女子高生髭を剃る、そしてスカートを脱ぐ

深川 七草

新しい制服とよくある教室

 高校に入学してから二回目の日曜、家電量販店へ行くため電車に乗っていた。

 一緒に来たお父さんから少し離れドア付近に立つ。

 連れてきたのは別に仲がいいからではなく、初めて買うので何となく一人では嫌だったからだ。


 お店に着くと、美容家電のコーナへ向かう。ヘアアイロン、電動歯ブラシ。

 それらを通り越し父が言う。

「これぐらいでいいんじゃないか?」

 刃が横に長いもの。丸い刃が三つあるもの。自動洗浄機付きと書かれたもの。

 たくさん並ぶ中から小さめの、そして安めのものを選んで言われたような気がする。

 けど、これで十分だ。

「うん」

 わからないからそのまま返事をした。

 産毛みたいなもんだし、毎日剃るわけでもないから平気かな。


 家に帰り、部屋でさっそく試そうと箱を開けるも使えない。

 うーん、充電する必要があるらしい。

 ならば、コードをつなげコンセントに差し込むだけである。と、その時、シェーバーを買う気にさせた、ビニールに包まれた制服が目に入る。

 吊っておかないとプリーツがしわになるかな?

 もちろん、入学する前に男子用の制服も一式買ってもらった。

 でも、学校で騒ぎを起こしたから……。


   🌸 🌸 🌸


 桜の木に若葉しかない入学式が終わってから五日。

 教室の空気は新鮮さを失いつつあった。

「今日ぐらいから授業始まるよねぇ?」

 背もたれを前にして座る田辺たなべに愚痴る。

筒井つつい、そんな憂鬱なこと朝から言うなよ」

 出席番号順で並んだということだけで友達になっていた。

「なあなあ、女子がズボン履いていいなら、男子がスカートを履いてもいいよな?」

 僕は、窓側にたむろしている女子たちの方を向いてなんとなしに口にした。

 ただ、田辺が答える前に女子たちに睨まれてしまう。

「じゃあ、履けば?」

 嫌味で言ったわけではなかったけど、隠すつもりもなかったので普通に聞こえてしまったようだ。

「筒井なら、似合うんじゃない?」

「髪サラサラだし、背、高くないしね」

 女子たちが言うように、別に伸ばしているわけではないけど髪は耳に掛かるほどあったし、背丈もギリギリで普通の範囲というぐらいだ。

 ちょっと馬鹿にされているみたいだけど、輪の向こうにいる三好みよしさんを見て口を滑らせた僕が悪いのだからしょうがない。


 担任の先生が来ると、一時間目はホームルームに続いてこのままディスカッションをすると言う。

 何だそれ? と思ったけど、クラス目標などを決めたり、テーマを決めて話し合う中で仲良くさせようという魂胆らしい。

 授業がつぶれれば何でもラッキーだ。

 しかし、この考えは甘かった。女子たちから、制服をテーマにしようと提案されるからだ。

 やっぱり……。

 ディスカッションが始まると、さっきの発言が引き合いにされた。

 つまんねえ、ほんと頭にくる。

 僕がぼやいた理由は、黒い綺麗な髪を伸ばしている三好さんもズボンなのが残念でならなかったからだ。お前らしつこい女子連中のことを言ったわけではない。

 イライラするな!

