第19話 ミュージアムカフェで珈琲を
本郷図書館を後にして少し勾配のある団子坂を上っていくと、やがて左手に打ちっぱなしコンクリートのグレイの外観がシャープな建物が現れる。
文京区立森鷗外記念館。
明治の文豪森鷗外の旧居
「待ち合わせの大銀杏は、と」
私は奥に銀杏の木を確認すると、建物と壁の間の道を進んでいった。
途中右手には館内への入り口があったが、そこを通り過ぎ、大銀杏のある庭へ出た。
そのまま庭へ入ることはできないので、庭に沿った小径を左へ折れた。
そして、沙羅の木の碑文の前を通り過ぎ、こじんまりと整えられた庭に佇む大銀杏のなるべく近くへと寄った。
庭をはさんだ向こうには、ミュージアムカフェ「モリキネカフェ」。
表通りからは裏手になるが、庭のはずれのもう一つの出入り口からは、急な下り階段のはるか向こうに、スカイツリーが見える。
庭の一角にある銀杏の木のそばへは、立ち入ることはできない。
一冬の間、裸で過ごしていた銀杏の木は、春の気配を身に宿し始めると新芽が芽吹き、夏には青々と茂り涼を運び、秋の日を浴びる頃には黄金色に染まる。
同じ場所でくり返される季節ごとの樹木の装いの変化は、そこに住まう人の心に、何かしら訴えかけるものがあったであろう。
さて、待ち合わせの場所に指定されていたが、泊愛久の姿が見当たらない。
「銀杏の木はあるけど、近くまではいけないみたい。ここでいいのかな、待ち合わせ場所」
もしや謎かけでもされたのかと困り顔で辺りを見回したところ、その姿が目に入ってきた。
銀杏の向こうの一面ガラス張りのカフェのテーブルに、彼女が座っているのが見えた。
「なんだ、銀杏の木の見えるところ、だったのかな」
私は一人うなづくと、彼女の待つカフェへと向かった。
天高くと言いたくなるほど大きくて見上げるような記念館の扉が開くと、鷗外の横顔のシルエットが出迎えてくれる。
エントランスホールはゆったりしていて、右手にミュージアムショップと受付がある。
展示スペース以外は無料だ。
私は受付嬢に軽く会釈をして、左手奥のカフェへ向かった。
モリキネカフェ。
モリオウガイ・キネンカン・カフェの略称らしい。
それが、森鷗外記念館のミュージアムカフェの名前だ。
記念館の外に鷗外の似顔絵とメニューの描かれたボードがあったが、カフェの入り口には、メニューが掲示されている。
コーヒーをはじめとした各種ドリンクと、季節や展覧会にちなんだ和洋菓子、ドイツ留学をした鷗外にちなんで、ドイツパンの軽食もあった。
コーヒーと和菓子もいいなと思いながら、中を見渡す。
さほど広くない店内の壁には写真が飾られ、一隅には関連書籍が置かれている。
右手が厨房で、そこで注文と支払いをするようになっている。
左手がガラス張りになっていて、庭、三人冗語の石、大銀杏、そして、遠くに霞むスカイツリー。
今さっき通ってきた団子坂から庭へ向かう途中の通路には、「沙羅の木」の詩碑があり、庭を通り抜けての薮下通り側の出入り口には、当時の門柱跡の礎石と敷石が残されていて、「観潮楼址」の碑がある。
それらを眺めながら珈琲や紅茶をいただいていると、現代文学のせわしなさや提供された穏やかさとは違う、その場所で醸成された文学の時間のようなものに浸ることができる。
さて、彼女はいなかった。
客は、展覧会の図録を眺めている紳士が一人。
珈琲という文字がぴったりくるような、レトロな雰囲気をまとっている。
芳しい濃い香りが、すうっと漂ってきた。
その香りに、猛烈にコーヒーが飲みたくなってきた。
待ち合わせに遅刻して、ようやく見つけたと思った彼女を見失って、コーヒーを飲んでいるどころではないのに。
気ばかりせいて、何かを見落としてしまいそうな予感がする。
こうした、確証のない予感は、当たるのだ。
申しわけなさと、切羽詰まっている感でいっぱいの頭の中が、コーヒーの香りでほぐされていく。
ほんの5分、3分、いや、2分だけ、ここで頭を休めよう。
そうだ、遅れたおわびに、ここのお菓子を買っていこう。
カウンターに、近所の漱石の旧居址にちなんでか猫の肉球型の焼菓子があった。
いつだったか、同じようなことがあった。
降りた駅のホームに、前にはなかった新規オープンの綿菓子パフェのスタンドがあり、遅刻のおわびにと列に並び、5分の遅刻で済んだところが30分の遅刻になってしまったのだ。
列の長さはさほどではなかったのに、綿菓子の機械の調子が悪く、一つ作るたびに微調整が必要だったのだ。
