最終話 また、会うときは

 この星の梅雨は長い。

地球の暦で五月から七月いっぱいの三ヶ月間。

雨は降り続ける。

空は絶えず灰色の雲で覆われ、日照不足で作物が育たない。

それでも育つ物を育て、生産するのが農家というもの。

そう光磨は考えている。

ツカサがここに来て、マータが暴れてから二ヶ月。

音喜の祖父から聞いた【道】の話から、ツカサは時々考え込むようになった。

地球に残した姉が気になるのだろう。

祖父の前では、ここに残ると言っていたツカサだったけど。

まだ、迷いはあるのだろう。

でもそれを、光磨は聞かなかった。

聞くべきなんだろうけれども、踏み込むのかどうしようか迷ってしまった。

そして、ツカサが首都へ向かう八月が迎える日まで。

光磨は不安を振り払うように、一緒に遊んだ。

雨の日の中をずぶ濡れになりながら、駆け回ったり、泥を投げつけたり。

光磨の農家の手伝いをしたり、鼓動の家の給仕をしたりと。

失敗もあって怒られたこともあったけれども。

楽しそうに笑って、光磨たちも嬉しかった。

だから。

ずっと続けばいいのに。

マータはあれから元の大きさに戻って、音喜の家で保護されている。

また、騒ぎになったら困るからだろう。

そして、あの日。

騒ぎになった原因を、機械の暴走と処理された。

ツカサは全くの無関係で、塚本を浚ったのも彼が原因だったから。

確かにその通りだけれども、光磨にモヤモヤする気持ちがあった。

間違ってはいないし、けど。

マータからしたあの声の主についての説明はなかった。

その間、ツカサは自分と鼓動と音喜の家へ順番に泊まった。

同じベッドに入って、今日あったことをとりとめなく話したり、星を眺めたり。

村にいる同年代よりもずっと、近くて。

鼓動とは違う距離感に、光磨は時折泣き出したいのを堪えていた。

胸がひりひりと痛む。

八月が近づけば、ツカサは行ってしまう。

この雨期が早く開けてほしいと思いながらも、あけてしまわないでほしい。

「このまま、時間が止まればいいのに」

雲の合間から見えた星を眺めながら、ツカサは言う。

俺もそう思う、って言うと彼は笑った。

雲間から見える星のきらめきみたいな柔らかい笑み。

それをツカサとのお泊まりが終わって、一人でベッドに付くと思い出す。

時間が過ぎなければいいのに。

このまま、ずっと続いてくれれば。

そして明日。

光磨にひっそりと告げられていたツカサの出立が、明日。

最後の夜ぐらい一緒にいたかったのに。

首都から来た役人の相手をせねばならず、彼らと共にいることになったから。

早々に家へと返された光磨と鼓動を、音喜は申し訳なさそうに出立時刻を告げた。

「コーマ、元気してる?」

「鼓動……」

二人だけの帰り道。

雨は降っていたから傘を差して、並んで歩く。

「ツカサ。明日行っちゃうんだよね。やっぱり、寂しいよね」

「寂しいに決まってるだろう!」

思いのほか大きな声に、鼓動が驚いた顔をする。

でも次に浮かべたのは泣きそうな顔だった。

たぶん、自分も同じ顔をしている。

「笑える、かな」

雨音に消されそうな声で呟く。

「自分でもわかってんだよ。でもさ、やっぱり、寂しいし、行ってほしくねぇ。また、いつツカサと会えるのかもわかんねぇ」

「コーマ」

この村は外部からの出入りは、業者の人間が来るだけ。

それ以外の光磨たちと年の近い子供が来ることは、滅多にない。

あの日のあの夜に、駆け出したのだって。

同い年ぐらいの子が乗っているかもって思った。

仲良くなってずっと、このまま、遊んでいられたらって、思ってた。

「ぼくもさみしいし、悲しいよ。だから笑って送ろう。ツカサだって、寂しいし悲しいに決まってる」

いつから鼓動がツカサのことを呼び捨てにするようになったのかなんて。