 話が続く中、僕の怒りは頂点に達する。

「いや別に、全然気にならないよ。僕、スカートでも構わないし」

「オイオイ、そういうことじゃないだろ」

 僕の発言を先生が止める。

 だけどこの後も、「持ってないだけだ」とか「勝手にできないからやってないだけ。手続き踏めばできるんだよ」なんて言って、売られた喧嘩を買ってしまう。

 そして時間切れ。

 この授業以降、いつでも戦う覚悟はできていた。だが、意外にも身内との問題を抱えてしまう。

「なに筒井、スカート履くの?」

「あったりめーじゃん、僕、マジで履くから」

 そう。飽きた女子たちではなく、クラスメートの男子が言うものだからまた意地になってしまったのだ。

 引けない僕は、職員室に行き担任から手続きの方法を聞く。

「じゃあ、保護者のサインをもらってこいよ」

 用紙を渡され、頷くしかなかった。


 その日僕は、夕飯を食べながら騒ぎが大きくなってしまったことを親に話した。

「誰も止めないんだよ」

「時代だろ?」

 お父さんが言う。

「あなたはどうしたいの?」

 お母さんが言う。

 僕は困った。

 スカートが好きなわけじゃないし、女の子になりたいわけでもない。男にモテたいわけでもないし、男が好きなわけでもない。

 でも、変わった格好はしてみたかった。

 もちろん、女子が着ているわけだから服装が変わっているわけじゃなくて、変わったことをやってみたかったということだ。それに、カワイイっていう気持ちがあるもの確かだ。

「できれば、着てみたい気がする」

 迷って出した答えに、母の返事は早かった。

「それじゃあ明日、一緒に購買へ行きましょ。善は急げってね」

 制服は購買で注文するのでそうなるわけだが、善じゃないと思う。

「少し考えた方がいいんじゃないか? それに、お金もかかるだろ」

 父は、たぶん反対している。

「何よ。子がやりたいって言ってることに反対するの? できるだけのことをしてやるのが親でしょ。お金は私が出すから黙っててよ」


   🌸 🌸 🌸


 こうして、ここにスカートがあるわけだ。

「でもさ、女子のズボンって男子用じゃなくて、女子用のズボンだよね? これ、ガチ女子用じゃん」

 つぶやきながら、ハンガーに掛けようと今かかっている制服を外す。ブレザーを椅子に置き、中に掛けてあるズボンはその辺に投げておく。

「うん? サスペンダーもないし、どうやって掛けんの?」

 袋を開け、くるくるスカートを回し考えていると、どこが前なんだろうという疑問も湧いてくる。

 いや、それよりこれ、どうやって着るか分からないんだけど。

 今更ながら、一回着てみなければと思い当たる。

 とりあえず真ん中に入って腰まで上げて……。

 当然だが、上下は分かる。

 なるほど~。

 ポケットがあったので前はこちらで間違いない。

 あとは、っと。

 ホックを留め、ブレザーを椅子から取って羽織ると、鏡の前でヒラリと回って全身を確認する。

「完璧だ」

 小さく声が漏れる。

 だがブレザーはそのままなので、女子と同じにするなら前が逆である。一体、どの点で完璧なのか自分で言ってて分からない。

「かーさーん」

 結局、スカートを吊るす方法が分からずお母さんを呼んだ。

「ちょ、母さん?」

「何よ」

「何、そのハンガー」

「何って、ピンハンガーでしょ」

 普通のハンガーに掛けるより型崩れしないらしいけど、ハンガーそのものが違うなんてインチキだ。試行錯誤していた時間を返してほしい。


 翌日、朝スパッと起きれない僕に心の準備をする時間は与えられない。

 でも、髭は剃らないといけないような気がする。

 ジーン

 スイッチをONにし、部屋で鏡を凝視しながら鼻の下や口の周りにあるちょぼちょぼした毛に刃を当ててみる。

 ジーン

 やっぱ毛がなくなると、明らかにきれいだよな。むしろ、今まで気にならなかった部分が気になるんだけど。

「起きてる⁈」

 部屋から出てこないことが心配になったみたいで、お母さんが階段の下から叫んでいる。

「時間ぎりぎりっぽいから牛乳だけでいいや!」

 叫び返した僕は、Yシャツを着てスカートを履くとネクタイを締める。そして、ブレザーと鞄を持ってリビングに下りると牛乳を一気に飲み干し玄関に移動した。

 革靴を履き、ブレザーを羽織ってドアノブに手をかける。

 僕は動きが止まった。


「今更引けるかよ!」

 勢いよくドアを押し開ける。

 そして競歩のごとく足を動かし、駅まで15分の道のりを上目で確かめながら進む。

 ちょっと早く着きすぎたかな。

 駅に早く着いた分だけホームで待たないといけないわけで……。

「よう! おはよう」

 同じ駅を利用している佐藤さとうだ。

「おはよう」

「お前マジで履いてきたの?」

 佐藤は少し驚いた顔をしたけど、いつもと変わらず話してくれる。

 内容は、驚いたとか、ひらひらだとかだったけど。

 そして不思議なことに、電車に乗った後もいつもと変わらない。

 降りる頃には、一緒になった他のクラスメートたちも僕と距離を取ることはなかった。


「おはよー」

「うっす」

 教室に入れば席に着くまでもなく皆集まってくる。

「マジかよ」

「やべ、かわいい」

 男と男の約束を守った僕は人気者だ。

 どうだよ!