一回の微調整は1分ほどだったが、2分で出来上がる綿菓子パフェが3分になることで、あっという間に時間は過ぎていった。
「これ、ありがとう」
出会いしな、彼女が差し出したのは、昨日貸した本。
分厚くていりくんだ中南米文学。
一晩で読み終えたのだろうか、この厚さを、否、彼女は今の待ち時間で読み終えたのだろう。
「ごめん。遅れた、たくさん。ほんと、ごめん」
私は両手に綿菓子パフェを持っていて、本を受け取ることができない。
「それ、もらうわ」
彼女は、本を私のバッグに押し込むと、綿菓子パフェを1本とって、顔を埋めた。
綿菓子パフェは、ふわふわの綿あめに、金平糖や、グミ、小粒マシュマロ、ドライフルーツ、スプレーチョコなどが、パフェのようにカラフルに散っている。
縁日菓子とパーラーデザートの不思議なミックスだ。
彼女だったら、絶対に買わない趣味のお菓子。
「甘くてべたべたして、うっとうしい、おいしい」
彼女が、眉根を寄せて、少し笑った。
新奇さに釣られてしまいがちな私の趣味を、彼女はいつも受け入れてくれる。
肉球の焼菓子をおわびだと差し出したら、彼女は、かつてと同じように、受け取ってくれるだろうか。
その時、メールが入った。
「展示室」
これ以上コーヒーの誘惑にとらわれる前に、私は焼き菓子を2個求めて、階下の展示室へと向かった。
階段を降りて地下一階へ。
展示室の入り口では、鷗外の胸像が、観覧者を出迎える。
凛とした佇まいに、思わず会釈。
端から見たらおかしなことだが、私は人でないものにも、例えば、近所の主のような猫などにも、挨拶してしまう。
最初のスペースは展示室1となっていた。
壁面に沿って、鷗外の生立ちとともに、ゆかりの品々や書籍などが展示されている。
鷗外の旧居「観潮楼」の跡地に建つ森鷗外記念館は、鷗外生誕150年に当たる2012年に開館した。
当時、二階から遥か彼方に東京湾を臨むことができたことからついた名の観潮楼に、明治25年から大正11年に60歳で亡くなるまで、鷗外は家族とともに住んでいた。
かつて日本家屋が建ち四季折々の草花が植えられた庭があり、文人が集い論を戦わせ歓談し、石川啄木、斎藤茂吉などの青年歌人が集って歌会が開かれ、そして親子で和やかな日々を過ごしたのかと思うと、感慨深いものがある。
森鷗外、幸田露伴、斎藤緑雨の三人で撮影した「
在りし日の鷗外はここ観潮楼から帝室博物館総長兼
博物館館長としての鷗外は、品目種別だった展示を時代別陳列方法にし、目録作成を推進したり、「学報」を刊行して研究紀要にし、学究のためにより多くの学者が正倉院を拝観できるようにしたそうだ。
図書頭としての鷗外は、宮内省図書頭として、天皇の死後に贈られる「
明治の文豪の中でも鷗外は、役所勤めと作家活動の両方をこなしていた、現代で言うところのダブルワーカーだった。
常設展を辿っていくと、同じスペースの一角に、特別展やコレクション展のコーナーが連なり、展示室2へとつながっていく。
地下といっても天井がが高いので圧迫感はなく、時間のたゆたいの中で、ゆったりと観覧できる。
これといって人が隠れられるような、視界を遮るようなもののない展示室に、彼女の姿は見当たらなかった。
映像コーナーを覗いたが、そこにもいなかった。
疲れてしまって、映写室の椅子にちょっとだけと腰をおろした。
その時に、ショルダーバッグを壁に押しつけて背もたれしてしまった。
やわらかな歪む感触が背中に伝わった。
ショルダーバッグを前にまわして、中をかき回すと、さっき買った焼菓子がひしゃげていた。
「肉球、つぶれちゃった」
このまま彼女に会えないのではないだろうか。
そんな不安を打ち消すように、私は、焼菓子の形を整えようと試みる。
ひしゃげながらも、なんとか肉球の形を保っている焼菓子を、包み紙の上から注意深くならして、元の形に戻せないかと、しばし取り組んだ。
「乾燥お肌でひびきれのできた肉球ということで」
いじればいじるほど崩れていく焼菓子に、私はさじを投げた。
そして、小さく吹き出した。
私は立ち上がると、もう一度展示室を回って彼女がいないことを確めてから、一階へエレベーターで上がった。
そこからエントランスホールにもどってきたところで、声をかけられた。
聞き覚えのある声だったが、それは、彼女ではなかった。
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