東京タワー

Kana

東京タワー

 放課後だというのに未だ照りつけている太陽の光のせいか、教室の窓から見える東京タワーは、いつもより若干赤く、大きく、その体を白い陽光の中に委ねていた。

「ねえねえ、東京タワーっていくつあると思う?」

私は唐突に、いつも一緒に帰るサチに聞いた。

「いくつって、そりゃあ東京タワーはひとつでしょ。ほら、あれ」そう言って東京タワーを指差し、笑うサチに私は言った。

「そう思うでしょう?それがね、うちには東京タワーが数え切れないくらいあるんだよ」

 

 家に帰ると、まず真っ先に父の部屋に行く、これが私の日課だった。東京タワーの絵でいっぱいの、父の部屋。

「ただいま!」

私は、壁も床も本棚の上も机の上も箪笥の上も、東京タワーで敷き詰められている父の部屋の、東京タワーが敷きつめられているベッドに背中からから思いっきり飛び込んだ。

「痛い!東京タワーが刺さったよう!」

「ごめんごめん。じゃあ今度からてっぺん丸く描くから」

父は描き中の東京タワーから目をそらさず言った。

「それじゃ東京タワーじゃなくなるじゃん」

 父は一日中ずっと東京タワーの絵を描きつづけていた。それがなぜなのか、いつ頃からなのか私は知らないが、少なくとも私が物心ついた頃にはもう家の中は東京タワーでいっぱいだった。絵は飾るわけでもないし、もちろん売るわけでもない。父の部屋に、全く同じ大きさの画用紙上の、全く同じ真正面を向いた東京タワーが積もっていくだけである。

 働くことが大好きな母と結婚し、私が生まれ、父ははじめて東京タワー以外の絵を描いた。それは赤ん坊の私の顔であった。その絵はお世辞にも上手いとはいえないが、いまでも大事に私の部屋に飾ってある。

 父は母にも優しいし、私のことも大事にしてくれる。そんな父は食事、入浴、トイレ、睡眠、そして家族と話す時以外はいつでも、どこでも、東京タワーを描いているのだ。

 私が唯一合格した高校が以前住んでいた八王子から遠かったので、母の職場に近くなることもあり現在住んでいる港区に引っ越してきた二年半前、私は晴れた日にはくっきりと東京タワーが見えるこの家に住むことになって、父はさぞ喜ぶであろうと思った。しかし父は東京タワーを見ようとはしなかった。いや、見る必要がないのかもしれない。自分の描く、真正面を向いた東京タワー以外は。

 父は東京タワーを見たことがあるのだろうか?私は、壁に寄りかかって東京タワーを描く、父の体に差す光が創った、影の透明から眼を逸らすことができなかった。

      

     * * *

 病室の窓からは、夏の終わりを惜しむかのように葉を辛抱強くとまらせた木々しか見えなかった。停滞した空気に混じった濃密な緑のにおいは私を息苦しくさせた。

 私は夏風邪をこじらせ入院していた。小さい頃からあまり丈夫ではなかった私は、風邪をこじらせたり肺炎になったりしては、短期間ではあるがよく入院をしていた。

 隣のベッドの、薄桃色の寝巻きに身を包んだおばあさんが「おねえなんこれなべで」と入れ歯を外した口を動かしながら、私にひとつの甘夏を手渡して微笑んだ。かわいいなあ、おばあちゃん、と心の中でつぶやきながら「どうもありがとうございます」とそれを受け取ったとき、病室のドアが開いた。

 決して大きくはない体をさらに小さくさせながら、画用紙と鉛筆を小脇に抱え、小さいバッグを手に提げた父が少しだけ開けたドアをひょっこりすりぬけてきた。

「こんにちは、良いお天気ですね」などと相部屋の患者さんたちにあいさつしながら、六人部屋の一番奥の、私のベッドにやってきた。

「お父さんこれ、頂いたんだよ」と私が甘夏を見せてかわいいおばあちゃんのほうを見ると、父は「それはそれは、どうもありがとうございます」とおばあちゃんに会釈した。

「よかったねトウコ、窓際で。真ん中だと気遣っちゃうもんな」と父は私の耳元で小声で言った。

「そうだね、でもどうせすぐ退院しちゃうし」

「さっき先生から聞いたけどあさって退院できるんだな、よかった」

 父は私に体の具合などを聞き、落ちつかない様子でベッドの横の丸椅子に腰掛け、画用紙と鉛筆を取り出した。小刻みに画用紙上をすべる鉛筆の音で、停滞していた辺りの空気がまた動き出したかのようだった。