考えるのもあほらしいことで。

涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を、光磨は鼻を啜りながら頷いた。

今、いっぱい泣いて置かないと当日。

笑顔で見送りなんてできなかった。



***


ツカサ出発当日、零時を過ぎた頃。

確か、昼からだったはずと思いながら光磨は自室のベッドで寝返りをうつ。

朝も明けきらない薄闇のなか、カーテンの隙間から漏れる光から逃れるように。

背を向けて、ずきずきと痛む頭を抑えた。

鼓動と別れた後も鬱々とした気持ちは晴れず、夕飯も食べることなく、布団を被って。

丸くなった。

そこで自身が震えていることに気づいて、止まったと思われた涙はまた流れて。

泣き疲れては起きて、また泣くを繰り返した。

こうして時間は過ぎて、ようやく。

落ち着いたところだった。

こんな状態でツカサに会ったとき、ちゃんと笑えるのだろうか。

心配させるのが分かっていても、笑うことができなかった。

そこへ光磨の思考を中断させたのは、聞き取れるか分からないほどの微かに。

自分を呼ぶ声だった。

「コーマ」

きっと、眠っていたら気づかないほど。

「ツカ、サ?」

首を傾げつつ、慌てて飛び起きる。

くらりと目眩がして、傾きかけた体を起こす。

そして。

カーテンを引いて、窓を開ける。

八月の少しだけ蒸すような陽気が、体を包み込む中。

ツカサが、ぽつんと立っていた。

光磨に向かって手を振りながら、下に降りてきてと合図を送る。

小さく小声でツカサに伝えると彼は、唇に人差し指をあてた。

その仕草が胸をどきどきさせるほど、ギュッときて。

光磨は、はやる心臓を宥めながら着替えるのが大変だった。

足音を立てずに苦労しながら階段を降り、廊下に出て玄関へ向かう。

どうしたんだろう。こんな時間に。

今更ながら、ツカサに対しての疑問を矢継ぎ早に思い出しながら急ぐ。

そして、玄関の戸を開けるとツカサは苦笑しながら近づいてきた。

「こんな時間にごめんね。これぐらいしか時間がなくてさ」

申し訳なさそうにツカサは、光磨の手を取った。

驚く光磨をよそに、いたずらっ子のようにツカサは手を引いて歩き出す。

どこへ行くのかも告げられないまま、付いていく。

繋がった手と手が、しっとりと互いのぬくもりを伝えて。

ツカサが緊張していることに、光磨は我知らず顔を赤くした。

不安と緊張を混ぜながら、ツカサの目的地は森であることを悟った。

「あのね。もう行かなきゃいけないんだ。そしたら、コーマくんたちにはたぶん。簡単には会えなくなるとおもう。だから、さ」

胸がギュッとなるような切なさに、光磨は涙が溢れそうになった。

自分はこんな泣き虫だっただろうか。

ツカサと離れるのがこんなにも切ないなんて。

この世の終わりのようで、光磨はツカサとつないだ手に力を込める。

するとツカサもぎゅっと握り返してくれたから。

しばらく、いつかは分からないけれども会えなくなるのがどうしようもなく、悲しかった。

やがて。

ツカサは、宇宙船が墜落した場所へと辿り着いた。

もう穴もない。

火事で焼かれた木々たちも、すっかり元通りになったその場所で。

ツカサは光磨に振り返った。

つないだ手は、離さないまま。

むしろ、両手で光磨の手を握って唇の方へ持って行く。

「ありがとう。君と会えてすっごく嬉しかった。同い年の友達とこんなふうに、青空の下で遊べることがすっごく、すっごく、嬉しかった。コーマ」

光磨の瞳を真っ直ぐ見詰めて、ツカサは一つ一つを壊れ物でも扱うように紡ぐ。

そんな言葉を贈られた光磨は、ただ無言でツカサの言葉に耳を傾けていた。

ぽろぽろと涙が零れる。

