3-3 冬の朝に

「……」

 都市シティを覆う防壁ウォール、その頂点に敷かれた円形道路ラウンドウェイ──実際は卵楕円オーヴァルだ──を走る車内の空気は重く淀んでいる。運転手は冬霞。

「ちょっと走ろうか」なんてドライブに誘ったものの、そもそも僕は運転ができない。のうのうと助手席に座っている現状が、居心地の悪さを加速させていく。言葉が出てこない。とはいえいきなり本題を切り出すのは悪手だから、僕は窓の外を見る。吹き付ける風が車体を揺する。東の空は明るみつつあり、高層ビルを柔らかく照らし始めている。駄目だ、淀みを吹き飛ばすには能天気すぎる。

「……。」

 壁の外に目を向ける。墓石のように並ぶ、放棄され荒れ果てた街が目に痛い。それは視線を移す一瞬に網膜に焼き付いて、整然と栄えた壁の中と重なってはますます毒気を増した。

 ……朧気な残像なんかじゃない。僕はあの凍ったままの街に二十年の歳月を、略奪と恐怖に怯えた──あるいはそれを実行した──記憶を、見いだしてしまう。

「……瑞穂さん?」

 ほら、こんな風に。何度か名前を呼ばれて、やっと気が付く有様だ。きっと僕が渋面で視線を向けてくるように見えたのだろう。冬霞も落ちる寸前の撃鉄ハンマーのように張り詰めてこちらを見ている。……そこでふと気がつく。一番どうしようもない話題の種があった。自分だ。空気を変える一手を……ポケットをまさぐる。

「タバコ吸っていい?」

「はい……は?」

 反応を許さない速さで火を付ける。重たい煙を肺に染み込ませると、雑念が凪いで思考が成すべきことに収束する──ニコチンと一酸化炭素の相乗効果。

「……。禁制品では?」

 弱気。

「秘密だよ」

 ソフトケースから一本振り出して、差し出す。

「一本どう?気晴らしに」

 車は壁上に聳えるBMD飛翔体迎撃システムの影に入る。

「……遠慮しておきます」

 声が微かに震えていた。ハンドルはしっかりと掴んだまま、しかしその胸中にただならぬものを湛えている……気がする。暗闇で伺いしれぬ目許で、何かがきらりと光った。それが涙か確かめる前に、車は再び光の洪水の中へと飛び込む。廃墟群を超えたその先、イシカラ湾へ。急激に世界が広がる。地平まで凍った、死の世界。生命の可能性すら否定するという点で、廃墟よりも美しい。

 細氷ダイヤモンドダスト──冷え込む朝に特有の事象。氷河から頭を出した太陽が、スパンコールを散らしたように輝いている。

「──朝だ。綺麗だよ、ほら……」

 思わず声に出る。そういう空気じゃないのに……一瞬そう思ったが、すぐに考えを改める。そもそも空気が読めたことなどない。幸い逆鱗には触れなかったのか、冬霞は車を路肩に寄せ、エンジンを切ってじっと氷河を見る。そしてハンドルに項垂うなだれた。

「どうして怒らないんですか」

「何を?どうでもいいよ」

「刺したんですよ」

「もう塞がった」

「殺すところだった。もっと沢山の人も。化け物に成り果てるところだった」

 静まりきった車内で、鼻をすする音がいやに大きく響いた。うつむく黒髪に軽く手刀を入れる。硬くて多い髪に阻まれて、殆どの衝撃は霧散する。ソフトタッチ。

「知ったことではないよ」

 ドアを開け、意識を戒める極寒吹きすさぶ中へ。つんと鼻の奥が痛む感覚がたまらなく心地よい。運転席側に回ってドアを開けて、落ち込む冬霞を引きずり出そうか悩んで……やめた。欄干に身を寄せ、短くなったタバコを街の外に投げ捨てた。

「人の命って、そんなに大切?」

 儚い火種が防壁ウォールにぶち当たって、火の粉を散らして死の世界へ落ちていく。

「……」

 答えはない。こっちだって殆ど一方的に聞かされたんだ。そっちも勝手に聞くがいい。

「昔ね。沢山の人を殺したよ。他人のものを盗む奴を、暴力を振るうやつを、利害関係にあっただけの人を……」

 二本目のタバコを振り出して咥えたところで、ドアを閉める音。振り向くと、冬霞がよろよろと側に来た。

「一本……ください」

「ん」

 火をかざす……抵抗剤の要領つもりで思いっきり吸い込んで、ごふ。と冬霞が咽る。

「……クソみたいな味」

「似合ってるでしょ。ゆっくり吸うと、おいしいよ。クソにしてはね」

 冬霞の軽口に微笑む。いつもの冬霞が少しだけ戻ってきたようで、笑いながらタバコに火を付ける。そして煙とともに、クソみたいな昔話の続きを吐き出す。

「コミュニティの皆は褒めてくれた。僕は撃つモノをヒトと思わないようにした。知らない相手を撃つにはそれで良かった。でもある日、盗みに入ってきたのは……いつか野盗から助けた顔だった」