「ねえ、なんで東京タワーは東京タワーなのに、エッフェル塔はエッフェル塔なの?」

「どういうこと?」父は手元を見たまま言った。「だからね、なんで東京塔、エッフェルタワーじゃないのかってこと。混ざってて変じゃない?」

「でもマリンタワーもあるよ?」

「だってあれは横浜マリンタワーだもん」

「だって横浜海塔じゃおかしいだろ?」

「そうだけどさあ。ねえ、じゃあさ、東京タワーっていつできたの?」

「知らない」

私は笑った。お父さん東京タワーばっか描いてるのになんにも知らないんだね。

 私が物心ついた頃から父は東京タワーを描いていたので、私はそのことに対して違和感を持たなかった。しかしもちろんどこの家庭も父親はみんなずっと家にいて、とり付かれた様に東京タワーを描いていると思っていたわけではないので、中学生のころは無邪気にその理由を聞いたこともあった。働かずに家にいる父をうとましく思ったことも少しはあった。しかし父は私の問いに決して答えようとはしなかった。高校生になり、少しは自分の父親を客観的に見られるようになって、私は父が、なにか得体の知れない重いものを背負っている、脆い存在であるように思えてきて、それ以来私が父に東京タワーを描く理由を聞くことはなく、中学時代の自分の言動をを後悔するようになった。

 あっというまに私のベッドの周りは東京タワーでいっぱいになった。リズミカルな鉛筆の音が子守唄になって、私はあっという間に眠りにおちていた。


     *  *  *

 たった五日ぶりだというのに教室になじむには少し時間がかかった。教室の喧騒がいつもより大きく感じた。

 私が所属しているギター部で、後輩たちが七月に催してくれた卒業生送別会のお礼の演奏会を、私たちは一週間後にひかえていた。高校三年生は就職活動や大学受験のために、殆どの生徒たちが部活動を二年生までで終える。サチを含め私のギター部の同級生たちもみな二年生で部活動をやめていた。しかし送別会のお礼くらいはしようと、一週間後の土曜日の夜、講堂を借りてミニ・コンサートを開こうという事になったのだ。私は就職したいのかも、推薦で付属の大学に行きたいのかも、他の大学や専門学校に行きたいのかも全く分からなかったし、自分は何がしたいのかも、何が向いているのかも、いくら考えてもさっぱり分からなかったので、三年生になっても部活動は続けてもよかったのだが、さすがに同級生みんなが部活を引退し自分が決めた進路に進むための準備をしているのを見ていると、そういう気持ちにもならなかった。

 私はしばらく練習に参加できなかったことにうしろめたさを感じていた。自分が教室に入った時のみんなの反応やそれに対する自分のリアクションを頭の中で何通りか想像していたが、勇気をふりしぼってみんなが練習している教室に入った。

「トウコ、大丈夫?もう具合いいの?」

サチが私の姿をみとめると跳ねながらやってきた。

「うん、ごめんね、しばらく練習に参加できなくて。でも本番休むほうがみんなに迷惑かけるし用心したの、もうぜんっぜん大丈夫!今日からがんばるね」

「でも無理しないほうがいいよ。本番に出られたらいいんだしね」サチが言った。

「今日も休んだら?本番は休まないでね」とヨシコが言うと「トウコ休まないもんね」とサチが私に申し訳なさそうな顔を向けた。

「なんでこんなにあったかいのに風邪引くの?」と笑うタカシに「あったかくても体温調節むずかしいよう」と返すサチを見て、私は少し嬉しくなって、とても可笑しくなった。


 学校帰りに、私とサチは新橋まで足を伸ばして寄り道をすることにした。ゆりかもめ乗り場の現代風の佇まいが周りから浮いていた。

サチのゆりかもめに乗った時の話が、公衆電話の横に座っている女性のホームレスに気を取られて上の空になった。

 私たちは、たまに行くケーキが百五十円の喫茶店に入った。サチに休んでいる間に配布されたプリント類の説明をしてもらうためだ。

小学校の頃は数日休んだくらいではなんの変わりもなかったのに、中学、高校、と大きくなるにつれて、時間がたつのが早くなり、周りも目まぐるしく変化するようになる。父はずっと変わらず東京タワーを描きつづけているというのに。

「なんでもかんでも、変わらなかったらいいのになあ」

私はサチに渡されたたくさんの配布物の中の、

最終三者面談開催の知らせに目を落としてつぶやいた。

     

