第10話 あなたをデビューさせます
しばし彼女との過去に思いを馳せているうちに、自分の言いわけにまみれて書かないでいた日々の苦さがよみがえり、私は回想を止めた。
とにかく書くことだ。
ふってわいた長い休暇を有効に使わねば。
そう思い書くことを始めた。
始めたが、一人でただ書いているだけでは、行き詰る。
一人で書く孤独と対峙できなければ作家は続けられない。
それはわかっているが、今の私はまだ作家ではない。
誰かに読んでもらいたい。
かといって、まだ誓い合ったばかりの泊愛久や、ゼミ友編集者井間辺和子といった顔見知りに見せることにはためらいがあった。
初手から見せ合って批評し合ってブラッシュアップしていく。
学生の頃であったら、ごく自然にできたことだ。
それに、信頼があればできるはずだろうが、その信頼にすがることと甘えの境界で漂っているのが今の自分だった。
そこで私がとったのは、応募作品には必ず講評がもらえるという、とある出版社主催の公募に送ることだった。
公募部門を専門に持つその出版社は、辛辣な講評をすることで知られていたが、その分おめがねにかなえば面倒見がいいと評判だった。
確かに送られてきた講評は、目をおおいたくなるようなものだった。
ただ、辛辣であっても、納得のできるものであれば、自分の血肉として受け入れようと思っていたので、歯をくいしばって一字一句をたどっていった。
それにしても、最初の頃は、講評者との相性が悪いのだろう、ご説ごもっとも確かにぬるいところがあったからなどと、余裕をもっていたが、あまりに毎回同じような指摘が手を変え品を変え返されてくるので、ついに私は頭を抱えた。
講評に沿って改善はしているつもり、否、つもりではなく改善のあとは明らかだ。
まさかとは思うが、講評を使いまわしされてるのではないかと、不穏な疑問が頭をもたげてきたりもした。
この投稿については、泊愛久には黙っていた。
創作者を目指す以上、お互いに切磋琢磨しがんばり合うとしても、全てをさらけ出し合うのは違うような気がしていた。
ほんの少し、自分の作品への講評が正当なものなのか、彼女にききたいという甘えた気持ちがないでもなかった。
けれど、そうした時点で、彼女は私から去ってしまうような気がして、それは思いとどまった。
そんなある日、その出版社からメールが届いた。
定型のあいさつ文の後に、今までの応募作品の中の一つのタイトルと好意的な文章が連なり、そして、一度弊社へ出向いてもらえないかとの旨が記されていた。
その出版社は、
海都社は、新興ではあるがいちはやくWeb小説に目をつけ、全ての読者が作者へとなる道しるべを旗印に掲げ、公募部門を設けて着実に実績を積んできていた。
狙い目かもしれない。
若さ、新奇さ、軽さを持たない私と私の書く小説にとって、こうした老若男女幅広い層へのアピールを目指す出版社は相性がいいように思えた。
散々な講評が送られてきたという事実は、一瞬で吹き飛んでいた。
私は、先方の都合を伺いつつこちらの都合を述べて擦り合わせて海都社に赴いた。
地上に出ると、外の風が心地よく頬をなで、セミロングのウェーブヘアをなびかせていった。
私は黒のバレッタでかき上げた髪をまとめて、ふっと息を吐いた。それからショーウィンドウで今日のスタイルをチェックして、背筋を伸ばすと、表通りを背に歩き出した。
海都社は、地下鉄表参道駅で降りて小原流会館のある骨董通りへ裏道を通って行く途中のマンションに入っていた。
二階突き当りの奥の他より広いスペースの一室がオフィスだった。
入ってすぐの受付に用件を告げると、左手のパーテーションで区切られた応接スペースに通された。
なめらかなフォルムのビタミンカラーのソファ、楕円形のポップなデザインのローテーブル。すっきりとしているが冷たさはなく、あたたかみのある色調でまとめられているスペースだった。
「お待たせしました」
明るい声とともに現れたのは、白いシャツにペールグリーンの薄手ニットをはおった、パンツスタイルのよく似合うショートカットの女性だった。
首にかけた華奢なフレームのメガネに付けたグラスチェーンが、アクセサリー代わりにキラキラ光っている。
「このたびはお忙しいところありがとうございます」
差し出された名刺には、海都社公募部特任編集部、
退職してから名刺を持っていなかったが、急遽自宅プリンターで作成した名前とメールアドレスと近況報告用のブログのアドレスが印字されているだけの味も素っ気もないよく言えばシンプルな名刺を私は差し出した。
波紋屋ルカは、ていねいに両手で名刺を受け取ると、
「来月から3ヶ月間、私が編集長です。この期間に、なんとしてもあなたをデビューさせます」
と、唐突に言い放った。
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