コーヒーには砂糖を

KEN

 

 コーヒーには砂糖だろう。ミルクのまろやかさはいらない。苦味と甘味がカップの中でせめぎ合うのを仲介し混ざり合うようスプーンを回し、一気に飲み干す。こんな妄想をしながらの休息が、俺の至高だ。


 蓋つきのアルミカップに少し上等なインスタントコーヒーの粉を振り入れ、俺は湯を注いだ。一日二回の作業だ。今さら分量を間違えるはずもない。癖というのは凄いものだ。

 砂糖は後入れで多めと決まっている。スティックシュガーをまとめて開封し、コーヒーの海へ流し入れようとした時だった。


 目があった。


 真っ黒な液面の中に、ぐりっとした目が沈んでいる。目玉のゼリー寄せのような何かが、コーヒーとは思えぬ漆黒の中でぐるりと動いた。

 俺の思考は硬直フリーズした。俺は無言のままカップに蓋をした。


 今のは何だ!? 目、目だったよな? そんな馬鹿な、あるわけない!


 もう一度、蓋を恐る恐る開ける。

 何だ、何もないじゃないか。少しコーヒーの色が黒すぎるだけだ。

 おかしな幻覚を見るもんだなぁアハハ、と呟いたら、再び目がぎょろりと開いた。今度は反射的に閉める。再度、考えざるを得なくなった。


 目……目だった。得体の知れない黒い目が、黒々としたコーヒーの中でこちらを見つめていた。頭が受け入れを拒否する。だが、今見た事実が変わるわけでもない。


 コーヒーは飲みたい。だが目は無視できない。

 逡巡の末、俺は折角作ったコーヒーを捨てることにした。流し台で蓋を外しカップをひっくり返すと、コーヒーは滝の如く落ち流れる。その筈だった。


 コーヒーは出なかったのだ。下から覗き込んでみると、墨汁のようにうねった波紋を作り、入り口のところでふよふよと留まっていた。重力に逆らうコーヒーにお目にかかれるとは素晴らしいと、現実逃避がポジティブな思考を紡いだのも束の間。


 目が一つ、こちらを凝視していた。


 もうどうにでもなれと、俺はカップを正位置に戻した。コーヒーはちゃぽんと音を立て、カップの中に収まった。

 目玉は少しの間ぐるぐるしていた。すると突然、カップの中からか細い声がした。


「すみませんが、助けて頂けないでしょうか?」


 ん?

 シャベッタァァァ!

 悲鳴を上げたい衝動を、俺はぐっとこらえた。大の男がこの程度で助けを呼んだと思われたくない。


「……お前は何者だ?」


 混乱を悟られまいと、努めて冷静に尋ねる。目は水面で瞬きをした。


「はい、私は妖精です」


 嘘つけ、そので妖精などと言ってくれるな。


「妖精が何故コーヒーの中にいる?」

「黒い水の中でしか生きられない呪いをかけられてしまったのです。貴方にはこの呪いを解いて頂きたく」

「嫌だね、俺にメリットがないじゃないか」

「解いて頂けましたら、どんな願いも叶えて差し上げます」


 全力でお断りする。そう言おうとした。だがふと、興味が湧いた。ここで妖精と称する何かを助けるふりをしたら、俺はどうなるのか。


「……簡単な事なら手伝ってやる」


 俺の無愛想な答えに、目は嬉しそうに目を瞬かせた。


「ありがとうございます、ではこの黒い水を飲み干して下さい」


 俺はいよいよ頭を抱えた。目玉入りコーヒーなんぞ飲んだ試しがない。それに最初からわかっているが、今回のコーヒーはあまりに黒かった。黒いというか、どす黒い。月のない夜よりもどす黒い。闇に魅入られた気分だ。


「これは……コーヒー、なんだよな?」


 俺の問いに、目玉はまたくるくる回った。


「こおひい、というものは存じ上げませんが、貴方が飲もうとしていたものには違いないでしょう」


 それでも俺は躊躇った。そもそも、味はコーヒーなのだろうか。違う味がするならば、砂糖をいれても飲めるかどうか……。


 ぴこーん。


 頭の中で電球が光った。

 俺は台所から上白糖の一キロ袋を取ってくると、開封し一気にカップの中へと流し込んだ。


「ぎゃっ、やめ、やめてください!」


 目はコーヒーと共に水分を吸われ、見る間に小さくなっていった。そのまま無言で砂糖を入れ続けようとも考えたが、俺は思い直した。


「俺が飲まないとお前は蘇る事が出来ないんだよな? だがそうは問屋がおろすか。悪魔の契約みたいに、酷い代償を払わされるんだろう?」

「私は妖精です、本当なんです! ここから助けてくれたら、一生お仕えしますから!」


 目玉の声は必死だった。多分、本気で助けを求めているんだろう。悪魔だったとしても、こんなちっぽけで弱っちそうな奴に出来そうな事などが知れてる。


「その約束、たがえるなよ?」


 俺はにやりと笑い、砂糖の塊と化したカップの中身をあおった。強烈な甘味、そして仄かに生臭い匂いが俺を襲った。だが大した量ではないので、鼻をつまめばどうということもない。砂糖に慣れた我が舌の勝利だ。と思った刹那、俺はむせこんだ。

 口から飛び出たのは、黒飴のような球体だった。それが先程の目玉と認識するまで、時間はかからなかった。


「飲んだぞ、俺は。これでいいのか?」

「はい、助かりました! いやーびっくりしましたよ。砂糖で殺されかけるとは思いもしませんでしたけど、私を助ける為にやってくれたんですね? ありがとうございます! やっぱり人間は優しい生き物だ!」


 黒い球は宙にふわふわ浮きながら、信じられない程陽気な声で矢継ぎ早に言った。色々と都合のいい勘違いをしてくれているようだから、訂正するのは止めておく事にした。


「で、お前は何をしてくれるんだ?」


 にやけが止まらない俺の問いに、黒い球は答えた。


「貴方は『こおひい』がお好きなようなので、身体をそれに変えて差し上げますね!」


 こちらが反論する間もなく、黒い球は何かの呪文を唱えた。するとどうだろう。俺の手足が徐々に黒ずみ、床にボタボタと黒い液をこぼし始めたではないか。身体がコーヒーに置換されかけているのだ。


「こんなことをしてほしいんじゃない! 戻せ!」


 床に膝をついて顔を上げ、黒い球に抗議する。そこで気付いた。球は徐々に大きくなっている。それは今やバレーボール程度の大きさまで膨らみ、そして。

 その球体の中に、顔があった。

 気のせいでなければ、それは鏡で見る俺の顔に似ていた。ただ、酷く醜悪で正視にたえないにやけ面は何故だ?


 黒い球は地面に広がる俺の残骸をすすりあげ、更に大きくなっていった。


「ああ、もちろん、コーヒーには砂糖をたっぷり入れてあげますね!」


 黒い塊は俺が取り落とした砂糖の袋を片手に、無邪気な声で俺を飲み込んだ。

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コーヒーには砂糖を KEN @KEN_pooh

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