     *  *  *

 日曜日の朝は早く起きて家の前を掃く。これが今年の正月からの私の役目だった。日曜日はいつもより空気が明るいが、街は閑散としているせいかどこか寂しげであまり好きではない。

 クシャッという何かを踏んだ妙な感触がして足元に目を遣ると、セミの死骸だった。驚いたのと気持ちが悪いので泣きたくなったが、薄目を開けて箒でちりとりへと運んだ。しかしよく見ると、家の前にはもう二つ、セミの死骸があった。来週はもっとたくさんの死骸が落ちているのであろうか。そういえば落ち葉の量も心なしか増えたような気がする。私はもう一度死骸をよく見ておかなくてはならないような気がして、眼で歪んだ輪郭をなぞった。

 ゴミをまとめて家に入ると、父が起きて家中の掃除をはじめていた。父の掃除の仕方は尋常ではない。掃除機をかけ、水ぶきをし、アルコールで浸した布でありとあらゆるものを拭いてまわるのだ。父は普段もアルコールが手放せなかった。しょっちゅう手を洗うし、ごくごく稀に出かけた時に外で地面にかばんを置くのも嫌がった。そして毎週日曜日には家中をアルコール漬けにするのであった。

 私は強迫されているかのように隅から隅まで掃除をする父の姿を見るのがなんとなく、少し厭だった。もしかすると、昔から日曜日があまり好きでないのはこのせいかもしれないと、ふと思った。母はたまに父のアルコール漬けを手伝おうとするが、父は絶対に自分でやらなければ気が済まなかった。

「分かってるんだけどね、ついねえ」と母は私に言うのだ。

 

 私は昼食のあと、三者面談のことを両親に話した。父は東京タワーを描きながら聞いていた。面談には仕事が休みなので母が行くことになった。

「で、決めた?どうするか」と母が私に気を遣った柔らかな口調で聞いた。父も母も、私にこうしろああしろ、と決め付けるように言ったことは、今まで育ててきてくれた中で一度もなかった。だからといって無関心なわけではなく、いつも気にかけ心配してくれたし、相談をすればアドバイスをくれたし、私が何か決めたら全面的に協力してくれた。

「私、これだけは絶対人に負けない、ってものもないし、なにがしたいのか考えても考えてもまだよくわかんないし、そのせいにするわけでもないけど、体力的にバリバリ働く自信もないし。でも、もうみんな決めててさ」

全く泣くつもりはなかったのに私の目からは涙が流れ落ち、予想もしていなかったことに自分でびっくりしてしまった。私は「御茶ノ水にギターの弦買いに行ってくる」と取り繕うように言い、立ちあがった。

「お、お父さんも行っていい?」

父がぎこちない口調で言った。

     

     *  *  *

 御茶ノ水駅を降りて駿河台下方面に走る大通りには楽器店が立ち並び、ギター部に入ってからは行きなれた街となった。父はめったに遠出をしないので、大通りの埃と排気ガスを嫌がりながら、私の顔色を覗いながら、私の横をぴったりとついて来た。父は画用紙も鉛筆も持っていなかったので、なんだか別人のように見えた。ギターの弦を買うつもりなどはじめからなかったので、私はばつが悪い気持ちで歩いた。

 ふと大通りの右側を見遣ると、往来の車の向こうに大学の校舎が見えた。校門の前には、政治改革や憲法改正などについて、ハレーションをおこしそうな派手な色で書かれた大きな看板が所狭しと並べてあり、私はその迫力に圧倒されそうになった。電車の中からずっと父と会話がなくきまずかったので、私は父に話しかけた。

「お父さん、あれ、すごいね。覚悟、とか決意、とかいう言葉が浮かぶよ。あれは学生運動って言うんでしょ。今でもやっている人たちがいるんだね、凄い。」

「うん。お父さんも七十年代はやっていたよ」

さりげなく、でも確かな口調で発せられたその言葉に、私はびっくりした。昔の学生運動の映像はテレビで見たことがあったので、なおさらだった。まさか父があんな活発で行動的ななことを?