 僕は、窓際に集まっている女子たちの方を見る。

 うん? たむろしている女子たち、反応が微妙だな。コソコソ何か喋ってるけど、悔しいとか、驚いたって感じでもないし。

 まあ、本当はその先が見たいだけなんで、何でもいいんだけどさ。

 そして授業になると、先生たちはこのことには一切触れない。

 リアクションしないように箝口令かんこうれいでも出てるのかな。


 放課後、ウッキウッキでまだ帰りたくない僕に、女子がニコニコ話しかけてきた。

「ねえねえ。ちょっといい?」

「うん、いいよ」

 ついていくと、教室の端にたまっていた女子たちに包囲される。

 モテ期到来でないのは確かだけど、教室には他にも生徒がいるしヤバイ感じでもない。

 なんだろ?

 待っていたうちの一人が喋りだす。

「あのさ」

「うん」

「そのスカートやめてくんない?」

 意味が分からなかった。

「ちゃんと履かれると困るんだよね」

「どういうこと?」

「見てわかんない? あんただけ長いでしょ」

 彼女は自分のスカートを掴み、ヒラヒラとさせて見せる。

「ああ」

 僕は理解した。

「とりあえずさ、二つぐらいは折ってよね」

「うん、わかった。そうするよ」

 納得した振りをすると、僕は解放された。


 どうしよう……。

 教室から出ると、キョロキョロ辺りを見渡しながら徘徊する。

 女子のスカート、確かに短いよな。

 そしてまた、一つの教室をドアから覗いた。

「筒井君、入部希望なの?」

 心臓が二回止まりそうであった。

 後ろから話しかけられたことと、話しかけてきたのが三好さんだったことでだ。

「んーーー」

 彼女は首をひねる。

「何かあったんでしょ?」

 三好さんは可愛かった……じゃなくて、

「なんで分かるの?」

「だって、そんな格好してたらトラブルになるでしょう」

「えっ? やっぱ裾長い」

「うん。裾というか、丈長いんじゃない? それを言われたのね」

「そうなんだよ。どうしていいか分からなっくって」

 こんな泣きごと言いたくない。でも、僕は余裕がなかった。多分というか、間違いなく三好さんは引いている。

「ちょっとこっちきてよ」

 三好さんの後ろ姿を見ながらついていく。

「部活いいの?」

「まだ誰も来てないみたいだし、少しぐらい遅れても」

「そうなの? ところで何にもなかったけど、あそこ何部なの?」

「競技かるた部」

 地味そう、と言いかけたとき、階段の踊り場で止まった。

「あのね、スカート短くする方法は、折るか、別売りのバンドで上げて固定するか、ズボンみたいに下で切るかなのよ」

「どれがいいかな?」

「切るのは難しいし戻せないからダメだね。カーディガンとかで隠せるならバンドが簡単かな」

「ええ、上着脱ぎたいし、カーディガンじゃこれから暑くない?」

「それを我慢するのがファッションでしょ!」

 急に気合の入ったコメントを言われ思い出す。

 そういや、折ってこいって指示だったな。

「じゃあ折るので」

 ……

「何よ?」

「三好さん、折るってどうやるの?」

 ……

 ガッバ!