寂しい、行かないで、と言いたいことを堪えて。

自分とは違う黒い髪に、黒い瞳。

整った顔立ち、外で遊ぶようになって日焼けした肌は白かった色は徐々に染まる肌色に。

つま先から競り上がるぞくぞく感に、光磨は包まれる。

つながれた手は熱を持って、力が抜けるように甘く、切なく。

ツカサは、友達だ。

そして憧れだった。

長い睫、それが徐々に開ける光に影を作って、髪が頬に沿う瞬間。

病室で本をめくり、こちらに向かって微笑むツカサが。

光磨にとって、とても美しく、夜空に輝く星のように見えたこと。

「ツカサは、俺の友達で、あこ、がれで、希望、だった」

最初は物珍しさから、雨の中、満足に外へも行ける苛立ちと嫌悪を。

外で遊ぶ時の彼の無邪気さや明るさに惹かれたこと。

光磨は、うまく伝えられなくて袖で何度も涙を拭う。

その腕をやんわり、ツカサに捕まれてハッとして、光磨は顔を上げた。

「うん。知ってる」

そうツカサに告げられて、光磨は恥ずかしさと嬉しさで胸が熱くなった。

ツカサが目元を柔らかくさせて、小動物に向けるような慈しみを光磨に向けて。

「短い間だったけど、友達になれてよかった」

小さく吹き出してから、ツカサは光磨からゆっくりと手を離した。

「また、ね」

手を離される。

気づいたら、ツカサの後ろに馬車が止まっていた。

穀物などを運ぶ実用重視なものではなく。

よく手入れされたウマを四頭、物語に出てくるような華美な装飾を施された箱。

その箱の窓からは、塚本の姿があった。

俯いていて表情は伺うことはできない。

「なぁ、また、会えるよな!また、会って、遊んだり、できるよな?」

光磨は、ツカサの後ろ姿に向けて叫んだ。

このまま、離れてしまうのは悲しかった。

ツカサはまるで、二度と会えないような、そんな気がする。

約束が欲しかった。

また、会えるという確固たるもの。

光磨とツカサをつなぐ、目に見えるもの。

「………」

ツカサの無言の返答で、光磨は恥ずかしくなった。

二度と会えないわけではないのかもしれない。

でもそう簡単に連絡を取れないことは気づいていた。

でも、でも。

それでも、割り切れない心はぼろぼろと涙を光磨に流させた。

三つ子のように駄々をこねるように、左右に首を振って。

「コーマ。空を見上げて。僕を、思い出して。僕も、思い出すから」

ずっと友達だから。

っと、か細い声で光磨に伝える。

胸が苦しくて、息がうまくできなかった。

「ツカサ!」

名を呼んでも、ツカサは光磨の方へ振り向かなくて。

光磨はあぁと、力尽きたように膝から崩れ落ちる。

落胆と腑に落ちたような感覚に、ただ呆然とツカサを見送る。

ツカサが箱に乗って、走り去るまで何も言えないまま。

光磨はバカみたいに見送って、涙を流し続けていた。

心の中にぽっかりと穴が空いたみたいで。

そして腑に落ちたような感覚を、光磨は持て余していた。

一体何が、腑に落ちたのかは分からない。

けど、もしまた。

ツカサに会うことがあれば、この時の気持ちを分かっていたいと思った。

もっと今より、自分の気持ちが分かるようになっていた自分を。

光磨は、涙を拭った。

ようやく周りに目を向ければ、日が高くのぼっていた。

「うわぁ…………うそ、だろう」

目が痛い、頭もガンガンするし、ずっと座り込んでいたから体も痛い。

「よし」

ふらふらする視界と体を起き上がらせると、光磨はようやく。

歩き出した。




【完】



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地上の星 ぽてち @nekotatinoyuube

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