終章
終章
あれから、数日たった。水穂も具合がずっと良くなって、短時間だけであれば起きていることも出来るようになった。
「ねえ、もう少しなんだからさ。」
と、おかつは、水穂に言った。
「もうちょっと、ご飯を食べようという気になってもらえないかなあ。」
水穂も水穂で、食べようと努力はしている。でも、どうしても完食することが出来ないのである。せいぜいたべられても二口、運が良ければ三口たべれば、もう食べるという気がしなくなってしまうのだ。
「せめて、食べようと思ってよ。そうしないと、体も回復しないよ。折角、咳き込まなくなって、ずっと良くなったというのに。」
おかつは、もう一度、水穂にご飯をたべさせようとしたが、また首を横に降られてしまった。
「何とかならないかねえ、、、。」
おかつは、もう一回考えこんだ。とりあえず、無理に食べさせては、また悪くなる可能性もあると言われているので、今回は引き下がる。
「どうだった?」
おかつが部屋にもどってくると本間先生が言った。なぜかその時、中間たちの賄い料理を作っていた、杉ちゃんも一緒にいた。
「いやあ、だめですね。どうしても食事を取ろうという気になってくれません。どうしたら、その気になってくれるのか、私にもわからないほどです。」
「そうか。後は、本人のやるきしだいだと思うんだがな。」
おかつがそういうと、本間先生もため息をついた。
「先生。僕にいい考えがある。」
ふいに杉ちゃんがそんなことを言い出した。何だろうと、おかつも本間先生も彼のほうを見る。
「なにかいい考えでもあるのかい?」
本間先生が聞くと、
「実はね、、、。」
杉三は、えへんと咳ばらいをして、発言を開始する。
そして、その翌日の事だった。
「今日は、非常におもしろい行事があるんだって。」
食事を持ってくる筈のおかつは、今日は、何も持っていなかった。
「一体何でしょう?」
水穂が聞くと、
「みんなで集まって、食事するんだって。無理しないでいいから立ってご覧。」
と、返ってきた。
何を意味するのかよくわからなかったが、おかつに支えてもらって、水穂は何日ぶりに布団から立ちあがった。始めのころは、頭がふらふらして、うまく歩くことも出来なかったが、そのうちもともと歩けていたのを思い出して、歩き始めた。勿論、まだ危なっかしいことも確かなので、おかつはそばで支えてやる。
「おかつさん、一体何処へ行くんですか。」
そう聞いても、おかつはいいからとしかこたえなかった。暫く養生所の廊下を歩いて、ある障子の前で二人は止まった。おかつはここで待ってて、と言いながら、障子を開けた。
「来たよ!」
おかつが中の人たちにそういうと、中には本間先生と、何人かの患者たち、そして、何人かの中間たちがなにか食べていた。
「おお、よく来たね。今日は杉三さんたちが企画してくれた、お楽しみという日なのさ。すきなだけ食べ物を取って、すきなだけ食べても良いそうだ。水穂さんも、なにかすきなモノをとって沢山食べるといい。」
と、本間先生が言うと、隣にいた患者の一人が、
「おう、この餅はうまいぞ。正月以来食べてなかったので、感激したぞ。」
と、水穂に餅の乗った皿を渡した。すると別の患者が、
「小豆は食べられるか。この小豆のおかゆもうまい。」
と、その皿の中に小豆粥を入れるのである。丁度餅と相性があうおかゆで、実にうまそうだった。
「ほら、たべろ。」
患者たちに促されて、水穂は小豆粥を口にした。患者たちと一緒だと、どうしてもたべなければいけないという変な重圧感があったが、それでも、
「おいしい。」
という気がした。一人で中間に食べさせてもらっているかゆよりも、ずっと良い味がした。
「おまえも良かったな。」
ふいに患者の一人がそういった。
「このお楽しみという行事に参加出来るのは、かなり良くなった奴でないと、出来ないそうだ。あれほど酷い状態だったのが、ここへ出てきてくれるなんて、本当に嬉しいなあ。」
そうか、そういう事なのか。確かに、そうなのかもしれない。一時は、立ちあがることだって出来なかったような時もあった。そういう時に比べれば、今こうして、立ちあがってこの部屋まで来られたのだから、文字通り、「良くなっている」のだろう。
そのまま患者たちは自分たちの話を始めた。農業をしている人も居れば、どこかの店で商売をやっている者もいる。始め、この話に加わるのは無理なのではないかと思ったが、彼らに共通することは、病気であるが故に、店や家から締め出されている事であった。だけど、決して彼らは後ろ向きではなかった。其れよりも、早く治って、農家へ帰るのだ!という前向きな気持を打ち出していた。やっぱり、俺が居なければ誰がやる!といった気持がまだ一人一人に残っていたのだった。現代では絶対感じられない、むかしの人たちの気の強さだった。
