第9話 日時計花壇の絵葉書

 それから、卒業式までは、雑事に追われて日々が過ぎていった。

 卒業式には、揃って海老茶の袴をはいて、記念撮影をした。

 謝恩会は夜だったので、それまでの間、着物や袴姿だと無料になるという美術館などをめぐって、老舗の甘味処で大正浪漫の女学生を気取ってあんみつやみつ豆を食べ、和綴じのノートで詩のしりとりをして過ごした。

 彼女が、そんなお遊びにつきあってくれるとは思いもよらなかった。

 うれしいような、そら恐ろしいような、何かあったのではと心配なような気分が、交互に訪れた。

 彼女へのそうした気疲れも、愛おしかった。

 謝恩会は都内のホテルのバンケットルームで、華やかなひと時を過ごした。

 卒業式の翌日、彼女は郷里へと帰っていった。

 職場の研修があるのだと言っていた。


 携帯機器の類を彼女は嫌っていた。

 メールもラインもほったらかしなことがよくあった。

 必要最低限な分だけは、対応していたみたいだったが。

 そうやって人を遠ざけているようにも見えた。

 SNSに深く関わらなくても、まだ、なんとなくやっていける頃だった。

 家電にかけて、と彼女は気楽に言ったが、友人の家でも気をつかうものがあった。


 私は、三月中に、一度絵葉書を出してみた。

 返事があったら、電話をしてみようと思った。

 けれど、返事は、なかなか来なかった。

 その代わり、明日から仕事が始まるという日に、電話がかかってきた。


「葉書、ありがとう。花壇の写真、明るくて、きれいだった。あれは、宮澤賢治の日時計花壇の写真?  」

「そう、当たり」

「岩手の花巻温泉のバラ園にあるんだっけ」

「写真のは、宮沢賢治記念館の隣りの斜面の公園に作られたもの。あと、花巻農業高校にもあるみたい」

「見たことあるの」

「子どもの頃、家族旅行で行ったことがある。その時に撮った写真が出てきたから、絵葉書にしてみたの」

「サルビアが咲いてる」

「だいぶ蜜が吸われてるみたいだけど」

「そう」


 彼女の声を、ずっと聞いていたくて、私は話題を探した。

 急な電話で、明日から仕事開始で、彼女と話す心の準備が私には出来ていなかった。


「そういえば、こっち来る予定あったら、教えて」

「しばらく、土日も休めそうになくて」

「そっか、そうだよね、入ってしばらくは、お互い忙しいよね」

「でも、書いてるから」

「さすが。私は、まだ、落ち着かなくて。仕事が始まれば、目途がたつと思う」

「そう」

「にしても、さすがに社会人一年目からイベント参加は、無理かもしれない」

「そう、かもね」


 彼女から弱気な発言が出るというのは珍しいことだった。

 英断の撤退をすることはあるけれど、そんな風でもないように思えた。


「また、電話する」

「私も、電話するね」

「おやすみ」

「おやすみ」


 短いやりとりだったけれど、声を聞けたのはうれしかった。

 そして、その年は、たまに電話をかけ合うだけで、何ごともなく過ぎていった。





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