 彼女は両手で、スカートのウエスト部分をいきなり掴んでくる。そして、ホックを外すという衝撃行動にでた。

「いや~ん」

 ふざけた僕は、グーでこめかみを小突こづかれる。

「折りやすい方でいいけど、内側の方がプリーツ綺麗になるかな」

「二回、二回」

「え? 一回にしておきなさいよ。二回だと難しいわよ」

「だって……」

「はいはい」

 折ってはプリーツを整えると繰り返し、結構時間がかかる。

 め、めんどくせー。

「ハイ!」

 彼女は完成と僕の腹を叩く。

「え?」

 スカートの下に別の裾が見えるのだ。

「何よそれ」

「何よって三好さん、トランクスだけど」

「ちょっとやめてよね、気持ち悪い」

「ど、どうすれば」

「知らないわよ。黒パンでも履けばいいでしょ」

 彼女は怒りだすと、部活が始まるからと行ってしまう。

 ほんとに、ど、どうしよう。


 僕はスカート丈を戻し家に帰ると、着替えてからスーパーにあれを買いに行った。

「あ、あのー。下がヒラヒラするので黒いの欲しいんですけど」

「ああ、これですね」

 理解力が高い店員さんには通じたらしく、ちょっと高かったけど何とか用意できる。

 正式名称は、ボクサーパンツって言うのか。

 これで、二回折っても大丈夫だ。


 スカートを履き始めて一週間。相変わらず朝はスパッと起きられないけど、制服に着替えるスピードも髭を剃るスピードも三倍になっていたので余裕である。

「行ってきます」

 今日も電車は遅れずにホームにやってくる。とは言っても、こいつはレールの上も車内も混雑しているということで、昼間なら20分で着く距離を30分もかけて走りやがる。

 暇だ。車内で時間を持て余す。

 佐藤のやつはサッカー部に入ったらしく、朝練とやらが始まったようだ。僕も部活入ろうかな……かるた部に。

 途中駅でドアが開くと、次々に乗ってくる人の流れで右後ろから押される。

 混んでいるからと少し体を引くが、その押す体はずっと僕の体を押し続ける。

 そんなにスペースがないわけでもないし、電車が加速しているわけでもない。

 何とかまた体を引くが、その体はついてくる。

 乗ってくる人のために奥に進んでいるわけじゃない……。

 肩から肘で押していた腕は伸び、その先の手のひらが僕のスカートに触れる。

 大体の人間は肩幅の方が広いし、僕の尻が出ているわけでもない。

 こうして考えてはいるが分かっている。

 痴漢だ。

 人に触れたことがない人なんていない。

 布の上からだ。

 でも、そんなことは関係ない。

 気持ち悪いという、初めての感覚。

 何故か震え、声も出せない自分に言い訳をする。

 男なのに痴漢だなんて言えない。

 もし、間違った人を犯人にしたらどうしよう。

 いや、間違いないんだけど、手を掴んで警察に連れて行ったって、男のくせにそんな格好をしているのが悪いって言われるんだ。


 次の駅で電車を降りる。

 あいつはついてこない。

 僕は、一本次の電車に乗り換えることにした。


 キョロキョロしながら到着した電車に乗る。

 前の電車で行った奴がいるとは思っていない。だけど、こんな場所から乗っているところを誰かに見られたら理由に困るからだ。


 人ごみで、誰かに気づかれたかなんてわからないまま学校に到着する。

「おはよう」

 教室に淡々と入ると、誰も僕のことなど気にしていないようだ。

「よう!」

 今日も、後ろ向きに座る田辺と話す。

「田辺は部活、放送部だっけ?」

「ああ。筒井は結局、帰宅部でいくのか?」

「いや、まだ決めてないけど。どうして田辺は放送部にしたの?」

「好きな曲をメシのときに流せると思ってさ」

「そんなことできるの?」

「わかんねえけど、とりあえずCD持ってきた」

 田辺が鞄からCDを取り出す。

「ビートルズか。名前は知ってるけど」

 ジャケットの写真はモノクロだ。

「だからみんなに聞いてもらうんだろ? そういやお前も髪、随分伸びてきたよな?」

「ええ。気のせいじゃないの? 一週間でそんなに伸びないよ」


 昼になると、田辺は本当に放送室に行ってしまう。

「佐藤」

