疑問
横穴の景色を見たい気持ちから翌日は見回りに起こされることなく、朝早くに食堂に出た。昨日の騒ぎの名残がちらほらと見えていて、やつれた様相の男たちも多い。
私はあの吟遊詩人の話をもう一度でもいいから聞きたいと思ったが、それは叶わぬことだろうと考えながら食事を済ませ、仕事場に向かった。きっと吟遊詩人は今日にでもどこかへ旅立つのだろう。
仕事場についたらまずは横穴の景色を眺めたかったが、そうはいかなかった。奴隷のまとめ役の男が定時の報告に私のもとまでやってきたのだ。やってくるとともに、まとめ役は私の顔を窺うように覗き込んできて言ったのだ。
「監督官様どうかなされたのですか。今日は悩んだ顔をしていらっしゃる」
そう尋ねてきた。私としては、横穴の景色や詩人の語った世界に思いにふけっていたりしていたのだが、表情に出したつもりはなく、私はこう指摘され少し焦ってこう返した。
「そう見えるか。特に悩んでいることなどないが。総監督から指示があったように生産量を増やさなければとは思っているが……」
「そうでしたか。我々は現状、手いっぱいでして、これ以上生産量を増やすのに単純に仕事を増やされてもあまり、結果は出ないかと思われます」
「そうか……わかった」
このまとめ役は昨日の私が昨日奴隷たちに説きまわったことに関しては不服であるようだ。私はそのように言われ態度や方針を緩めることにした。
私には、総監督様のおっしゃった目標を達成することを重要視してはいたが、今の私にとって、そういった将来発展性のあることに手を尽くす気がなかった。というより、その具体的な手順を考えることをやめていた。私にはそれ以上に気になってしかたのないことがあった。
まとめ役はさらに言葉をつづけた。
「やはり、監督さん何か悩んでおられるのでしょう。わたくしに教えてはいただけませんか」
断ろうと思い、口を開いたところで、友がこのようなときは誰かに相談するべきという助言していたのを思い出し、少しこのまとめ役の男に話し相手になってもらうことにした
「まあ確かに、悩みごとがある。昨日、私たちの食堂に詩人が訪れて外の話をしていたのだよ。聞いたこともないことばかりで、私はどうやら、その世界に魅了されてしまったらしいのだ」
「なるほど、その世界がどうなっているのかと考えていらっしゃると」
「ああ、これでは仕事にも集中できないだろう。もとより外のことなど、われらこの石化巨人の住人にとって関係のあることではないのだがなあ」
「それはわかりますまい。一度、外を見に行ってみてはいかがですか」
「そこの横穴を覗いてみようとは思ったが、外に行く理由はないだろう」
「しかし、監督官様が直接見て感じなければ何もわかりますまい。それに、見に行ってはいけないと決まっているというわけでもないと思うのです」
「何を言う、決まっているではないか。われらには既に定めがある。それを破って、そのようなことができるか」
「しかし、本当に監督官様にここで命を全うする定めがあるのでございますか」
「馬鹿にしているのか。生まれた時よりわれらにはここに一生を尽くす定めがある。何を言うのか……」
「監督官様はそれが真なるものだと思われますか」
「何が言いたい」
「いえ、ただ監督者様にはこの地での定めではなく、まったく違う定めを持っておられるのではないかと思ったのです」
「ふざけたことを。いったいどんな定めだというのだ」
「わたくしにはわかりませんが、監督官様の今の悩みからすれば、世界を見ることなどなのかもしれません。正しいものはきっと監督官様が見つけられることでしょう」
「世界を見るという定めか……」
「そして、それが己にとって正しい定めかと考えられるのは大切なことではないのではないでしょうか」
確かにと私は思った。今まで、どうしてか勝手に定めがあるものだと思っていた。
だが今、私にとっての真実の定めを探求することは神に対してのあるべき信仰ではないのだろうか……。
「しかし、お前は一体、何者なのだ。」
「わたくしは、ただ、己の定を探求し続けてやってきたものにございます。」
「定めを探し、奴隷に身をやつしたとでも言うのか」
「はい。それが私の定めであったと信んじています」
「理解できんな。それで、その定めはどう見つけたのだ。」
「自身の心に従い、どうあるべきかを考えていたにすぎませんが。どうしても守るべきものがあると私は思ったのです」
「そうか、それだけなのか。どんな物語であったか教えてはくれないか」
「残念ながらそれはできません。私の心に潜ませるだけで十分なのです。それより一度、あの横穴まで言って外を眺めてみてはいかがですか」
「まあ、もとより覗いてみようと思っていたところだったからな」
私たちは横穴から突き出して作られている昇降機の木造の足場で外を一望した。強く風が吹き抜けた。私は初めて岩以外を認識した。
白い衣をまとった山々であろうものが並んでいるのが見えた。視線を上にあげると、青一色で染まっている世界が広がっていた。だが、私にはよく景色が見えていなかった。空間の広がりに私は恐怖を抱いたのだ。いったいこれがどこまで広がり、そこに何があるのかわかりもしないこと。己がそれを知らないことがとてつもなく恐ろしいものだと私は感じるとともに、それが強い好奇心となった。さらにその先を覗けたならば、私は何を思うのだろうか。
下を覗き込んだその時、足元でばりばりと音が立った。
私は瞬時に昨日の朝に、ここの足場が壊れかけではないかという話を聞いていたのを思い出す。それを思い出した瞬間私はその場から岩場まで走った。木材の足場はばらばらと崩れていくのがわかる。岩場に足がつくか否かというとき、後ろからまとめ役の男の声が聞こえた。岩場にどうにかたどり着いた私は振り返ると、あのまとめ役の男が。岩場にたどり着けず、木材の足場とともに落ちていくのが見えた。
その男の顔は驚きが支配しているようだったが、死への恐怖というものは見えず、覚悟の決まり切っているような顔をして男は落ちていった。あの男は死ぬだろう。もちろんこの足場の崩落は数年に一度あることで、死者が出ることも石切り場ではおかしなことではない。
しかし、あのまとめ役の男が死ぬなど、私には思いがけぬことであり、私もあと一歩というところで死を免れたのを思うと、どこか男の言う定めと言うのを強く考えずにはいられなかった。きっと私には定めがある。この男に教わった以上。それを果たすのが定めでなくとも、やり通さねばならないのだと思った。
ふと、足場に引っかかる金属の小物が見えた。何だろうと手に取ると、それは首飾りであるようだった。首飾りのようなものを持つことができるなど、総監督以上の地位でなければあり得ないが、そんなものが岩場に残った足場に落ちているとなると、足場に崩れる直前までいた私以外の人間。あのまとめ役の男以外にいないだろう。不思議な男であったことを考えると、このとてつもなく貴重な首飾りを持っていたとしてもおかしくはない。本来首にかけているだろう首飾りが転がり落ちていることも不思議だが、そんなことは大した問題ではなかった。
どちらかと言えば、あの男がこうも高貴な金属の首飾りを持っていたことのほうが私にとって謎であった。
だがそれよりも、私は心のどこかで私の存在というものに強く迫ろうとしていた。それらを含めて私は、石化巨人の研究院の友に相談してみようと思うのだった。いったい友は何と言ってくれるだろうか。そう考えると少し心が躍った
結局、その日の午後は昇降機の復旧作業に手間取られた。もうすっかり、生産量を上げようという考えなど忘れていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます