夢から覚めて

暗藤 来河

夢から覚めて

 私は今、夢の中にいる。

 夢の中で二十二年間住んでいる町の商店街を歩く。学生時代、学校帰りに友達とよく行ったファストフード店。漫画や雑誌や参考書を買った本屋。小学生のころから通っている美容院。

 建物だけ見ていると現実と何も変わりない。少なくとも、私が知っているものと比べて違いは見つからない。


 ではなぜ私がこれを夢だと思うのか。

 それは、この世界に誰もいないからだ。八月の太陽が燦々と照りつける昼間。いくら暑いからといって誰一人外に出ないなんてことはない。百歩譲って外に人がいないことを許容したとしても、どこの店の中も無人なんてあり得ない。

 これが夢の中でなければ、すでに人類は滅亡しているんじゃないか。

 誰もいなくなったのは今朝、起きてからのことだ。昨日までは街中に人が溢れていたし、家に帰れば家族だっていた。

 それが今朝起きたら家族もいない、テレビ番組もやってない。毎日朝動画をアップしているユーチューバーも更新してない。外に出てみても未だに誰とも出会えない。

 たった一夜で私を除いた人類が残らずいなくなってしまった。

 でも、そんなことは信じられないし信じたくない。だからこれは夢なんだ。そう思うことにして、まだ見ぬ誰かを求めて商店街を練り歩く。


「まだこんなところにいるのか」

 この夢の中で、初めて誰かの声が聞こえた。

 私は慌てて声がした方に走る。さっきの声は父親の声に似ていた。いつも怒られてばかりで苦手な声。それでも藁にもすがる思いで声の主を探す。


「どうしてそんなところにいるの。早く来なさい」

 別の声が私を急かす。今度は母親の声だ。よく父親と言い争っていたときのような、ヒステリックな声。以前はこの声が聞こえると部屋に篭ってイヤホンをして、自分には関係ないと遮断していた。

 それでも今の私はこの声を頼りに走り続ける。


「ほんとに鈍くさい。こんな姉放っておけばいいのに」

 また別の声がする。私のことが嫌いな妹の声。小さな頃はお姉ちゃん、お姉ちゃんって後をついてきていたのに、徐々に私を見下すようになった妹。勉強も運動も人間関係も、全てにおいて私なんかよりうまく出来た。厳格な父親もヒステリックな母親も妹だけは可愛がっていた。

 私にとっては劣等感と憎悪をこの身に刻みつける声だった。

 それでも声がする方向へ進んだ。


 三つの声は同じ方向から聞こえた。私をどこかへ導くように、迷う度に声をかけてくる。

 進んでいくうちに行き先の見当がついた。もう声が聞こえなくても迷わず進める。

 不思議と疲れは感じなくて、走る速度は上がる一方だった。


 そして目的地にたどり着いた。

 そこは、私が以前勤めていた病院だった。

 勤めていたと言っても一ヶ月だけ。私は看護学校を卒業して、看護師としてこの病院に就職した。

 でもバイトもしたことのなかった私は社会の厳しさや働くことの大変さに一ヶ月で心が折れてしまった。

 仕事を辞めて、引きこもり生活が始まり、そのままずるずると生きているのが今の私だ。


 この夢は家族の思いだ。

 もう一度外に出て働いて、元気に生きて欲しいという願いが生んだ夢なんだ。

 私にこんな夢を見せるほどに彼等は私のことを想ってくれていたのだ。

 ならば私も目覚めなければならない。いつまでも夢の中に引きこもらずに、外の世界へ飛び出さなければならない。


 そう自覚した途端、世界が急速に遠ざかる。夢の中から追い出される。全てが遠ざかりきって、視界が暗転した。


 目を開けると、そこは私の部屋だった。現実の世界に戻ったのだろうか。起き上がってリビングに行く。壁に掛けられた時計を見ると午前十時。家族はみんな仕事や学校に行っているのだろう。

 とにかく人が生きていることを確認したい。動いている人を見たい。夢の中では結局声だけで姿は見えなかった。

 生きている人を見て、現実の世界に戻ったことを実感したい。その一心で外に出た。


 その瞬間、私の体は宙に浮いていた。一瞬思考が停止する。

 前方には一台の車がいた。ちょうど外に出たところでその車に撥ね飛ばされたのだ。

 車の運転席には驚いた顔の中年の男性がいた。


 ああ、良かった。ここは現実の世界なんだ。


 そう思ったところで私の体は地面に落ち、二度と動くことはなかった。


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