守るべき紳士として、婦女子の尊厳も守れないようであれば、なにが志士か!!」

「な、な!だ、だま」

「黙れ!?まあ!!なんと言う暴言!!かりにも孤高の誇り高き騎士であると先ほどからご高説を垂れ流しておきながら!剣の切っ先を向けた婦人に対して斯様な言葉を吐くとは!!男が聞いて呆れます!!」

「むぐう」

 相手が黙っても、マウントをとってぶん殴るスタイルの追求は止まらない。あれ?どっちが捕まってるんだっけ?と混乱しそうな剣幕だった。的確に相手の反論を潰したメイド長アニエラの口撃は、賊の人格否定にまで及び、とうとうご婦人全員をお手洗いに連れて行くという条件を飲ませたようだった。扉が開いて見知った使用人の顔が次々と現れる。その中に一人、見たことのない顔の男がいた。手にした細身の剣をメイドの一人首元にぴたりと押し当て、他の使用人たちを廊下の奥に促している。

(ええっと、どうしよう。まずは皆んなに助けを呼んだこと伝えて、アドルフの居場所を聞かなくちゃ)

 私は、見張りに気づかれないよう、窓越しに手を振ってみた。すると上手いこと、緊張した面持ちのメイドの一人と目があう。彼女は度肝を抜かれたような顔をしてこちらを見つめたあと、ものすごい勢いで「隠れろ」もしくは「引っ込め」みたいな合図をした。反射的にしゃがみこむ。これで意味あってるかな?

 用心のため、たっぷり百秒数えてから、そっと廊下を覗き込む。見張りがメイドさん達を引き連れていったらしく、廊下は無人だ。さて如何すべきか。厠は一階にある。しかし向かおうにも、廊下への扉はこちら側からは開かない。先ほど飛び降りてきた木へも、こちら側から戻るのは無理だ。

 しばらく頭を悩ませていると、ふいに、人の気配がして扉が開いた。

「トーコ、無事でしたか」

 メイド長は、いつもの隙のない身だしなみではなく、二の腕をまくり、髪もほつれていた。しかしこれといった怪我もなく元気そうだ。後ろから、もう一人年配のメイドも顔を出す。あれ?見張りの男はどうしたんだろう。いくら大人数のメイドがいるとはいえ、この存在感ありまくりのメイド長を見逃すとは思えないのだけど。

「ユッテとカーリン、助け呼ぶ行った。アドルフどこ?」

 手短に用件を告げる私に、アニエラは一瞬だけ、ほっとしたような顔をした。だがすぐに表情を引き締める。

「よくやりました。でも、あなたはどうして戻ってきたのです。今から地下室に連れて行ってあげますから、あなたもそこで他のメイド達と隠れていなさい」

「隠れるしないよ。アドルフのところへ行く」

「何を言ってるの」

「トーコは、アドルフ助けるします。トーコさわぐから。悪いやつトーコを怒るでしょう。そのあいだ、アドルフを助けて。トーコは大丈夫。ちゃんとできるよ」

「あなた…」

 どうせ戦力にはならないので、せめて囮に使って欲しいんだけど。と、手にした鍋を片手に説得を試みる。あ、変態なら先日この鍋で一匹退治したけども。アニエラは少しのあいだ眉間にシワを寄せて何も言わなかったが、何事か背後のメイドに耳打ちした。それから、ひとまずついてきなさいと、私の手を引き、注意を払いながら廊下を進んで大広間とは別の部屋へ移動する。室内でも気を抜かず、アニエラは私を低くかがんだ態勢にさせて、抑えた声で告げた。

「良いでしょう。どうやら私は過小評価をしていたみたいね。ただしあなたの案は却下よ。殿下は、我々の身の安全と引き換えに、賊の要求に従って三階の執務室へ入られました。なんでも大層な話があるとか彼らのたまっておりましたが…あの連中、どうやら自分たちは公子と対等に話ができる大物だとでも思っているようですね。全く、あんな間抜けどもがどうして屋敷に侵入できたのやら…」