「十代の頃はそれが全てだったんだ。人生をかけていたんだよ、もちろんみんなそうだったわけじゃない。でも、お父さんはそうだったんだ。人を傷つけることは絶対しなかったけど、その頃もうお母さんと付き合っていてね、お母さんを危ない目に合わせてしまったこともあるんだよ。友達と言い争ってしまってねえ」

そう話す父の顔は、恐ろしく無表情だった。一瞬時間が止まったような気がした。

「絶対世の、人のためになるんだって思ってた。本当に人生をかけてしまったなあ。でも、ある程度の年になったら、周りの友達はみんな就職したり、結婚したりして、落ちついてしまったよ。お父さんも就職しようとしたけど、何故かどこにも引っかからなくて失敗しちゃった。お父さん、こんなに賢いのになあ?」

そう言って父は笑った。眼は、笑っていないように見えた。父の口調はいつもより強く、声も大きかった。私の中での父は、いつも穏やかで静かな小さい声で話し、家の外へ出ることすら殆どしない、おとなしい人だった。私はそれとは全く正反対の父の一面を、初めて見せられ、とても怖くなった。.

「その頃、東京タワーを描いていた?」

私はその恐怖を解こうと、頭に浮かんだことばをただ発した。

「いいや」

父は微笑んだ。

 

 そのころは東京タワーを描いていなかった   

 

 お父さんは全く変わったのよ、ある時期を境にね。という母の言葉を思い出した。

 人生をかけ、全ての情熱を傾けていたものが、ある日自分の手のひらからするりと抜け落ちていった時、父はどんな気持ちになって、一体どんなことを考えたのだろう。父がいつも何かにおびえているようで、どこか哀しいわけが、分かったような気がした。昔の父を知らない自分、父になれない自分が、かなしい。

 再び沈黙が戻り、しばらく聞こえていなかった車の走る音やクラクション、人の話し声などの喧騒が聞こえるようになった。

「世の、人のためかあ。じゃあ私なんてなあんの役にもたってないや」

ふと見上げると、街や人を窓ガラスに映した近代的なぴかぴかの高層ビルが、眩しすぎる太陽の光を乱反射させていた。


     *  *  *

 私なんてなあんの役にも立ってないや。数時間前に自分が発した言葉を何故か何度も反芻しながら、私は父の部屋に入った。すると父の姿はなく、昼間は何千枚とあった東京タワーが、わずか数枚散らばっているだけだった。父は家中捜してもいないので外へ出ると、なにかが燃える匂いがした。その匂いとけむりをたどっていくと、家のすぐ近くの公園で父が焚き火をしていた。暗かったが背中を丸めたシルエットですぐに父だと分かった。シルエットは夜の黒より黒かった。

「お父さん」

父は豆鉄砲を食らったような顔を私に向けた。

「お父さん、たまに溜まった東京タワー、処分してきたって言ってたけど、ここで燃やしてたんだね。私、はじめて知った。」と私は炎を挟んで父の向かい側に座って言った。

「うん、足の踏み場、なくなっちゃうからね」

父の顔は炎の向こう側でゆれていた。

「手伝うよ」

「うん」

私と父は白い炎の中に、一枚一枚東京タワーを送りこんだ。

「東京タワー入れると炎が赤くなる。きっと東京タワーの色だ」

反応がないので父の顔を見ると、父は目に涙をためていた。煙のせいかな、と思ったが、涙はどんどん父の目元に深く刻み込まれた皺をつたい、ほおをつたい、父は肩を震わせ、しかし声は出さずに泣き始めた。私ははじめて見る父の涙に、どうしていいのか分からなかった。泣くばかりでしばらくなにも発さなかった父の口から、やっとことばが搾り出された。

「お父さん、かなしいのがないと、やってけないんだよな。思春期の青少年じゃあるまいし、馬鹿だなあ。」

私はむねがいっぱいになり、のどがいっぱいになり、何も吐き出すことが出来なかった。何十年にもわたって蓄積されていく画用紙の束は、蓄積されていく父のかなしみだった。

「お父さん、トウコが笑って元気でいてくれたらいい」

私は涙で何も見えなかった。お父さん、もちろんこれからも東京タワー描くでしょ。私は心の中で言った。

 父と私は目の前の東京タワーの山と、炎の中の東京タワーを見つめていた。

「私、マリンタワーを描きつづける人になろうかな」

まんざらでもなさそうに笑う涙でぐしゃぐしゃの父の顔がなんだかかわいく見えて、可笑しかった。涙だらけのお互いの顔を見合って、私たちは笑った。

「泣きすぎ泣きすぎ、涙で消火して家戻ろう」

私はそう言って鼻をすすったが、もうしばらくこうしていよう、と思った。

 一匹のセミが、夏の終わりの夜に力強い泣き声を響かせていた。

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