第25話 テーマはペイン

 再びプロットにとりかかろうとして、机に向かう途中、床に置いたバッグに足が当たり倒してしまった。

 口の開いたバッグの中から、化粧ポーチや手帳、文庫本といっしょに、茶封筒がなだれ出てきた。

 泊愛久の一度は出版されることになっていた原稿。

 「ファースト」「初めての読者」の名誉とともに手渡された原稿が、封筒からはみ出している。


 読みたい。

 でも、今、読んでしまったら。

 影響を受けるだけならまだしも、素晴らしさに絶望して何も書けなくなってしまうかもしれない。


「とにかく、プロットだけでも仕上げてしまおう」


 あえて口に出すことで、自分に釘を刺す。

 

 無音の方が集中できる時もあるが、今はかえってポットのお湯が沸く音や窓の外を通る車や人の気配が気になってしまう。

 そういう時は、ラジオをつける。

 ランダムにかかる音楽とパーソナリティーのひっかかりのない声のハーモニーが、生活音を遮断してくれる。


 さて、BGMとは違い、ひっかかりがないというのは、小説にとって諸刃の剣だ。

 内容があれば、スムーズに読み進められる文体は、読者を物語の世界に引きずり込むための武器になる。

 一方、効果をねらっているのではなくて、ただ本当に思いつくままを話し口調で、つらつらと書いていったものは、スムーズに入っていけても、よほど内容が面白くない限り、とりとめのないおしゃべりのように、当事者以外には面白くないものであることが多い。

 スムーズさを生かせるようにするのに、ブラッシュアップは欠かせない。

 

「タイトルは、インパクトがあって、でも、わざとらしくなくて、時を経て読み継がれていくようなのがいい。それが、難しいんだけど」


 首を回してこりをほぐしながら、さらに考えていく。


「テーマを先に決めよう。タイトルがテーマそのものっていうのもいいかも。それか、主人公かな。主人公の顔が浮かべば、自然と動き出す」


 一人脳内会議を始めて、タイトル、登場人物の履歴書などをノートに書き留めていく。

 一度は社会に出て資格を持つ専門職を経験したのだから、そうしたものを背景にした主人公で描いた方がリアルさが出るかもしれない。


 リアルさ。

 そうだろうか。

 それは、ちょっと前の自分のリアル。


 自分にとっての今のリアルは、見ないようにして、置き忘れたふりをしてきた、青くさい感性の世界。

 感性というのも言い古された言葉だけれど、他にぴったりする言葉が見当たらない。


「言い古されていようが、陳腐だと言われようが、自分がその言葉でないとだめなのだと思うなら、その言葉を使えばいい」


 サークルでの自作を互いに読み合う書評会で、泊愛久が言っていた言葉。


 確かに、そうだ。

 そうなのだ。

 自分が信じてあげなくてどうする。

 自分の綴る言葉を。


「テーマは、painペイン――痛み―― 」


 私は、ペンで、A4のプリント用紙に大きく「pain」と書いて、壁にピンでとめた。

 彼女への小説のテーマは、これ以外にない。


 それから、ノートに思いつくまま走り書きをする。



・好意を持った相手に触れると、自分の痛みがその相手に伝染してしまうやまい

・だから、好きになった相手を、永遠に抱きしめることはできない。

・抱きしめたら、とてつもないペイン・ショックで殺してしまうことになるから。

・病に効く治療法もあるが、あえて治療を受けずに、好きな相手に触れずにひたすら見続けていくという、一種のプラトニックラブに溺れる人々が増えていく。

・自己完結の愛の心地よさに抜けられなくなる。

・人口の激減。

・破滅回避のプログラムの開発。



 そこまで書いて、ペンを置いた。


「なんだかナルシストSFみたい」


 そう口にして、私はページを破いて丸めると、思いっきり天井に放り投げた。

 放り投げられたモチーフの塊は、あっという間に私の膝にもどってきた。

 自分から出たものをぞんざいに扱うものではない。

 そう言われているような気がした。

 






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