第35話 ほうじ茶と練り切り、そしてこだわりと気働き

「十秒しか待てないなんて。らしいな」


 そうつぶやいて、三秒とか五秒でなくなっただけましかと思い直す。

 そんな風に思い直す自分に、笑ってしまう。


「南北線か千代田線か。同じ道をもどりたくないから坂を降りてこうかな」


 泊愛久と別れた後、千代田線根津駅まで、ぶらぶらと弥生坂を歩くことにした。

 途中、弥生式土器発掘ゆかりの碑がある。

 ここら辺で土器が発見されたんだなと思いつつ歩いていく。

 ぶらぶらしてると、学生たちが足早に追い抜いていく。

 耳に音楽で蓋をし、目は画面で蓋をし、蓋をしきれない部分で周囲に気を配って、さくさくと歩いていく。

 時間を惜しむかのように。

 みんな忙しいんだな、と、道行く人々が遠いもののように感じる。

 このまま帰るのは、なんとなく気がすすまない。

 彼女と過ごした時間の、わずかな時間だったけれど、余韻を、自分のまわりに漂う気配を、味わっていたかった。


 と、そこで、声をかけられた。


「真帆子、真帆子じゃない」

「いまちゃん、あれ、会社この辺だっけ」


 井間辺和子だった。


「仕事。大学の先生に依頼」

「著者になる人がいるんだ」


 私は坂の上を振り仰いで言った。


「そう。教授をお呼び立てするわけにはいかないから訪問してきました」


 井間辺和子は引きずってきた緊張感をほぐすように深く息を一つついた。

 それから、笑顔になって言った。


「今日はこのまま直帰なの。よかったら、ちょっとお茶でもしない」

「あ、うん、いいよ」

「用事あったら、いいけど」

「だいじょうぶ。お茶しようと思ってたとこ」


 彼女に気をつかわせてしまった。

 ほんの少しの躊躇を、井間辺和子は気付いて気を配ってくれる。

 ごめん、と心の中でつぶやいて、連れ立って歩き出す。

 

 少し歩こうと言われて、根津駅への坂道を降りてから、千駄木方面へ本郷通りを歩いていく。

 小さな図書室のあるコミュニティーセンターを通り過ぎて少しいったところの通りを左に折れる。

 道なりに進んでいくと、根津神社が現れた。


「ちょっと外の空気が吸いたくなってね」


 彼女がつぶやいた。

 神社の空気は清々しい。

 その気持ちはわかる。

 ここも緑が多い。

 つつじの季節は多くの人でにぎわうが、時期外れの今は、黄昏時ともなれば人はまばらだ。


「とりあえず、お参りしとこ」

「とりあえず、なんて、ばち当たるんじゃない」

「つい口がすべっちゃった、ははっ」


 彼女らしくもない軽口。

 退勤後の開放感からか、疲れがたまっているからか。

 ストレスをためこむほど明るくなるタイプなのかなと、ちょっと心配になる。


 御手水を使って清めてから、お参りを済ませて、境内の楼門へもどると、


「さて、と、お茶しますか」


 と、井間辺和子は楼門の裏手のゆったりとしたベンチに腰かけた。


「お茶? 」

「お茶とお菓子と」


 私が首をかしげているうちに、彼女は、ショルダーバッグから携帯ポットを取り出した。

 千鳥模様のミニ風呂敷を広げると、そこに携帯用のカップを2つ並べて、さらにこじんまりとした蓋付きの竹かごを置いた。

 ポットから、するりとねじれながら注がれたのは、ほうじ茶だった。

 あたたかみのある香ばしさにほっとする。

 竹かごの蓋をとると、手毬型の練り切りが、ちょこんと行儀よく並んでいた。


「かわいい、これ、もしかして」

「そう、作ったの。和菓子教室に通って」

「え、意外」

「お料理って気分転換にいいのよ。お菓子は、とくに。分量守ってきちんと作れば、ほぼレシピ通りに再現できるしね。気持ちいいのよ、そういうのって」


 ああ、なるほど、と思った。

 きちんとやっててもイメージ通りにならないのが仕事だものね。

 そんな単純なもんじゃないって言われてしまいそうだけど。


「和菓子は愛らしいんだよね。洋菓子のおしゃれなかわいらしさとは、ちょっと違ってて」

「ほっこりするよね」

「ああ、そう、それ、ほっこりするのよ」


 彼女は、これもお手製だという黒文字を懐紙に添えて取り分けてくれた。


「さあ、どうぞ」

「いただきます」


 繊細な幾何学模様が食紅で描かれた手毬練り切りを、黒文字でひと口大に切って口に入れた。


「美味しい。あんが甘いだけじゃなくて、なんだろ、なつかしい味がする」

「気づいてくれた、ひと工夫してるの」


 彼女はうれしそうだ。


「うーん、なんだろ、このなつかしさ。ヒントは? 」

「縁日」

「縁日って、ことは、駄菓子に使われるもの、あ、わかった、ニッキ」

「正解。日本産の肉桂を削って入れてあるの」


 こうしたささやかなこだわりは、彼女らしい。

 こだわりと気働き。

 彼女の仕事ぶりが目に浮かぶようだった。






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