第13話 太宰とあんかけスパゲッティ
泊愛久の故郷、東海地方の温暖な海辺の町N市は、東京から新幹線で一時間ほどの、海の幸の美味しいのどかな地方都市だった。
「今、新幹線、小田原過ぎたとこ。あと30分かからないと思う、あ、でも、乗り換えがあるからかかるかな。改札、どっちに出たらいい、南口ね、わかった。じゃ、後で」
車内電話を切ると、私は席へもどって、読みかけの文庫本を開いた。
太宰治の『斜陽』。
N市には、太宰が逗留していた旅館がある。
西伊豆へ向かう途中にある海辺のその宿で、太宰の代表作の一つ『斜陽』は執筆された。
地元だからわざわざ泊まりに行くことはなかったが、みかん狩りに行く途中、バスの窓から、その宿と駿河湾の向こうの富士山とを交互に見比べたと言っていた。
ほどなく新幹線が三島駅に着き、私は東海道線に乗り換えて彼女の故郷N市へと赴いた。
N市へは一駅で、電車を降りると南口の改札に向かった。
「久しぶり」
「いらっしゃい」
駅に迎えに来た彼女は、少しやせたようだった。
黒髪は相変わらず豊かに彼女の背に流れていたけれど、いささか艶を失っているように見えた。
カチューシャ代わりのスカーフも、くたびれた色をしていた。
それでも、彼女が、飾り気のない美人であることに変わりはなかった。
「少し、歩かない」
「いいよ」
南口を出て、駅のロータリーの横断歩道を渡り、デパートの脇を抜けて町を歩いていくと、やがて大きな橋が建物の間に見えて、ゆったりと流れる川が現れた。
海、川、富士山の伏流水の水源池、富士のふもとの湖と、彼女は水に恵まれて育ったのだ。
駅からほど近い町の中を流れる川の遊歩道を、ぶらぶらと海の方へ歩いていきながら、二人は無言だった。
「この川、何ていうの」
「 K野川。上流は、鮎釣りの季節になると、にぎわう。夏は花火大会がある。河川敷に人がいっぱいになって、この橋も歩道に人がぎゅうぎゅう詰めで。子どもの頃は、花火の音が怖くて。花火を見るより、縁日の屋台をひやかす方が楽しかった」
「橋から見上げたら、真上に見えるんじゃない、花火」
「そう、首が痛くなるまで、ずっと見上げてた。買ってもらったアイスキャンディーが溶けるのも忘れて」
私の問いかけが呼び水になったのか、彼女は饒舌になった。
「このまま行くと、海。急深で、美味しいタカアシガニがとれる駿河湾」
「カニ、いいね」
「今度、食べ行こ、東京より安い、ずっと」
「賛成! 」
そちらへはまたの機会に案内すると言われ、町へもどり、老舗のスパゲッティレストランへ入った。
このレストランの名物は、シンプルでなつかしい味わいのあんかけスパゲッティ。
名古屋が本場だと言われているが、
「私が知る限り、ここN市でもずいぶん昔からあったと思う」
と彼女が言った。
母親に連れられて、よく来ていたとのこと。
母親はカルボナーラ、彼女はあんかけスパゲッティを食べていたのだそうだ。
大学時代、彼女が下宿で作ってくれたのを思い出した。
ありあわせだけど、と言って出されたそれは、彼女の味のセンスで上等な一皿になっていた。
少し太めのスパゲッティを固めにゆでて、ベーコンとしいたけと玉ねぎとピーマンをいっしょに炒めて、コンソメとウスターソースとケチャップのあんかけソースがかけてあった。
「本来はベーコンでなくてソーセージなんだけど」と、前置きをして、彼女は料理をテーブルに置いた。
できたての湯気は、ベーコンとピーマンのにおいが強く、私は鼻を摘まんでピーマンを口に押し込んだ。
ひと口食べてから、粉チーズがあるのに気付いて、慌ててふりかけた。
赤くて辛いタバスコもあり、1,2滴かけた。
タバスコのところがちょうどくちびるに当たって、ひりひりした。
それでも、美味しくて、いつも平らげていた。
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