第31話 新文芸雑誌の創刊も視野にいれております

「はじまり、ですか」

「はい。プレコンテストは、弊社にとりましても本格的に文芸路線を敷くためのはじまりと位置付けることになっております」


 公募メインから文芸路線へ。

 これは、確かに大きな転換点だろう。

 書籍の売れない今、なぜそのような方向に舵をきろうとしているのかは疑問だが、何の戦略もなく転換することはありえない、よほど奇天烈で独裁的な経営者でない限り。多分、Web媒体への移行を念頭に置いてのことだろう。

 老舗や規模の大きな会社では関わる人間が多いだけに、紙媒体からWeb媒体への移行も腰が重いかもしれない。しかし、エンタメに特化していたり想定読者層が若者である会社は、パソコンや携帯機器無しでは生き残れない時代になってしまったという現状にすぐに反応し、そして対応して、将来を見越しているのは間違いない。


 ハードカバーや文庫本、文芸誌で育った私でも、今では本を買うのはネット書店が多くなっている。書店に並んでいる本が、売れ筋やベストセラー、現代文学ばかりになってから、一層それが顕著になった。

 かつては、図書館で内容を確認し手元に置いておきたい本は書店に探しにいっていたが、見当たらないことが多く、取り寄せでは時間がかかるため、必要に応じてネット書店で購入するというサイクルが出来上がっているのだ。


 ここ海都社は、規模が大きくなくまた若い社員も多いせいか、柔軟な試みがしやすいのだろう。

 広報誌の編集長を3ヶ月ごとに編集部全員で持ち回りにしたり、全くの無名の私のような作家志望者をピックアップして、具体的な提案で盛り上げていくなどといった試みをしたり、そしてその先には、新文芸路線。

 

「いずれ、新文芸雑誌の創刊も視野にいれております」


 波紋屋ルカが、声を潜めて言った。

 それは前後の脈絡から当然のことだと思ったが、あえて驚いた風を咄嗟に私は装った。


「そう、なんですか。そうなったら、すごいですね」

「はい。紙媒体として出せたら、本当にすごいことです」


 そこで、疑問符がわいた。

 紙媒体として出せたら?

 紙媒体でないこともありうる?


「私、実は、大学卒業後すぐは、インテリアファブリック関連の会社に勤めていたんです。入社してからテキスタイルデザインの勉強もして、営業としてはそれなりに成績もよくて、社内広報誌も任せられてたんですけど、どうしても編集の仕事をあきらめきれなくて」


 いきなりの自分語り。

 なぜ、ここで、と戸惑ったものの、「あきらめきれなくて」という言葉に、共感が首をもたげる。


「こうして出版社に転職できて編集者になって、ようやく念願だった小説の刊行に携わることのできるポジションになることができたんです」


 彼女の声はいつのまにはずんでいた。


「つまり、私の担当する作家さんの念願も叶えたいんです。これしか言えなくてお恥ずかしいんですが、全力でサポートさせていただきますので、心おきなく書いてください。凪田さんの渾身のプレコンテスト作品、読みたいです! 」

 

 デビュー前から先生呼ばわりされてはかなわないとさん付けにしてもらっていてよかったと、ほっとする。

 彼女と話していると、やっぱり引きずられる。同じ編集者でも、ゼミ友の井間辺和子とはずいぶんタイプが違うなと、改めて思う。最も、会社の雰囲気自体が違うからかもしれない。


「ありがとうございます、よろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いします」


 お願いしますの応酬を終わらせるタイミングを逸して、頭の中で「あきらめきれなくて」の言葉がこだましている。


「それでは、失礼いたします」

「本日は、お忙しい中、ありがとうございました」


 ようやく区切りをつけて、型通りの挨拶で締めくくって、私は海都社を後にした。



 建物の外に出ると、メールの着信音で我にかえった。

 「今、来てる、博士と犬」

 泊愛久からだ。


 そういえば、泊愛久のことを、波紋屋ルカにきくのを忘れてしまった。

 では、泊愛久に直接きいてみればいい。

 素直に答えが返ってくるとは思えないけれど。

 今の自分なら、臆することなく、きけそうだ。


 うかれているな。

 まだ、デビューが確定したわけでも、誌面に掲載されるという形にもなっていないのに。

 でも、手応えはあった。


 私は今日これからの目的地までを路線案内で検索すると、幾通りかある順路を見較べてから、少し頭を冷やしたいと思い原宿駅まで歩くことにした。


 ゆったりとした表参道の並木道を下っていく。

 平日でも人通りの多い歩道も、今日は疎ましく思わずにすり抜けていける。

 梢を渡る風に、澄んだ空気に、頬がなぶられていくのが気持ちいい。


 プレコンテストで目立って本コンテストに入選すれば、商業デビューがすぐそこだ。

 あとは、自分次第。


 それもうかれている原因だが、この後、泊愛久に会えるかもしれないことも関係している。

 断定はしない。

 会えないことも、十分考えられるから。

 彼女は、こんな風に私がうかれていると、小さな予定不調和の雫を落としていく。

 でも、今日は、それも飲み込めてしまうかもしれない。


 足取りの軽さは、心の軽さ。

 緊張がゆるむと、思い浮かんでくるのは、泊愛久の顔だ。

 競い合うという厳しさでさえ、彼女となら好ましい。


 そうだ、もし海都社のプレコンテストに、彼女も他の部署の推薦で出ることになっていたとしたら、どうだろう。

 勝敗のないコンテストだから、掲載レベルに到達していれば、二人揃って冊子に載ることになる。

 その誌面を見てみたい。

 そして、その次は、二人揃って、商業文芸誌に掲載されるのだ。


 また、白昼夢に浸ってしまった。




 

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