同級生なのにセンパイ

結城十維

同級生なのにセンパイ

「先輩センパイ!聞いてください!!」


 また、いつものが始まった。


「あー、だから俺は先輩じゃないって言っているだろう!!」

「いえいえ、バイトの先輩じゃないですか!」


 レジで隣に並ぶ女の子が顔をぐっと近づけ、抗議する。


「ち、近いって」

「す、すみません!」


 彼女は慌てて離れ、甘い匂いだけが鼻に残る。


「確かにバイトの先輩だけどさ、同じクラスの女の子に『先輩』と呼ばれるのは違うと思う」

「え、先輩って同じクラスだったんですか」

「へ?」


 え、マジで言っているの?いや、確かに俺は存在感ないし、運動もできないし、勉強はそこそこできるつもりだけど、えっ、認識されていなかったの?


「何、マジでショック受けているんですか、先輩」

「はは、じょ、冗談に決まっているよな、ははは。って、先輩じゃないって言っているだろ」


 良かった、冗談だった。俺は認知されていたのだ。やったー!……まぁ、クラスに友達はいないけど。


「いえいえ、先輩です。私、同人イベントや声優さんのお渡し会に行ったことないですから。先輩はオタクの大先輩です!」

「そんなこと言われても嬉しくない」


 オタク歴10年。小さい頃、休日朝アニメに魅了され、こそこそと親に隠れて深夜アニメを見るようになり、年をとるにつれ、オタク化は加速。さらに声優に詳しくなり、ラジオを聴いたり、お渡し会に行ったり、アニメのライブに行ったり、同人誌即売会に行ったりし、今の俺が形成されたわけだ。え、俺の情報なんかいらないって?


「じゃぁ先輩は辞めます」

「わかってくれたか」

「ねぇねぇお兄ちゃん、聞いて聞いてー」


 小首を傾げ、甘い声で俺を見上げる。

 エメラルドの瞳は煌びやかに輝き、その眩さに吸い込まれそうになるのを、ぐっと堪える。


「おい待て、お兄ちゃんは駄目だ、駄目ゼッタイ!」

「えー」

「同級生にそう呼ばれるのは辛いし、犯罪臭がする。背徳感がヤバい。それにリアル妹と最近疎遠な俺にとって、その呼び方は泣けちゃうから、グスン、ちょっと待って涙拭くから」

「うわー、お兄ちゃんきもい」

「やめて、お兄ちゃんはやめて」

「DTさんキモイ」

「ど、ど、ど、童貞ちゃうわ!マジでそれは辞めろ、やめてください。先輩でいいです、ごめんなさい、猫屋敷様」

「わかればよろしい」


 えへんと偉そうに反らす胸に、思わず目を奪われるが、慌てて視線を逸らす。

 猫屋敷 華恋。

 同じ高校の、同じクラスの女子で、リア充グループの女の子だ。明るい髪色と同様、性格も軽やかで明るく、人当たりもよく、分け隔てなく接する人間なので、男子の人気も非常に高い。1週に1度告白されているという噂は聞いたが、彼氏がいるっていう話は聞いたことがない。

 休み時間には女子たちといつも恋バナに花を咲かせ、いや、別に聞き耳を立てていたわけではないけど、そうあいつらが寝ているフリをしている俺の近くで大声で話すのがいけなくてだな。と、ともかくクラスに友達がいなく、また部活に属さずにいる俺とは違って、猫屋敷はクラスの中心で、学年一の人気者といっても過言ではなかった。身分違いにも程がある。

 そんな彼女がどうして肩を並べて、コンビニのバイトをしているかというと、それは『金』のためだ。

 お洒落をするため?友達と遊ぶため?デートするため?

 違う。

 奨学金を稼ぐため?家族を養うため?

 違う、苦学生設定も、貧乏設定も猫屋敷には存在しない。


「で、話って何だよ?何を聞いてほしいんだ?」

「見ました?」

「何をだよ」

「わかっているくせに、今週のがーるずロックンですよ」


 不満げな顔をして彼女が述べる。

 『がーるずロックン』。中学生の女の子たちがロックに目覚め、全国優勝を目指し、必死に練習し、時には仲間と対立することもあるが乗り越え、成長していく青春アニメである。キャラは可愛く、でもストーリは熱くて、曲もカッコいい、今季最も盛り上がっている作品、それが『がーるずロックン』だ。

