第7話 サルビアの蜜 クチナシの香
彼女が私に選んだのは、サルビア、私が彼女に選んだのは、ガーデニアだった。
ガーデニアはくちなしのことだ。
クチナシと書かずにガーデニアと書いたのはなぜかときいたが、とくに意味はないと彼女は言った。
何かしら意味を見つけたい私は花言葉を検索した。一つの花に一つの言葉というわけではないので、数ある中から、サルビアは「賢明」、クチナシは「沈黙」という言葉を選んで彼女に告げた。
サークル名は「サルビアとガーデニア」になった。
「サルビアは蜜があるところが、好き」
「子どもの頃は、ほこりっぽいのに、甘いのが欲しくて、よく吸った」
「今も吸ってる」
「え、今も」
彼女は花壇を埋めて尽くしているサルビアスカーレットの花を摘まんで、花の端をくわえた。
「やっぱり甘い」
彼女に差し出されたサルビアの花を受け取ると、私も吸った。
「甘い」
「ガーデニアは、香りが甘い」
「むせるくらい甘いね、確かに」
「むせかえるくらい、くらくらさせたい、いつか、書いたもので」
「それって、目標? 」
「野望」
今は、まだ、クチナシの季節ではない。
でも、彼女の言葉には強くて甘い芳香が漂っている。
「書いたもので、悩殺するんだ」
「悩殺って、なんか古い」
「ははっ、そうだね。じゃあ、有無を言わせず、ひれ伏せさせる」
「暴君みたい」
「暴君、ね、そうかもね」
乾いた笑い。
でも、そうだ。
書いたものを冊子という三次元のものにして、人間という三次元の存在に誇示している限り、そんな野望は誰しも持っているだろう。
「で、何を書く」
「何を、って、愛久は書評で、私は本と食べもののコラムで、いずれ小説もいいかな」
「私のことは名前で呼ばないでって言ってるよね、いつも」
すっ、と彼女の棘が私に刺さった。
そうだった。
追コンの浮かれた雰囲気とアルコールが入っているからか親密な気分になっていたけれど、彼女は名字でなく名前で呼ばれるのを嫌っているのを改めて思い出した。
私は、慌てて、言い直す。
「ごめん。
「ありがとう。書評は、もう卒業しようと思ってる」
私は、彼女のことをペンネームで言い直した。
名字かペンネームで呼ばれれば、彼女はごく普通に返答する。
そして、こうやって私が言い直すたび、彼女はありがとうと言ってくれる。
それで、私は、彼女のこだわりの理不尽さも許してしまう。
「書評を卒業? 」
「自分でも、書いてみようと思う」
「小説?」
私の問いにうなづくと彼女は、喫茶店のロゴの描かれた紙ナプキンを手元に寄せると、「Salvia & Gardenia」と筆記体で記した。
「サルビアとガーデニア。とてもいい」
今日、初めて、彼女が笑みを見せた。
「サークル結成式をしよう」
彼女が言った。
いつもは大げさなことを厭うのに、時折、こうしたことを無邪気に提案する。
「いいよ。え、と、命名して、乾杯するの? 」
「乾杯はさっき散々したから、ここに、サインして。それから、もう一枚、同じように
今度は彼女が私をペンネームで呼んだ。
さきほどの紙ナプキンに、順番にサインを入れてから、もう一枚に私が、「Salvia & Gardenia」と書いて、同じように二人でサインを入れた。
私は彼女が書いたものを、彼女は私が書いたものを持つことにした。
本当に、もうすぐ社会人になるというのに、なぜだかこうした少女じみたことを、二人ともせずにはいられなかった。
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