 頰へ手を添えて、思い倦ねるように早口になったアニエラは、途中で無言の私に気づいて、一旦言葉を切った。再び、ゆっくりとした口調で仕切り直す。

「そうでした。あなたに難しいことはわからないわね」

「行っていい?」

鍋を掲げて見せると、首を横に振られる。

「お待ちなさい。良いですか?この暖炉の奥のに隠し階段があります。いま開けてあげますから、それを使いなさい。見張りの目にとまらず三階の物置に出られます。物置の隣の部屋に、アドルフ様がいます。わかる?」

「わかった」大体のところは、と心中では付け加える。

「では、これを持ってお行きなさい」

 アニエラは、再び年配のメイドに合図して、壁掛けの絵の裏から細長い筒を持って来させた。形からして、鞘に収まった剣だ。私の身長くらいまであるので、立てたまま胸に抱き込む。

「この剣はアドルフ様にお渡しなさい。その鍋は…まあ、あなたは実績があるから、いいでしょう」

 私がベルトにさした片手鍋を一瞥してから、アニエラは立ち上がる。

「背の低い男の方に気をつけなさい」

「はい?」

「小さい男です。一人だけ顔を見せず丸腰でした…何か引っかかる。とにかく、気をつけるのです」

「はい、きをつけます!」

 私はビシッと敬礼を返した。相手は怪訝な顔をしたが、私は構わず、一つだけ気になっていたことを聞いてみた。

「さっき、悪いやついたよね?どうしたの?」

 私の問いに、メイド長と背後に控えた年配のメイドは緊迫した表情から一転して、みたこともないほどの笑みを讃える。

「あのふざけた口ばかりの惰弱な賊の男ですか?アレなら、此方を女と見て油断していたところを不意打ちし、両足の骨を一通り折ったあと、他の仲間についての情報を聞き出してから縛って女子の厠に転がしてあります。勿論のちほど、我らがヴィゼグラフルの屋敷を汚した罪を償わせるため、残りの骨を全て折ってから肥溜めに浸けて、花壇の良い肥やしにします」

 メイド長はとても早口に答えたので、私はあまりよく内容を理解できなかった。ただ、二人はとてもいい笑顔だったので「すごいねー」とだけ返しておいたのだった。


***

「であるから!我々が望むのはこの国の因習に囚われた支配構造からの脱却である!腐った公族と地方豪族との癒着、血族との呪われた婚姻は、この国の病巣に他ならない!」

 招かれざる客の演説は佳境に入っていた。初めの方こそもったいぶった様子だった男の口調は、今や隠しきれない熱を持ち、唾を飛ばした力説に変わっている。大広間を占拠した賊のうち、上階の一室へ俺を移動させた二人の男の、一方はよく喋り、もう片方は一度も口を開かなかった。

「それで、結局のところ私への要求は何だろうか?」室内にあった小ぶりな執務机へ座ったまま、男たちを見上げる。侵入者達は、一人の小柄な男をのぞき全員が武装していた。ただ、実際の戦闘は行われることなく、魔法のように広間に姿を表した彼らに自分が剣を向けられ、全てが決した。客人である自分の命が脅かされれば、使用人達も下手な動きは取れず、ウィゼグラフルの置いて行った戦力は、残念ながら実力を発揮することなく武装解除されている。

「我々の要求は、貴殿がエンダルハント家の公子として、持ちうる全ての利権を放棄し、地方豪族との関係を全て断ち切ることだ!!」

「…申し訳ない。少々意味が分からないんだが」

 人質に取られている使用人達の手前、十分下手にでているつもりだ。ヴィゼグラフルの屋敷の人間を危険い晒すことは何としても避けたい。なのだが、つい偽らざる本心が口をついて出た。相手は、抜き身の剣を床につきたてながら叫ぶ。

「要求を拒否するのかっ!公族は、代々国民から搾取した財で私服を肥やし、あげく地方の金持ちからも多くの金品をやりとりしている!そのせいで、この国の民に返還されるべき財が失われているのだぞ!」

