第23話 その手を自分の血で染めて

 泊愛久は、他に寄るところがあるからと、私を残し帰っていった。

 新幹線のホームまで送りたいという申し出は、有無を言わさず却下された。

 その代わり、次の約束を彼女から切り出してくれた。


「今度は、読める小説を持ってきて」

「今度」

「読める小説ができたら、連絡して」

「わかった」


 モチベーションが上がる。

 

「短編はだめよね」

「公募の文字数に合うくらいの長さは欲しい」

「わかった」

「そう、それから」


 彼女は、席を立ちかけて、何か思いついたように、もう一度座り直した。


 「バランスがとれていて、社会生活をきちっとおくっているような作家の書いたものなんて、あなた、読みたい? 」


 いつも以上に唐突な提言。

 泊愛久の言葉は、決して激してはいなかったが、世相を切る鋭利さがあった。

 それが全てではないとわかっていても、その時の私は、言い返せなかった。

 

「自分を切らないことには、自分の血を自分の手で受けて染めないことには、届かない。少なくとも、私には」


 彼女から私へのメッセージ。

 社会に出てから、自分と向き合うことなどする暇もなく、したくもなく、過ごしてきてしまった私への覚悟を求める言葉。


 仕事をしていた時は、常に、明日も働けるようにと、自分のエネルギーを配分していた。

 それが、社会人として当り前のことだと思っていた。

 でも、と思う。

 ものをつくりだす、生み出す、さまざまな分野の作家のエネルギーは、決められた時間でなど発揮できるものではない。

 どのようなものにも例外はあるが、大抵は、エネルギーをじわじわととても長くためて花開かせるか、瞬間的爆発的にぎゅっと時間を縮めて爆発させるか、日常生活でのエネルギーの使い方とは違う。

 社会人としての当り前と、作家としての当り前。


「じゃあ、待ってるから」


 彼女の声が遠くに聞こえる。

 

「書くから、待ってて」


 かろうじてそう返事をして、彼女を見送った。



 私は、次の約束を前倒しにすべく、すぐに小説の構想を練り始めた。

 冷めてしまった二杯目の紅茶をぐっと飲むと、バッグにしのばせてある公募雑誌『公募サロン』をとりだした。

 目次を辿って、文章投稿コーナーの「小説賞募集」のページを開いた。


「純文学で今募集してるのは、『文芸航路』が原稿用紙換算60~100枚以内、『プレアデス』と『文螢』は原稿用紙換算40~80枚以内。となると60枚を目安にすればいいかな」

 

 今まではあまり文学賞の入選傾向などに気をはらっていなかったが、改めて調べて見ると、似て非なるものがあるようだった。

 各誌の傾向を確認して、一つのテーマでそれぞれ向けに書いてみようかと思いった。

 まずプロットを作成して、書けるところから書いてみよう。

 とにかく最後まで、まずは、勢いで書いてみよう。

 思いついて書けそうだったら、プロットを飛ばして書いてみよう。

 60枚くらいだったら、勢いで書けてしまう。

 まず書いてから、推敲しよう。

 つっかかりがあったら、やりなおせばいい。

 

 湧き上がる意欲に突き動かされるまま、ノートに書き出していった。

 大抵、後になって、勢いだけではだめだとわかるのだが、それでも、今、彼女の言葉が燃料となっている今、できることはしたいのだ。


 彼女が帰ってから小一時間が、あっという間に過ぎた。



 去り際に彼女から言われた言葉が、頭の中をめぐっている。

 胸が熱くなる。

 その熱で寝込んでしまいたくなるくらい、くらくらする言葉だった。

 





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