「……撃ったんですか」

「もちろん、撃ったよ」

「……」

 冬霞が半目になる──異物を見る目。それでいい。こうでなくては、という手応えを得る。

 しかしその視線に、今日はいつもと違う感情が湧き出た……たった10cmの身長差が、今は怪獣になったような気分を生む。しばらく人間に向けていなかった暴力性が、心の底でのたうつのを感じた──愛らしい。僕は衝動のままに、冬霞を後ろから抱きしめた。

「ちょっと……」

「忘れもしない。同い年くらいの女の子だった。ぼろきれみたいなぬいぐるみと、僕たちの食料を抱えてた。骨が浮くほど痩せているのが防寒着の上からでもわかった。怯えていた」

「なら、何故?」

 腕の中で強張っていく細身を、抱き締める。

「その時、僕の敵だったから。でも気が付きもした。善と悪、撃つものと撃たれるもの、僕と彼女。それはコインの裏表なんかじゃなくて、曖昧なスペクトラムに過ぎないって事……でもその罪悪感にさえ、慣れたよ。涙は止まらなかったけど、それだけ」

 突風……急激に頭が冷える。膨張したエゴを不意に鏡で見せられるような感覚。慌てて手を解いて、後ずさる。

「……だから、皆どこかに邪悪な物があって、それでもどこかに居場所があるから。そんなに落ち込まないでよ、刺したくらいでさ・・・・・

 混ざり気のない本心を伝える。いや、押し付けた。

「騙してたんですよ。これからずっと、貴女は私の足枷扱いされるかもしれないのに、そんな役割を押し付けたのに。どうしてそこまで」

 頑固すぎる。ひょっとすれば、僕は……退くべきなんじゃないか。

「それってこれまで通りじゃない。それとも……嫌い?」

「……嫌いです」

 鋭い視線が突き刺さる。

「そうやって平気で受け入れる所が嫌い。醜さをさらけ出して同じになったつもりになるのが嫌いです。酷いことを言っても受け流す貴女が嫌い。嫌い、嫌いです」

 見る間に奈落色の瞳が、朝焼けを映して銀河のような煌めきで満ちていく。今にも泪が溢れそうな有様を見ていられなくて、彼女を優しく抱きしめた。死の銀世界が、あまりに似合っていて。そうしなければ、何処かへ行ってしまいそうだったから。

「……殺されるかもしれないんですよ」

「その時は、僕も冬霞を撃つ……そういうバランスがある。僕がどうにかする。だから冬霞は冬霞のままでいいんだ」

 やんわりと冬霞が腕を回してくる。夢で見た光景を──愛しい後輩を手にかける光景を脳裏に浮かべながら、僕も抱き返す。

 かつて激情と共にあって、今は反射でしかない良心の痕跡器官が、頬を冷たく伝った。


 ──────

「やってくれたな、雪華セッカ

 獅子のような大男がにたりと笑う。都市の中央に聳えるビル、その高み。施政官会議には、早朝にも関わらず11人全員が一同に会していた。

「私の独断専行です。議会を辞する覚悟はできています」

「言い逃れくらいしたらどうだ、政治家だろう」

 どぎつい政治家冗句に、一瞬場が静まる。

「どう思います?皆さん。罰を与えるべきと?」

 老婆の提案に、投票システムは一瞬にして結果を示す……賛成1、反対10。

「どういう事ですか」

政治しごとしろ政治しごと。しくじる前に頭下げてどうする」

「下げる頭がその時繋がっていれば良いがのう」

 かかか、と枯れ枝めいた老人の笑いが響く。

「それより大事なのは、誰が封印の解法を盗み出したかって事だ」

 秘書が耳打ちし、コンソールに何か資料を映し出すと、枯れ枝は息を呑む。切り株のような顔にどこから湧いたか、脂汗がじっとりと浮かんだ。

「……冗談ではないんだな?」

 秘書が頷くと、資料が全員に横通される。容疑者のプロファイルと、関与の確率が。

遺構管理局 職員 阿左美アザミMünchenミュンヘン瑞穂ミズホ──0.02%

エキゾチック生験 職員 夜明乃ヨアケノSunriseサンライズソラ──45.8%

ノストラダムス教団──51.3%

遺構管理局 局長 帯刀オビナタТомариトマリ月詠ツクヨミ──89.6%

「クーデターでも起こす気か」

「まさか。その意図は?」

「確定したわけでも無いでしょう。まだこの話をするのは早いわ」

「しっかり目を光らせておくに越したことはあるまい」

「懸念が多くて困りますなぁ」

「お開きだな」

 奇妙なわだかまりを残したまま、会議は終了した。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

絶滅のトウカ THE DAY OF DESTRUCTION Mun(みゅん) @mizho_R

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