第44話 薔薇は棘の痛みで人を引きとめる
当日、図書館に出向くと、人気作家の講演会ということで、整理券が配られていた。
私も列に並んだ。
若い女性が多いと思っていたが、そうでもなかった。
利用頻度の多い年配者もいた。
用事があって参加できないという孫の代わりにサインをもらうための本を抱えているおじーちゃん、おばーちゃん、図書館のイベントには欠かさず参加しているという地元の読書サークルの面々、こうした顔ぶれを眺めていると、改めて、本の興味を持つ層は幅広いのだと実感した。
読者層を設定するのは、営業戦略としては当たりまえだが、本に関してはそれが全てではないような気がした。
貝原沙羅は、あちこちに指示を出したり、控室の準備をしたり、これからお出迎えなどと、大忙しのようだった。
忙しそうなので、彼女に声をかけるのは控えた。
書店に勤めている知り合いに、きいたことがある。
作家を読んでのイベントについて。
講演会とはまた違うのだろうけれど、通常業務をしながらのイベントの準備はとても忙しいと言っていた。
これは、図書館でも同じだろう。
作家とのスケジュール調整、講演会のポスターやチラシの作成(これは職員の手作りになることが多い)、職員の業務の割り当て、当日の流れの計画と人員の配備の手配、それらを確認する会議の運営、講演会の作家のコーナーの設置など、作業はきりがない。
夏原ノエは、まだ二十代だったはずだが、年齢不詳の落ち着きを漂わせていた。
全体的に線が細く繊細な作風そのものの様子をしている。
シルクタフタのグレーのワンピース姿で、彼女の作品によく登場する、スミレやクローバーなどの野の花を散らしたミニスカーフを首に巻いていた。リネン糸を自分で編んで作ったというコサージュはひまわりだと本人が言った。
編み物が好きで、気分転換に、コサージュやマフラー、ハンドウォーマーなどの小物から、セーターやカーディガンなど大掛かりなものまで編んでいると言う。
そんな前ふりをしてから、小さいけれど澄んだ声で、ぽつり、ぽつり、と、自作について、創作について、自分が大切にしていることを話していった。
講演会の後に、サイン会と質疑応答があった。
「自分の内面に向き合って書いていると、どうしても照れが出てきしまい、収集がつかなくなってしまうのですが、そうした場合、どうしたらいいんでしょうか」
最近、趣味で小説を書き始めたという女性が質問をした。
純文学の小説を書くということは、自己を見つめて、それをさらけだすことが出発点になることが多い。恥も外聞もなく、いかにさらけだせるか。それが突出しているものほど人を惹きつける。わかってはいるが、なかなかできないものだ。
夏原ノエがどう答えるか注目する。
彼女は、質問者の女性をまっすぐに見つめて、
「照れくさい、恥ずかしいって思ったら、ストレートに私小説として書くのではなく、童話やファンタジーといった構築した世界で表現してみてください。自分イコールの登場人物でなくてもいいんです」
微笑を浮かべた口からもれた言葉には実感がこもっていた。
「それから、あんまり、きれいすぎない方がいいです。ひっかかりのあるものの方が、気をとられますから。薔薇は棘の痛みで人を引きとめるでしょ」
薔薇について芳香や咲いている姿の美しを持ち出さないところに、夏原ノエらしさを感じた。
彼女の言葉に、私は、自作の今一つ足りない点に思い当たった。
きれいにまとめ過ぎようとしていたのだ。
骨子がととのっていなくても、必死に訴えかけてくるものがあれば、人は立ち止まる。
それは、テーマでも、モチーフでも、文体でも、感情でも、何でも。
撫でられて気持ちのよくなる本は、文学でデビューする最初の一冊ではないのかもしれない。
本にサインをしてもらう時、文学以外のジャンルの本をどう思っているか質問してみた。
「私は、文学のことしかわからない、いえ、それは、傲慢ね。わからないことばかりだけれど、文学には向き合ってきたから、向き合ってきて思うところを、書いています。私が言えるのは、これくらいです。ごめんなさい」
彼女はさらさらとサインをすると、私に著書を手渡しながら言葉を添えた。
「凪田真帆子さん、私の本を読んでくださってありがとう」
その声は、もやついた気持ちを一掃してくれた。
サイン会が終了すると、司会者が改めて御礼を述べて、夏原ノエを見送った。
せっかく来たので、図書館を見学していこうと思い、講演会の作家の著作紹介コーナーへ立ち寄った。
夏原ノエは寡作だったが、出版される本は、全てロングセラーになっている。
彼女の本はいずれも、装幀、使われている活字の種類から用紙まで、全て厳選されて、内容にふさわしい心のこもったつくりになっている。
私は、『野の花集め』と題された本を手にとった。
彼女の著作の中でも、好きな一冊だった。
心なしか厚みのあるざらっとした手ざわりの紙に、活版印刷で印字されたような文字が並んでいる。開くと少しぎしぎしいうのも、最近の本にはないぬくもりを感じる。
もし自分の本を世に出せる時がきたら、こんな風に、本作りに携わる人たちの気持ちが伝わるものになったらいいなと思う。それは、内容あってのものだと、改めて気が引き締まる。
「先輩、来てくださったんですね、ありがとうございます」
と、貝原沙羅がうれしそうに寄ってきた。
「今日は、素敵な講演会に招待してくれてありがとう」
「どういたしまして、先輩には、ぜひ来て欲しかったんです」
「講演会の開催って、準備たいへんだったでしょ」
「まあ、それなりに、です。一人で準備とかやってたわけではないので。それに、大好きな作家さんとお話できるという役得もありますし、なんてね」
「なるほどね」
「先輩も、私の大好きな作家さん候補なんですから、がんばってくださいね、本コンテスト」
「ありがとう、そう言ってもらえると、励みになる」
「この後、会場の片付け事務作業諸々あるので、すみません、今日はこれで失礼します」
「おつかれさま。また、何かあったら教えてね」
「はい、もちろんです。では、失礼します」
貝原沙羅に手を振ってから、記入済のアンケート用紙を受付の箱に入れて、私は会場を後にした。
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