 僕は佐藤たちに混ぜてもらい、ご飯にすることにした。

「田辺がさ、部活で行っちゃって」

「そうなんだ。俺たちも今日から朝練で、マジ眠いんだけど」

「そういや先週そんなこと言ってたよね。午後もあるの?」

「当たり前だろ。そっちが本番だよ」

「あのさ、朝練は毎日あるの?」

「わかんねえけど、当分はありそう」

 予想通り、僕の期待は無意味なものであった。


 放課後、廊下を歩く。

「ちょっとこっちきなさいよ」

 すれ違いざま、三好さんにYシャツの袖を摘まむように持たれると、あの踊り場まで移動した。

「で?」

 そう。目的地もなくぶらぶらしていたわけじゃない。三好さんに会いたかったんだ。

「どうかな?」

 スカートの両端を掴み広げて見せる。

「どうって、綺麗に履けてると思うけど」

「髪の毛切った方がいいかな? ちょっと長くなってきたんじゃないかって言われたんだけど」

 三好さんが、一瞬にして怪訝そうな顔になる。

「何? 女だって短髪にする人いるし、好きにすればいいじゃん」

 僕は、こんなことを言いたいんじゃない。

 でも、痴漢を撃退する方法なんて聞けない。

「そうだよね。ごめん、ごめん。いや、この前はありがとう助かったよ」

「うん」

「それが言いたかったんだけど、言う機会がなくて。それじゃあ部活だよね。また、困ったときはよろしくね」

「う、うん」

 三好さんを残し、階段を降りると下駄箱に向かった。


 部屋でパソコンを立ち上げ、ネットで対策を調べる。

 女性専用車両を使う。

 いや、僕男だし。

 ドア付近や角などに立たない。

 角でもなかったんだけどな。

 露出度の高い服を着ない。

 一応制服なんだけど。それに今更スカートやめるのもな。理由を聞かれても困るし。

 針で手を突く。

 間違った相手や、自分の手を突いたら困るよな。それに傷害とか言われそうだし。

 いい方法があったら、すでに痴漢なんていないよな……。

 とりあえず、犯人に印をつけられるというハンコをネットで買うことにした。

 ポチっとな……フゥー。


 翌日。

 僕はバカだ。

 同じ時間、同じ車両、同じドアから電車に乗る。

 そして昨日の悪夢がまた訪れる。

 同じ奴かは分からない。

 ただ、今日も電車を途中で降りるしかなかった。


「なあ、最近乗る電車変えた?」

 昼、ご飯を食べていると佐藤が聞いてくる。

「え、なんで?」

「朝来るの、前より遅くない?」

「うん。もう着替えるの慣れたし、ギリギリでいいかなって」

「そっか。あれだよね、疲れてる?」

 何をと思ったら、このところ僕が首を傾げていることが多いというのだ。

「うーん」

「そうそう、それそれ」

「え?」

「顎引いて首傾げて色っぽいんですけど」

 アハハと、一緒に食べているみんなが笑い出す。

「ほんとほんと。筒井、その方がいいよ」

「ええなんで?」

「喉仏も隠れるし、丁度いいじゃん」

 別に僕は、女装しているわけじゃないんだけどな。何が丁度いいんだよ。


 次の日。

 昨日あんなことも言われたしと、さすがに乗る車両を変える。

 すると何も起こらず、保険で用意したハンコを使うことなく済むのである。

 解決したのかな。

 ホッとしながら電車を降り、校門に向かって歩いている時だった。

「ねえねえ」

 同じクラスの女子が話しかけてくるのだが、それは珍しいというより初めてのことであった。

「うん? おはよう。どうかした?」

「いや別に、そうでもないんだけどさ、昨日駅で見たから。筒井が同じ駅だなんて知らなかったからさ」

「え! いや、違うんだよ。電車に乗ってたら気持ち悪くなっちゃって」

「ああ、混んでるからね。そっか。なんかさ、鞄を前にして両手で持つとこなんて、マジ女の子っぽかったよ」

 笑ってごまかすしかなかった。

 電車を待つとき鞄を前に出しているのは、もっこりしていないかが気になっていたからで、それは、言い辛いことであったからだ。

 一体、僕は何をしているんだろう。


 僕はハンコを握りしめる手が動かせない。

 平日休みの奴とかじゃないよな。そもそも同じ奴が追ってきたのか?