 そして猫屋敷が今1番ハマッている作品でもある。


「今週も六玖ちゃんが可愛くて、でも泣いちゃう姿は可哀そうで、愛おしすぎて、もう本当最高。間違いなく神回でしたよね!?」


 猫屋敷華恋はオタクである。


「もちろんだ。今週も素晴らしかった。特に、六玖の葛藤をリアルに描く演出が素晴らしかった。台詞無しで、画面で魅せる、表情で魅せる。最高だ。あの監督は天才か?」


 そして俺もオタクだった。


「天才ですね、前作の時から光るものがありましたが、今作で本格的に化けました」

「はっ、俺は前々作から注目していたけどな」


 むっと顔をしかめる。


「すぐマウントとろうとするなしー」

「へへっ、猫屋敷後輩には負けてられないからな」

「ふんっ」


 彼女がポケットから携帯を取り出し、ポチポチと操作したかと思うと、俺に画面を突き付ける。


「見てください、先輩」

「こ、これは六玖の合宿イベント、水着SSRじゃないか!?!?」

「へへー、いいでしょ」

「くっ、羨ましい。今まで持っていたチケットを全部つぎ込んでも当たらなかったのに」

「5万」

「はい?」

「バイト代5万を課金しました」


 美少女だけど、残念なオタクだった。俺も人のことは言えないけどさ。

 オタクは金がかかる。オタクであろうとすればするほど、お金は消えていく。だからバイトをして、お金を生み出さなければ、オタクとしてのアイデンティティを失ってしまうのだ。

 けど、


「さすがに馬鹿じゃない?」

「ば、馬鹿じゃないし!!この六玖ちゃんの笑顔を見ているだけで1日中幸せな気分でいられます。5万なんて安いものです。わかるでしょ、先輩!?」

「……気持ちがわかってしまうのが辛い」

「さすが先輩、分かり手です」


 ニヒヒと悪戯に笑う顔に思わず見蕩れ、


「うん?先輩、どうかしました?」

「いや、何でもない」


 話しかけられなければ、ずっとそのままでいたかもしれない。

 でも、きっとお金だけじゃない。

 

「それにしてもお客さん来ませんね」


 お客が1人も来ないので、ずっとこうやって会話に勤しんでいる。

 クラスに友達のいない俺と、カースト上位、学年トップといっても過言でない女の子とのお喋りタイム。オタクという共通点が無ければ絶対に成立しない関係。え、猫屋敷からトーク料を請求されたりしないよね?


「当たり前だろ、だからこの店を選んだんだ。大して働かず、稼げる。ぼけーっとしてても何も支障はない!」

「このコンビニ潰れませんかね?」

「だ、大丈夫だと思うけど」


 潰れない確証はない。

 わざわざ高校の最寄り駅から2駅離れたところにバイトに来ているので、今のところ俺と猫屋敷が一緒にバイトしていることはクラスにバレていない。閑散とした駅から少し離れた場所にあるのもあって、学生はおろか大人が訪れる数も少ない。なのに、ワンオペではなく、2人での勤務。いったい、この店はどこからお金を生み出しているのだろうか。


「お店が潰れるのは嫌だな」


 彼女がぼそりと呟く。「俺も嫌だ」という言葉を飲み込む。


「だって、先輩とこうやってお喋りできなくなっちゃうから」


 心がざわつく。

 俺自身こうやって、猫屋敷と話すのは楽しくて、面白くて。それは彼女が可愛いからというわけではなく、いや可愛くて魅力的であることは認めるが、感性が合って、居心地が良くて、共感できるオタク仲間であるからであって、この時間は俺にとってかけがえのない時間となっている。

 きっとそれはつまり、この感情は、


「そしたら次のバイトを探すだけだな」


 ……まだ言う勇気はない。

 彼女が下を向く。


「えー、そこは違うでしょ。ラブコメでも、もっとカッコいい言葉で……」


 おいおい、呟いているつもりだろうが、ばっちり聞こえているぞ。

 追究もできないので、話題を逸らす。


「猫屋敷は、コンビニ以外だったらどんなバイトしてみたい?」

「コンビニ以外ですか?えーっと、本屋さんに、映画館のスタッフに……」

「欲望に忠実だな」

「漫画の新刊をチェックできたり、アニメ映画をタダで見られたりするじゃないですか!」


 猫屋敷らしい回答だった。


「仕事そっちのけでオタク活動に励んでクビになりそう」

「しょうがないじゃないですかー。じゃあメイド喫茶とかどうですか?衣装可愛くて着てみたいんですよね」

「メイド喫茶?」

「見てみたくありません?メイド服の私」


 メイド姿の猫屋敷……!?