「落ち着いて欲しい。要求は呑むつもりだ。ただ、私が理解できないのは、要求の具体的な内容についてだ。利権を放棄するとはつまり、俺が財産を国に返還すればよいということか?」

「それではだめだ!公族の財産とは元来、人民のものだ!人々に返すべきなのだ!」やはり下手に口を挟んだのがいけなかったか、反論されたと感じたらしい男は今にも此方に切り掛かってきそうな剣幕だ。

「では、財産を現金化して領民に配れ、ということだろうか?となると、時間と手間がかかる上、正確に分配することの困難な方法だと思うのだが」

「御託はいい!!方法など、重要ではない!!もっとも重要なのは、貴殿という特権階級が、自ら汚い富との決別を果たすことなのだ!まずは貴家が率先して利権を手放す!そうすれば、解放された人民は古き制度の弊害に目を覚まし、他の公家への義憤を芽吹かせるだろう!」

要は領民への支配体制が気に入らない、ということだろうか。その割には要求内容が漠然としすぎているが。

 はあ、と心の中だけで嘆息する。声高に求める彼の意見は特段珍しいものではない。彼らのように武力を持って事の解決を急ぐ組織も少なくない。大方は軍部に制圧されるが、彼らはその軍部の総元締の別邸に乗り込むような部類だ。ある意味、なかなか大した行動力だといえる。古くより国の中枢に君臨する支配階級へ、これまでもいくつもの不満の声が上がり、そして消えていった。消えていくには理由があるのだが、それをこの相手に諭しても始まらないのは明白だ。

 俺は、机の上に置かれていたペンと紙を引き寄せた。

「そうか。では君たちが此処から速やかに去ると約束するなら、私は公族に今後発生する一切の利権を放棄し、現時点までの全ての財産を全領民の世帯ごとに均等に分割して贈与する旨の証文を書こう。それでいいだろうか?書類を用意するから少し待ってくれ」

 俺の返答が意外なのだろう。男の顔にはわずかに戸惑いが見て取れた。おかしな話だ。田舎の別邸とはいえ仮にも軍部最高司令の屋敷に侵入し、公子に剣を向けるところまでしておいて。

 俺は構わずペンを走らせた。この男たちがどこまで把握しているかは知らないが、この屋敷には今後の支援を求めた数人の賓客を招いている。彼らの身の安全も含めれば安いものだ。

「よ、よしそれで構わない。そ、そうだ、公子としての身分も返却すると付け足してもらう」

 ところが、頭上からかけられた男の言葉に、思わず手が止まる。男の台詞を反芻しながら、頭の痛い思いでペンを置いた。この男は何を言い出すのか。

「…ご存知のことと思うが、私はエンダルハント家の当主として一族に認められた上で、『公子』と名乗っている。各家の当主となることはそのまま、公子として議会の議席を得ることだからだ」

「そ、その通りだ、公家による政治への根深い介入も変えて行かねばならな…」

「公子という肩書きは私個人の自称でも所有物でもなく、国から公的に与えられた身分だ。たかだか私財の利権放棄と同等の手順で放棄は出来ないことを、まさか知らない訳ではないと思うのだが、どうするおつもりだろうか?」

「も、勿論承知だとも!私が言いたいのは…」

 せわしなく瞬きして男が口ごもる。どうやら、思いつきで口にした要求のようだ。違和感がまた大きくなった。襲撃の手際の良さと比べ、男の弁舌はどうにもお粗末すぎるのだ。

「そもそも!公族という身分が間違っているのだ!人は皆平等である!血筋による特権階級を作るから、利権や公子制度が生まれる!それならば貴殿には何よりもまず、公族としての身分から身を引くことを約束してもらおう。そうして、平民とおなじ境遇に下ってのち、財を失った貴殿には真の気づきが訪れるはずだ!」