「おまえもさ、必ず良くなって帰れよ。」
患者たちはそういうのだった。
「何処の家から来たのかは知らないが、そこまでいい顔してんだからよ、ここで終わってしまうのは勿体ないぞ。」
水穂が返答に困っていると、
「いいや、生きていないほうがいい奴なんていないさ。」
と、別の患者が言った。
「おまえを必要としている奴は、必ずどこかにいるよ。」
本当は、そういう身分ではないんだと言いたかったが、水穂はそれをいうのはやめにしておいた。患者たちは、このお楽しみの行事が本当にお楽しみだったらしく、楽しそうな顔をして、おかゆをたべているからだ。これをぶち壊してしまったら、いけないような気がしたからだ。
「よし、小豆粥を食ったらよ、次はこの山菜がゆに挑戦してみろ。」
水穂が小豆粥を口にすると、始めの患者が、また別のかゆを持ってきた。もういらないとは言えず、其れも口にするしかなかった。患者たちにたべろ食べろとそそのかされて食べると、なぜかいい味がした。それが不思議だった。全く同じ共通点があるわけではないけれど、なぜか大勢の人の中にいると、その人たちの間で癒してもらっているような気がした。
やがて、一人の患者がいい声で才太郎節を歌いだした。其れに合わせてほかの患者たちも手拍子したりし始めた。もちろん、健康な人たちの宴会ではないから、それほど覇気があるわけではないけれど、とにかく歌が歌えて、ものがたべられて、患者たちはしあわせそうだ。これがしあわせか。水穂もそう感じ取れた。人間、之だけでも十分なしあわせなのだ、と。
患者たちはまだまだ、食事をし、歌を歌い続けている。それに合わせて中間たちは、患者たちにお茶や食後の菓子を配ったりし始めた。菓子は、長崎ではすでに有名になっている、カステラというものであった。水穂は中間に頼んで背中に布団を当ててもらいながら、ああ、あの一子さんも、今頃がんばって勉強しているかな、何て思ってしまった。彼女のことだ、今頃一生懸命勉強して、医者を目指している事だろう。
そうしているうちに、意識は段々に薄れていった。もう疲れてしまったのだろうか、なぜか目の前の景色が段々に薄れていって、患者たちの歌も次第に遠のいていく。
そのうち、二人が立っている周りの風景は、小石川養生所の中でなくて、自動販売機の前に変わっていた。
「あれ、僕たちどうしたんだろう。」
あれと、思ったが、二人は自動販売機の前に立っている。
「帰ってきたのかなあ。」
二人は周りを見渡すと、周りの人たちは、洋服を着て、スマートフォンを眺めながら歩いている人ばかりである。
つまり、現代社会に帰ってきたという事であった。
「一体何しに行ったんだろう。僕たちは、天保の世界に行って、何だか得したことがあったんだろうか。」
杉ちゃんはそういうけれど、水穂はなぜか、あの不自由な世界に行って、なにか貰ってきたような気がするのであった。
「でもたのしかったなあ。何もない所だけれど、何だかみんな一生懸命でさ、そういう世界をちょっとだけ覗かせて貰ったんだという事で。」
杉三は、にこやかに言った。
「ほらあ、みんな一生懸命だっただろ。おかつさんも、本間先生も、あの可愛い中間の一子ちゃんも。例の二枚目の医者も。」
確かにその通りだが、其れだけが教訓という事だろうか。
「多分もっと違うと思うよ。」
と、水穂は言った。
「何というのかなあ、口で言うのはよくわからないけれど、、、。」
文章にしていうのは何だか難しい物であった。でもそういう事って、意外に表現するのは難しいと思う。大事なものは表に出ないというか、文章にまとめることは非常に難しいものである。
「水穂さんどうしたの。なにかいいことでもあったの?」
杉三がそう聞いても、文章にして口に出すことはなかった。
「まあ、其れなら、其れでいいか。」
そう返してくれるのも、杉三ならではの言い方だ。そういって、変に追求しないのも、杉三ならではである。
「さて、ジュースかって帰ろうぜ。」
杉三はにこやかに言って、
「よし、行こう。」
とりあえず、自動販売機の近くに移動して、ジュースを二本買った。
こういう切り替えの速いのも杉ちゃんだなと思われるが、水穂はあそこで言われたことを忘れずに居ようと思いながら、再び歩き出すのであった。いつの時代にも、変わらないでほしいなとか、そういうことを考えながら。
ファンタジー篇3、小石川にて 増田朋美 @masubuchi4996
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