 睨んでやりたいが、目を合わせることができない。

 顔を動かすことも手を動かすこともできないのだ。

 一方、お尻を掴んでいた痴漢の手は下の方にずれていき、裾と腿の境目を指でなぞる。

 昨日は平気だったのに……。

 普通は、一日しか続かなかった。


「はぁ」

「どうした筒井」

「どうしたじゃないよ。田辺は、どうしてそんな元気なの」

「いや、そんなアホな奴みたいに言われても。それより10連休どうするよ?」

 明日から、今年だけの特別な10連休が始まる。

「考えてないけど」

 考えられなかった。

 その先の会話は、先生が来たことで続けなくて済む。


 ダメだ。話せない。

 休み時間はトイレに籠り逃げ、長いメシの時間は廊下をうろつく。

 すべてのことが話したくないんだよ。


 そして放課後、気が付けば例の踊り場にいた。

「三好さん……」

 上を向きつぶやくと、下から返事が聞こえる。

「なに?」

 下の階に目を向けると三好さんがいる。

 驚いた僕は、スカートを抑えた。

「何よ?」

「三好さん、見た?」

「誰が好んで見るのよ。見えたけど……」

 三好さんは呆れ、続けてこう言う。

「で、屋上にでも行って自殺するつもり?」

 笑えない。

「うん、屋上行こうかな」

「なんで?」

「なんでって、刑事ドラマでどうして崖に行くか聞く?」

「聞かないわね」

「戦隊ものでどうして砂利場に行くか聞く?」

「ジャリバってなに?」

「じゃあそれはいいや」

「うん」

「ということで、学校で行くなら屋上しかないじゃん」

「そうかもね」

 三好さんはニコッと笑った。

 そして、僕の後ろをついてきてくれる。

「お尻抑えなくていいわよ」

「見たいの?」

「見ないからよ」

「三好さんはスカート履かないからわからないんだよ」

 扉を開け、屋上に入ると高いフェンスに囲まれる。

「あのさ、筒井君。教室で見てて怖いんだけど」

「何が?」

「最近、必死じゃない?」

「だって……」

 僕の目は涙で溢れた。

「ちょ、筒井君」

 三好さんの前では我慢できなくて、一度緩んだ気持ちはもう締めることはできなかった。

「ごめん。三好さんには関係ないことだとわかってる」

「聞かないとわからないけどね」

 意外に淡々とした三好さんに落ち着く。

「で?」

「電車で痴漢にあって、気持ち悪いんだよ」

「うん」

「もう無理。10連休なんて挟んだら、もう来れない」

「うん」

「どう考えても偶然じゃないんだよ! 同じ人かもわからない。怖くて動けないんだ!」

「うん」

「きっとみんな、こんな格好してる僕が悪いって言う。僕は、ズボンでもスカートでも何でもいいんだよ!」

「うん」

「みんな言うんだ。可愛いとか、女の子っぽいとか」

 僕はいつのまにか、息を荒げまくし立てていた。

 ふと、そのことに気がつき唾を飲む。そして、Yシャツに垂れそうな鼻水をすすると三好さんの方を見た。


「どうして三好さんが泣いてるの?」


 三好さんは目を赤くし、ぽたぽた涙をこぼす。

「だって。だって、知ってるから」

 知ってる……?