男がうまく取り繕った気になっているのが、ありありと見て取れる。ぶち上げた発言の支離滅裂さに気づきもしない。

「口をはさむようで悪いのだが、貴殿の要求には二つほど問題がある。一つ、公族からの離籍には中央会議と公政庁の審議会の開催が必要だ。私自身の裁量ではいかんともし難い。二つ目、私が公族としての立場を先に失えば、利権放棄も何もない。この証文は、今現在公族という身分であることを前提に、私自身が現在所有しているものを手放すという内容のものだからだ。よって、あなた方が私から財も身分も取り上げたいのであれば、まず、利権放棄の手続きが公式に承認されたあと、公族離籍の手続きのために、もう一度無礼な訪問をしてもらうしかないな」

 お話にならない。俺は初めてこの男に苛立ちを感じた。公家反対派は、それこそ一介の農民から軍部の中にまで、国内に腐るほど存在する。反対派の意見は全てが間違いとも言えないし、彼らと上手く付き合っていくのも公族としての役目だ。だが、この男は、ここまで大胆な振る舞いをしておいて、根本的なことを理解していない。その落差に、こめかみの奥でちりちりつくような違和感が、膨らむ。

「君たちの所属はどこだ?」俺は男の目を見据えて尋ねた。

「所属?」

「そうだ。商会連合?立志組合か?それとも国外の支援団体か?」相手は喉をぐっと詰まらせて、上ずった声をだした。

「我々は、祖国のため…崇高な志を持つ集まりで…」

「もういい黙れ」

 遮ったのは、自分ではなくもう一つの声だ。これまで一切口を開かなかった男の声は鋭く、心底仲間の男をバカにするような響きがあった。

「馬鹿が露呈するから余計な事は喋るなと言っただろうが」

「し、しかしッ!千載一遇の好機だ!一番乗りで身柄を確保できたのはお前の功績なんだぞ。加えて、公子の身分を我々が破棄させたとなればっ、閣下にも、」

「黙ってろ愚図がッ!!!」

 反論しかけた男の顔を、相方の男が何のためらいもなく手のひらで掴んだと同時に、耳障りな破裂音が弾けた。人一人分の重みが、一切の抵抗なく床に落ちる。つい先ほどまで、あれだけうるさく喚いていた男の顔が、崩れた肉塊となって転がり、音もなくこちらを向いていた。

「…無礼な訪問の次は、ゴミまで置いていくのか?勘弁してほしいな。ここはヴィゼグラフルの屋敷なんだが」

 こちらを見た男は目を細めてにやりと笑う。フードから覗く顔は青白く、真っ黒な瞳が爬虫類のように左右に動くさまが酷く不気味だ。

「これの処理はあなたがするのですよ」

 訳のわからないことを言った男は、手のひら倒れた仲間の服で拭う。死んだ男が落とした剣には見向きもしない。

「さて、私は彼ほど立ち話が好きではないので、簡潔にーー一体どんな奇跡を使ったのかは存じませんが、お教え願えないでしょうね?」

「奇跡?一体何のことだ?」

 殺した仲間のことなどもう見向きもせず、男が急に話題を変える。奇跡という台詞の指すところに心当たりはあるが、せいぜい相手の気持ちを逆なでするように、態とらしく答えた。

「まあ、期待はしていませんが。やはり教えたくはありませんよね。呪いをはじきかえすとは、大した術者をお持ちだ。失礼ながらエンダルハント家はこちらの分野には随分疎いとお聞きしていたので意外でした」

 自白とも取れる発言をさらりと口にし、男は大げさにため息をついてみせる。俺はこのフードの男が剣を手にしない理由を、やっと理解した。

「…お前か」怒りではなく、腑に落ちた思いで呟く。やはり、単なる病ではなかった。しかも相手は今「呪い」だと口にした。よりにもよって、呪いとは。

「それでまあ、失敗するとは何事かと随分叱られまして。ですので、今度は念を入れて参ります」

 蛇のような瞳がすっと、糸の様に細められる。その表情に嫌な予感を感じた瞬間、体が動いていた。死んだ男が落とした剣を拾うため、机を飛び越える。だが、柄に伸ばした腕に弾けるような痛みが走り、思わず手を引く。二の腕に、浅くだが鋭利な刃物で切り裂かれたような傷が出来ていた。そして、その時にはもう遅かった。

