第34話 泊亭と凪帆

「私、書くから」

「書くって」


 泊愛久は、もう口を開かなかった。

 それが、語っていた。

 彼女も海都社のプレコンテストに参加するのだと。

 だったら、私も言わなければ。

 

「私も、書く。書いてる」


 私の言葉に、彼女は返事をしない。

 それは当然だとばかりに、身じろぎもしない。


 風が通り抜けた。

 風は、二人のストールをはためかせて、踊らせて、絡めていった。


「面接終了」


 彼女が立ち上がると、ストールの絡まりは、するりと解けた。

 解けたストールの先を払って、肩の後ろに流すと、彼女は言った。


「これ、ありがとう。気に入ったわ。授賞式にしてく」


 まだ何も結果が出てないというのに、彼女の言葉は自分の未来を確信している。


「わ、私も、授賞式にしてく、その時は、泊亭はくていが結んで」


 あえてペンネームで言った。

 彼女がこのペンネームを使うかはわからなかったけれど。


「わかった。凪帆なぎほも、結んで」


 彼女もペンネームで私を呼んだ。


「逃げないで」


 その言葉は、少し湿っているような気がした。


「逃げない。もう、立ち向かってる」

「そう」

「書くことに向き合ってる、プロットも書いた、長く机に向かえる体力もつけた。他にも書いてる、考えてる」

「長く書けばいいってもんじゃない」

「私は、長くないとだめ。だーっと書き出して、頭ひねって、いったんまとめて、それから冷して、もう一度読み返す。それをくり返さないと、完成させられない。泊亭みたいに、頭の中をそのまま書き出せるような、そんな、器用なことできない」

「器用、ね」


 そこで私は、はっとする。

 器用、ではない、才能がある、と言いたかったのだと、私は。

 でも、口に出せなかった。

 自然とブレーキがかかって、言い変えていた。

 彼女を前に、自分が小さく遅れた存在のように感じた時に出てしまう、卑小な矜持きょうじ


「技術的なことは、みがけばいい。向き合ってるなら、そう、十年もすれば器用になる」


 十年、という言葉に私は傷つく。

 それは、今のやり方じゃ、ぬるいということだ。

 創作に向かう私の何を彼女は知っているのだ、いや、わかってしまうのだろう。

 ぬるさを、つらさを、何度も越えて、それで、あと一歩で到達するところで奈落に突き落とされた彼女には。

 

 その彼女の原稿。

 預かったまま、お守りとして、しまったままだ。

 もし見たら、チャンスが胡散霧消したり、書けなくなったり、編集さんとうまくいかなくなったりと、今のペースを保つ魔法がとけてしまいそうだから。

 プレコンテストを経て、本コンテストの最終結果が出るまで、眠らせておくつもりだ。


「十年分を一年でやる」

「意気込みやよし」

「ふざけないで」

「ふざけてない」


 言い返せずに、こぶしを握りしめる。


 一度社会生活を離れてしまうと、感情を抑える機能が低下するのかもしれない。感情の波が激しく、感覚が鋭敏になったり鈍重になったりの差が、倒れて復帰したものの社会生活をおくらなくなってから、激しくなったように思う。

 これは、創作者としては、喜ばしいことだ。

 そうした感情や感覚をはっきりと把握できて、発散、表現できるのなら、上等だ。

 うまくできなければ、社会人失格の烙印を押されてしまうが、在宅作家予備人であれば、かまわない。

 道理なのか、理屈なのか。

 書くために、作家になるために、自分の都合を優先させなければならない。

 今の私は。


「十年一日にならないように」


 泊愛久の言葉は、突き刺さるけれど棘はない。


「楽しみにしてる」


 そして、あっさりと言って、歩き出す。


「待って、もうちょっと、話そう」

「話は終わった。面接終了」

「待って、もっと話したいの、私が」


 彼女は立ち止まる。


「だったら、話そう」


 あっけなくそう切り出されてしまうと、今度は言葉に詰まる。

 彼女がプレコンテストに何を出すのか気になる。

 けれどそれはきけないことだ。

 きけば頭から離れなくなってしまうだろう。

 きっと彼女は純文学を書くのだろう。

 媚びることなく、まっすぐに、人間というものとがっつり四つに組んで。

 読みたい。

 そして、私が取り組んだものも読んでもらいたい。

 

 無言の十秒。

 話しかけておいて、何も話せずに佇む私。

 無言の圧がけれども心地よい。

 十秒後に彼女はきびすを返した。

 スカーフをなびかせ去っていく。

 振り返らずに、さよなら、と手を降りながら。



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