無名作曲家の遺書

KEN

無名作曲家の遺書

 多くの罪なき人間を死に追いやった私に、こんなことを言う資格はないのだろう。だがそれでも言わせてほしい。

 私にはどうしようもなかったのだと。私は悪くない、悪くないんだ。


 それは大切な友人である彼女の誕生日パーティでの出来事だった。彼女は私に、元気の出る軽快な曲をプレゼントしてほしいと言った。

 私は気の利かない男だった。だから一張羅のスーツを着るので精一杯で、プレゼントはささやかな花束しか持っていかなかった。それを後ろめたく思い、私は彼女の希望をどうしても叶えてやりたくなった。


 私は一週間くれと言い、彼女は快く承諾してくれた。私はそれから五日間、何もない部屋の中で曲をひたすら楽譜に書き起こした。

 何百枚の貴重な紙がくずかごに放り投げられたかなんて知らない。筆圧が強すぎて、安物の万年筆は先端が変に曲がってしまった。それでも私は書き続けた。神に魅入られたように書き続けた。

 やっとの思いで作った曲は、自分で言うのも恥ずかしいが非常に良い出来だったと思う。彼女の喜ぶ顔が早く見たくて、私は正装に着替えるのも忘れ楽譜を手に走った。


 無事に彼女のもとへ到着した私は、薄汚い普段着を弁解するより前に楽譜を差し出した。彼女は綺麗な目をぱちぱちさせて驚き、そして喜んでくれた。その笑顔は一流の研磨工によって磨かれたダイヤのように輝かしかった。

 彼女はトランペット奏者でもあった。もちろん、私は彼女が演奏するための楽譜を書いていた。彼女が吹いてみせたその曲は、想像以上に心が震えた。地の底を揺り動かす音が自分の曲を優美に、力強く奏でる。それは快感ですらあった。

 私は彼女に、その曲を彼女の名で発表して構わないと言った。彼女の腕とその曲ならば、世界でも十分通用すると思ったからだ。

 彼女は黙って頷いた。それは承諾の意味だったのか、それともほかの意味があったのか。そんな事はどうでもよかった。彼女は私の曲を好いてくれていた。それだけで私には十分だった。


 我が国に戦争の靄がたちこめ始めたのは、それからまもなくだった。運悪く重複した不景気の波のせいで、国民の半分は戦争の空気に活路を見出そうとしていた。だが私のような社会情勢に疎い者でさえ気づいていたのだ。今の国力で戦争を起こしたとしても、国は疲弊するばかりだと。


 そんな中、あの曲が軍歌としてラジオで流されているのを私は偶然聞いた。アレンジを加えられてはいたが、間違いなくあの時プレゼントした曲だった。

 私は耳を疑った。次に彼女のことを思った。どうしてあの曲を軍に渡してしまったのか。問いただしたくてもできなかった。あの楽譜を渡して間もなく、彼女とは連絡が取れなくなってしまったのだから。


 何かどうにもならない事情があったのだろう。私はそう思うことにした。親の病気でお金が必要であったのかもしれない。あるいは軍歌に丁度良いと目を付けた軍幹部に取り上げられたのかも。

 とにかく、彼女に恨みや憎しみは沸かなかった。ただただ、軍歌にアレンジされた私の曲に驚くばかりだった。


 戦争の空気は日増しに濃くなった。あの軍歌は連日のように街中を流れ、街は仮初めの活気に沸いていた。

 道で遊ぶ子供たちですら、あの曲を口ずさむ。食事も満足に取れていないであろう、細々しい腕。そんな腕で小枝を振り回し、子供たちはあの軍歌を勇ましく歌う。そうやって戦争ごっこをしているのだ。

 私は段々と恐ろしくなっていった。素晴らしい音楽は人の心を揺さぶり、時に洗脳する事もある。それは理解しているつもりだったけれど、甘かった。私の作った曲は、我が国を無謀な戦争へと引きずり込む悪魔に化けたのだ。


 我が国が完全に敗れるまで五年もかからなかった。そのたった五年で、どれだけの命が奪われただろう。敵国への憎しみを上回って、国民は嘆き悲しんだ。あるものは愛する者たちを、あるものは財産全て、あるものは地位や名誉を失った。それだけの犠牲を強いられながら得られたものはなく、賠償として国土の三分の一が失われた。


 私は呪う。私の生み出したあの曲を。幾多の人間を戦争へと駆り立て、命を奪ったあの曲を。祖国の平和を真っ黒に塗り潰したあの曲を。あの曲がなければ、あるいは戦争など起こらなかったのではないかとさえ思う。

 こんなことを言っても、考え過ぎだ、ばかばかしいと一笑されるのがおちだろう。

 ああ、考え過ぎなのかもしれない。あの曲を利用した者達の思惑が成功したに過ぎず、曲自体に罪はない。それでも私は振り返らずにはいられないのだ。あの時、彼女に曲を作ろうとしなければ、こんな辛いことにはならなかったのではないかと。


 私はこれから海へ行く。小さな船を買い、沖合で海の底へ身を投げようと思う。それが何の償いにもならないのはわかっている。これはただの自己満足でしかない。わかってほしいとも思わない。

 彼女がいなくなった以上、自分の命が終わる場所は新たな国境の近くがいいと、そう思っただけなのだから。

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無名作曲家の遺書 KEN @KEN_pooh

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