『呪えよ呪え。等しき代償はここに、』

 意味のわからない言葉が耳に入るやいなや、喉元に吐き気がせり上がった。おそらく相当な使い手に違いなかった。この術者は明らかに、俺を殺してここから逃げ果せるという確信を持っている。そして、2年前かけたものと同じ苦痛を、俺に与える気でやってきたのだ。

『地龍ホセアフが受けた呪いを彼に施せ。皮膚は肉に骨は土に、知識は病に理性は塵に…』

『あ"あ"ーーッッ!!!今のなしィ!!今の呪いとかなしだから!!どこの誰だか知らないけどこの世界の呪い担当の神様聞いてる?!キャンセルでー!!お願いキャンセル受け付けてーー!!』

 呪いを紡ぐ男のゾッとするような声をかき消す大音量が、場違いに室内を席巻した。威勢の良い叫びをあげながら、俺の背後から勢いよく扉を開けて現れたトーコに、俺だけでなく相手の男も間抜けな顔を晒す。

『こんの、クソバカ野郎!!突然押しかけてきてからにアドルフになにすんのよ!速やかにおかえりくださいよ!?あと仲間割れするくらいならもうちょっと報連相徹底してからおいでなさったら?!つでに毛根死滅しろ!』

「トーコ!」

「まさか、術者か!?」

 現れた少女は俺たちには分からない言葉で叫びながら、どこから持ってきたのか、片手鍋を投げつけて男を怯ませる。と同時に俺に駆け寄り、もう一つ手にしたものを押し付けてきた。

「これ!アニエラが!」

 それが何かを理解した俺は、すぐさま受けとって鞘を抜く。さらに自分の背後にトーコを下がらせようとしたが、彼女はすでに俺と男の中間地点まで距離をとって、男に対峙している。

『アニエラのカン大当たりだよ。こんっのやろう、とんでもないこと言い出しやがって!呪いというキーワードでぴんときたぞ。お前アドルフに呪いかけたやつだろ。はらわたが煮え繰り返るというのはまさしくこのことだ!!一度ならず2度までも。殺すよりもひどいことを。許すまじ。いいか今は無理でも可能な限り早急にお前がハゲ散らかす魔法を覚えてかけてやるからな』

 つかの間、久しぶりにトーコが自分の国の言葉を話しているのを聞いたな、と見当違いなことを考える。目の据わったトーコの鬼気迫る様子に加え、流れ出す異国の言葉は止まらなかった。確かに、目の前の男がトーコを術者と勘違いしても仕方がない様相だ。また、男を睨みつけたまま、一歩も引かぬ構えのトーコが、心底腹を立てているのは明らかだ。

 出来ればトーコを逃がしたいが、術者の男は完全にトーコを脅威だと認識している。未知の能力を持つ男の意識が分散されるのは、素直にありがたかった。何にせよ、この男を制圧しなければ、二人とも魔術の餌食になる。俺は柄を握り直し、久しぶりの感触を味わいながら、男との距離を詰める。

「こんな子供が何故…」

『私魔法使えますよ。強力な魔法唱えてますーっと。このハッタリ効いてるのが自分でも意外なんですけどいつばれるかヒヤヒヤする心臓に悪いごめんアドルフお願いどうにかやっつけて』

 フード男がトーコに注意を払う瞬間を見計らい、距離を詰めて首元を狙う。男は左手を掲げて再び鋭く短い言葉を唱えた。今度は肩口に痛みを感じたが、そのまま腕を振り下ろす。狙いは外れたが、切っ先がフード男の左脇を掠め、情けない悲鳴が上がる。