「ごめんね。スカートの履き方なんて教えるんじゃなかった」

 苦しそうに息を吸った彼女は、さらに涙を流す。

「違うよ。僕が聞いただけだし」

「ううん。履き方はそうかもしれない。でも、そのことじゃない。どうして、どうして辛い思いをさせちゃったのかなって」

 僕はこの時、泣いている彼女に聞いてはいけないことを聞いた。

「だから三好さんはスカートを履かないの?」

「そうだよ!」

「でも、かるた部だからって」

「そんなわけないじゃん! そんなのジャージ履けばいいんだから。私だって、スカート履きたいときがあるんだよ‼」

 彼女は、涙を飛ばしながら激しく答える。

「ごめん……」

 僕は、解決できないことを好奇心で聞くという愚行をしていた。

「かるた部、もう始まっちゃってるよね」

 間抜けなことを言う。

「当たり前でしょ。こんな顔じゃ行けないよ!」

 ……

 凪いでいた風が、少し吹いたような気がした。

「それよりさ。筒井君はもう、学校来ないの?」

 僕は下を向き考える。

 スカートじゃもう来れない。でも。

「だって、ズボンに戻すなんてことしたら、みんなに何言われるか」

 彼女はフーと、一息つく。

「じゃあさ、私もスカートにするよ」

「え?」

「連休明けからスカートにするって言ってるの」

「う、うん」

「だから、筒井君もズボンで来てよね」

「いいの?」

「絶対! 一人にさせないでよね」

 彼女は腰を上げ、体を折ったまま顔をこちらに向ける。

 長い髪は重力に引かれ、涙の止まった瞳は赤いままだ。

「ぅん」

 僕が詰まらせながら返事をすると、彼女は体をゆっくり回し階段を下りて行った。


 鞄で顔を隠したい気分だ。

 そんな気持ちに堪えながら、帰りの電車に乗る。

 そして、いつもより長い家路が終わると、部屋着になりスカートを吊るす。

 夕日が差し込んだ部屋は蒸し暑くなっていく。

 ズボンか。

 畳んで入れてある引き出しを見つめる。

 折れ目を消すために吊るしておかないとだめかな。

 そう思いながらもスマホをいじる。

 アホの田辺から連休中の誘いだ……ウソ、ごめん。

 三好さんの連絡先知らないんだよな。聞いとけばよかった。






 連休のあいだ、田辺とも遊んだ。ゲームもやった。テレビの特番も見た。

 五月七日、月曜日。結論を出すことはできなかった。

 違う。いや、そう。連休中には答えが出せなかった。

 でも、もう結論はずっと前から、彼女に出会った時から出ていた。

 僕は、しわくちゃなズボンを履く。

「起きてる⁈」

 連休ボケで寝ていると思ったのか、お母さんが階段の下で叫んでいる。

 着替えを済ませ、詰め込んだ鞄を持ってリビングに降りると立ったまま牛乳を飲む。

「それで行くの?」

 お母さんは心配なのか小声で聞く。

 僕は飲み終えてから「うん」と頷くと、いつもの時間に家を出た。


 連休明け初日から朝練だろうか? ホームに佐藤の姿はない。

 だから、奴がいるかも知れない電車に一人である。

 この時僕は、また遭うんじゃないかという恐怖と、クラスメートになんて言われるのかという不安で、心は一杯いっぱいを通り越していた。

 学校最寄り駅に着くと、反対側の電車に乗ることさえできない僕はそのまま学校へ向かって歩き出す。

 ごまかす言葉を探していても、誰も声をかけてこない。

 ドアのレールを越え、教室に入る。

 その時、僕の方を見ている人は誰もいなかった。

 何故なら、みんな三好さんの周りに集まっていたからだ。

 僕は自分の席につく。

「なあなあ、」

 野次馬に紛れていた田辺がこちらに来ると、ニタニタしながら僕に声をかけてくる。が、その顔は固まる。

「筒井、ズボンに戻したんだ」

 その後も、気がついた人から順に同じ反応をされるのである。


「へぇ」

 放課後屋上で、僕がみんなの反応について話すとスカート姿の三好さんは苦笑いを浮かべる。

「三好さんは大丈夫だった?」

「別に、大丈夫じゃない? 筒井君の方が大変なことになりそうだけど」

「どうしてさ?」

「うーん。何も言われない方が怖いってことよ」

 彼女は視線を上にしたかと思うと、よくわからないことを言った。

「それより筒井君、髪、切ったんだね」

「うん、連休で暇だったし。思い切って周り刈り上げてみたけど、どうかな?」

「カッコイイよ」

 まあ、そう答えるかな。

「それで、今日は無事だったんでしょ?」

「うん、このままだといいな」

「おかしいよね。制服なら誰でもいいのかな?」

「そうかもね」

 全く気持ちの悪い話だ。

「ところで三好さん。そのスカート、二回折ってるの?」

「ええ? 一回だけど。見たいの?」

「そうじゃなくて、ずるいなと思って。彼女たち、僕には二回折れって言ったのに」

「ふーん。筒井君はその方が似合ってたんじゃないの?」

「そうかな?」

「あとさ、一回ぐらいなら見せてもいいかなと思ったけど、そうじゃないならやめとくね」

 素直に返事ができないまま時間が過ぎる。

「そ、そうだ。これ」

 僕は持っていた小さな袋を出し、ファスナーを開ける。

「ちょ、ポーチ? そこまで真似しなくてよかったんじゃない?」

「ポーチ? 入れるのに丁度いいものがなくて、これに入れてきたんだけど」

 僕はそこからハンコを取り出し、三好さんに渡す。

「ああ、知ってる」

「持ってた?」

「ううん。持ってない。くれるの?」

「うん。もういらないと思うから」

「ありがとう」

 彼女は微笑んだ。

「あのさ、ところでそのポーチ……」

「ポーチじゃなくて、シェーバー入れなんだけど」

 僕はガッバと開けて中を見せる。

「いつも持ち歩いてるの?」

「いや、ハンコが行方不明にならないように入れてたから、一緒に持ってきちゃったんだ」

「そうなんだ。やっぱり、スカートを履くために買ったの?」

「うーん、いずれはいるからね。三好さんも使う?」

 僕はシェーバーを取り出して、キャップの付いた刃を三好さんの顔に近づける。

「もう、使わないわよ‼」

 彼女は、体を少し反らしながら笑っていた。


終わり

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