第29話 形にできなければ存在しないのと同じだ
「お待ちしておりました。お忙しいところご足労いただきありがとうございます」
初対面の時と違い、今日の波紋屋ルカは、やや大人しい印象だった。
このオフィスでは服装は自由なようで、オフィスカジュアルもスーツ姿も混在している。
そんな中で彼女は、白シャツに今日はベージュの薄手ニットをはおり、アナグラム模様のシフォンスカーフで首回りに華やぎを添えている。
ファッションはソフトだが、何か固さが感じられる。
元気がないというわけではなく、なにか神妙そうな面持ちだ。
「よろしくお願いします」
「どうぞ、おかけになっていてください。今、コーヒーをお持ちします」
簡単な挨拶を交わした後、私はソファに腰をおろした。
すぐに彼女が二人分のコーヒーを持ってもどってきた。
「コーヒー豆にこだわっている社員が何名かいるので、こちらは豆から挽いています。精米したてのお米が美味しいように、コーヒーも挽きたての豆の方がフレッシュな味わいなんですよね」
前置きのようにすらすら解説すると、彼女は、「どうぞ、冷めないうちに」とコーヒーをすすめた。
挽きたてのコーヒーの美味しさを表現するのに、精米を持ち出してきたところに微笑ましさを感じる。波紋屋ルカはその本名が個性的なように、物事の捉え方も独特なところがあるようだ。
彼女は書かないのだろうか。
最も、独創的な発想ができても、それを形にできなければ存在しないのと同じだと、サークルの先輩が言っていたのを思い出した。
よく言われることではある。
もちろんそんなことはない、それは存在しているし、たいせつにしなければならないと思う。
学生の頃は先輩のそうした考えに反発したりもしたが、作家を目指している今となっては胸に刺さる言葉だった。
小説家であれば自分の感じたこと、自分の中から生まれたこと全て言葉にできなければならない、少なくとも伝えようとしなければならない。ストレートな形の場合もあれば、構築した世界での表現の場合もあるだろう。数えきれないその過程を通って、はじめて、形にしたもの、表現したものが、ありきたりでなく、これはあなたがつくったものですね、と説明をしなくても広く伝えられるようになる。
そこに至るには、どれほど研鑽を積めばいいのだろう。
「いい香りですね。いただきます」
香りに誘われて、ひと口、ふた口。
自然とくつろいでいた。
頃合いを見計らって、彼女が口を開いた。
「原稿をありがとうございました。読ませていただきました」
「ありがとうございます」
「広報誌の方は、当初の予定通り進めさせていただければと思います。こちらは原稿料は発生しますが、無料配布物ですので、商業出版とは違うということでご了承ください」
「はい。ところで、商業出版でないことは、何かに関わってくることなんでしょうか」
波紋屋ルカはそこで居住まいを正すと、テーブル越しに、ぐっと顔を近づけた。
「ずばり、そうなんです」
本来の押し出しの強さがもどっている。
「弊社として、凪田さんを大いにバックアップしようと、先日の会議で決まりまして。そのためには、確実に商業出版デビュー作を売り上げるために、地固めをしたく思いまして、準備を進めております。広報誌もその一環です。ただし広報誌では顔見せということで、大型新人現る! と匂わせつつ、プレコンテストで編集部推薦なので彼女が大型新人かと思わせぶりに演出して、最後に本コンテストで打ち上げて、どーんとプッシュしていきましょうということなんです」
弊社として?
波紋屋ルカが編集者としてではなく?
大型新人現る?
匂わせつつ、思わせぶりに演出?
どーんとプッシュ?
話が突然大がかりになっているような。
だいたい、本コンテストで入賞できるかどうか、わからないではないか。
最終選考に残るかだって。
参加する前から弱気でいるのはまずいが、それにしても、先走り過ぎでは。
やらせではないと思う。
なにしろ、そうまでして私をプッシュしても、旨味があるとは思えない。
何が起こったのだろう。
ここのところのわずかの間に、何かが動いたらしい。
このまま流されてしまっていいのだろうか。
もしかして、泊愛久がここに来ていたらしきことと、関係があるのだろうか。
「あの、たいへんありがたいご提案をありがとうございます。ただ、先日来申し上げておりますように、私、まだデビューもしておりませんし、公募でも最終に残ることもなくて、その、過大評価されてるのではないかと、あの」
言葉を選びながら、私は探りを入れた。
相手の意向を読み取ることは不得手だったが、ここはそうも言っていられない。
こうした探り合いや駆け引きは苦手だと、言っている場合ではない。
いつも使わない部分の脳の回路をふる回転させなければ。
「不安になられるのは、ごもっともだと思います」
波紋屋ルカは、再び神妙な態度にもどっている。
「では、こちらをご覧ください」
彼女は数枚のA4用紙をテーブルに並べた。
「これは? 」
「どうぞ、ご覧になってください。広報誌用の作品を編集部内で読み合わせをしました。編集長をはじめ、編集部内全員の感想です。プレコンテスト用のプロットの分は、こちらです。プロットを見て、自分が担当したいという者も何名かおりましたが、これにつきましては、私は譲れません、私が担当しますときっぱり宣言しました」
ぎっしりと書かれた感想に、涙が出そうになった。
プロが時間を割いて、目を通してくれたのだ。
しかも、ただ目を通したのではない、きっちりと、じっくりと。
一文字一文字が、脳の、心の栄養になっていく。
「すごい、です。こんなに、たくさん。みなさん、編集者の方ってお忙しいんですよね。それなのに、私の作品のために、こんなに、真剣に向き合ってくださって」
「そこじゃないです」
「え」
「作品に真剣に向き合うのは、当然のことです。仕事でもあるし、一読者としての視点を常に持つというのも重要ですから」
「では、どこ、なんですか」
私は、首をかしげて彼女を見た。
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