「この…っ、死に損ないめ」

 意味が分かったのか、ぴくりとトーコが反応した。いつのまにか悪口の語彙を増やしたらしい。トーコがひときわ大きく地を這うような声で唸ると、男はびくりと肩を震わせてまた注意をそらす。その隙をついて深く踏み込み、斬り上げた。今度こそ確かな手応えを感じる。男が再び悲鳴を上げ、後退る。顔を歪ませ自分の体を掻き抱くと、小刻みに震えだした。

「こんな話は聞いていない!騙されたッ!騙されたアァァ!!」

「簡潔に、誰の差し金か答えろ。そうでなければ吐くまで四肢を切り落とす」

「煩い煩い煩い!!この甘ったれた餓鬼どもが!!貴様の命を細切れにするのは我々だ!!」

 男が再び術を唱え出した。何をするつもりかは分からないが、対応しようと再び剣を身構える。と、思わぬ方向から体当たりを食らった。

「よけて!!」

 トーコに勢いよく飛びつかれて、不覚にも体が傾ぐ。無様に尻餅をつく直前、覆いかぶさってきたトーコの背後に噴き上がるような炎が現れた。

『あっつ!!』

 トーコの口から、苦痛の声が上がる。俺はすぐさま体勢を変えてトーコを抱き抱え、床を転がった。数秒後、顔を上げた時には、すでに男の姿は消えている。

「トーコ!」

 念のためフード男がいた場所から距離を取って、腕の中の子供を確かめる。小さく呻いたトーコの顔に生気があるのを見て安堵し、次いで焼け焦げた衣服の下から、真っ赤になった背中があらわになっているのに気付いて息をつめる。

「殿下!!殿下ご無事ですか!?」

 扉が弾け飛ぶような勢いで開かれた。メイド長と下僕を筆頭に、使用人達がこちらへ駆け寄ってくる。

「広間は制圧しました!賊は!?」

「一人は死んだ。もう一人は術を使う。姿を消したが気をつけてくれ」

「承知しました。ティモとマルタは近衛兵と共に賊を探せ!ヴィムとゴットリープは室内の安全確保!殿下、お怪我は?」メイド長は、いつにもまして鋭い指示を部下に飛ばし、俺の前に膝をついた。

「俺はかすり傷だ。トーコをみてくれ」

「カーリン、殿下の傷を。私はトーコを診ます」

「男の一人が火の魔術か何かを使った。トーコが俺を庇ったんだ」

「そうでしたか」

 アニエラは他のメイドに持って来させた治療道具で、てきぱきと少女の傷を手当てした。

「ひとまず応急処置はこれで。火傷は軽くはありませんが、命に別状はございません。数日は痛むでしょうが、安静にして薬を使えば程なく回復するでしょう」

「助かった。ありがとう」

「とんでもございません。この度は屋敷に賊の侵入を許し、殿下の身をお守りするという主人の命令を守れなかったこと、深くお詫びし、どのような罰も受けるつもりです」

「何を言うんだ。俺が生きているのは、君たちとトーコのおかげだ。感謝している」

 本当に、このところ命を助けられてばかりだ。トーコやアニエラたちの奮闘には頭が下がる。自分はといえば、先ほど久方ぶりに振るった剣の、あまりに不甲斐ない太刀筋が思い起こされた。

「トーコをこちらに行かせたのは、わたくしです。この子は、何が起きているか分かっていて、他のメイドが助けを呼びに行ったことを知らせ、殿下をお救いするのだと戻ってきました。そして実際、殿下をお助けしたのですね」

「本当に、情けないことに、俺は彼女に出会ってから、彼女に助けてもらってばかりなんだ」それが悲しいのか嬉しいのか、どちらともつかないまま、自嘲する。しかしアニエラはとうとうはっきりと嬉しそうに微笑んだ。

「左様でございましたか。…さ、殿下も一度きちんとした診察を。お客様への対応はすべて私共にお任せください」

アニエラが、口元に笑みを浮かべたまま俺をうながす。白い包帯を巻かれた背中に触れないよう、小さな体を抱き上げる。耳元で小さく唸る声がして少し焦ったが、少女は大人しく腕の中に収まったままだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ミーム・オーサー あざな @azana_gotoshi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