「先輩、顔が赤いですよ?もしかして私のメイド姿想像しちゃいました?」

「し、してねーし。コンビニの空調が悪くて暑いだけだし!」

「そういうことにしといてあげます」

「くっ、メイド喫茶は辞めとけ」

「えー何でですか」

「それは……」


 それはコンビニの同僚の俺が言うことではないし、オタク仲間の俺が言うことでもないし、ましてや同級生の俺が言うことでもない。


「ふふ、わかりました。そうですねー、色々な人と話すのは疲れるので却下ですかね」

「クラスの人気者が何を言う」


 彼女の言葉にほっとしてしまう自分を自覚する。


「先輩がずっとお金を払って、私を占領してくれるなら別ですけど」

「そんなにお金はないし、俺もそんなに暇じゃない」

「はいはい、アニメを見るのに忙しいですからね」

「その通り」

「さすがオタクの先輩です。メイド喫茶は辞めときますよ。それだと、そうですね、ゲームセンターの店員もいいかもしれません」

「ゲーセンかー」

「そうです、ゲーセンです」


 猫屋敷ときちんと初めて話したのはゲーセンだった。


「……先輩は覚えていますか?」

 

 彼女も同じことを考えていた。


「あー、忘れるわけないだろ。UFOキャッチャーでフィギアゲットしたと思ったら、それ私のです!と因縁をつけられたからな」

「しょ、しょうがないじゃないですか!3000円使って悪戦苦闘していたのに、お金が尽きてしまって、途方に暮れているところを、漁夫の利で先輩が奪っていってしまったんだから」

「仕方ないだろ。狙っていた人がいたなんて知らなかったんだ。お、これ落ちやすそう、ラッキーぐらいにしか思っていなかったぞ」

「むきー」

「それにあげたからいいだろ?」

「その節はありがとうございました」


 ゲーセンでフィギアを譲ってからというものの、猫屋敷とはゲーセンや、アニメショップ、本屋などで何度も遭遇した。狙っているものが同じことが多く、いつからか会うたびに自然と会話をしていた。オタク友達のいない、俺と猫屋敷にとって、話せるオタク友達は重要だったのだろう。ある時、彼女が金欠だといい、俺のバイトの話になった。そこで彼女も働きたいとなり、今に至るわけだ。


「何だか話していたら、お腹空きましたね」

「食べればいいだろ?お金払って」

「今月金欠なんですよ、先輩」

「先輩じゃない。金欠は5万課金したからだろ?」

「違います、それだけじゃありません!」

「フィギアの買いすぎ?」

「ぶぶー、BDボックスを買ったからでした!」

「はいはい、アニメのディスクじゃ、お腹はいっぱいになりません」

「でも、心はいっぱいになりますよね、先輩?」

「あー、理解してしまう自分が辛い。それに先輩って否定するのも疲れた」

 

 ぐーっと音が鳴る。俺の音ではない。つまり、この音は隣から聞こえた音で、


「本当にお腹が空いているんだな」

「そこは聞こえなかったフリをしてください!」

「悪い」

「本当に先輩はデリカシーがないですね」


 悪態づく彼女を尻目に、俺はケースの前に立ち、中から取りだす。


「しょうがないな、肉まん奢ってやるよ」

「わーい、先輩ありがとう!……って、これもう廃棄処分になるからタダになる寸前のものじゃないですか!」

「バレた?」

「いいですよ、好きですから」


 その単語を思わず誤解してしまいそうになる。

 俺から肉まんを受け取り、早速食べだす猫屋敷。

 もぐもぐと幸せそうに食べる彼女を見ていると、「バイト中に食べるな!」というもっともなツッコミは引っ込んでしまう。


「なぁ、猫屋敷」

「んぐ、……何ですか、先輩?一口欲しいんですか?」

「いらんわ。あのさ」


 いつか、センパイという言葉から卒業できるのか。


「今度さ」


 先輩であることを辞めることができるのか。


「……今度出る六玖のフィギア楽しみだな」

「ええ、そうですね。予約注文しましたから待ち遠しいです」


 ただ今は先輩という期間に、彼女に甘えている俺がいる。

 猫屋敷が食べ終え、時計をちらりと見る。そろそろバイト終了の時間だ。


「先輩」


 もう先輩じゃない、と否定する気はない。


「先輩、今週の土曜暇ですか?」

「え、ああ。バイトもないけど」

「良かったー、見たい映画があるんです。恋愛アニメなんですけど」


 恋愛アニメを、俺と……?


「それを俺と?友達といけばいいじゃん」

「アニメです、アニメ。クラスの女の子にはオタクであること秘密なんですから」

「じゃあ1人で行け」

「誰かと語るから面白いんです」


 そんな、


「絶対に面白いんです」


 真剣な


「絶対に」


 眼差しで見られて、


「わかったよ」


 断れるかよ。


「やったー、じゃあお昼に駅前集合ですよ」

「ああ、楽しみだな」

「ええ、楽しみです、先輩とのお出かけ」


 含みのある言い方をするな。

 交代の店員を待ちつつ、片付ける準備を進める。

 

「それとですね」

「ん?何だよ」


 そして、物語は始まる。

 一歩踏み出せば、言葉にすれば、きっと世界は変わる。


「先輩、今度は聞かせてくださいね」


 そういって、彼女は微笑むのであった。

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同級生なのにセンパイ 結城十維 @yukiToy

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