好き嫌いせず何でも食べましょう。
数日後、
たけのこご飯や卵焼き、小松菜の和え物などが彩りよく配置されている。
「いいですね、華やかで…… いただきます」
ああ、やはり美味しい。まさに春らしいお弁当だ。春らしいといえば。
傍らの「デザート」に目をやる。先程家の近所の公園で捕らえたトカゲ。角度によっては青色にも輝いて見える黒い体に、黄色い縦縞模様の通ったトカゲ。
(美しい)
状況把握のためか、両手の中でくるくるとあちこちを見回す姿にそんな感想を抱きながら、右手の親指を使って目にも留まらぬ速さでその小さな首を反対側に折り曲げた。
ある存在を魅力的に感じることと、その存在を捕食することは矛盾しない。
豚を「かわいい」と感じつつも食す者がいるように。菓子を「かわいい」と感じつつも食す者がいるように。
恐らく春を迎えて目を覚ましてからそう何日も経過していなかったであろうその爬虫類が、一口サイズに切られて瓶の中に砂糖漬けにされている。
これも美味しいでしょうねえ、と胸を弾ませた。
胃加物とて毎日自分で捕らえた生物を食べているわけではない。近所の店で食材や出来合いのものを購入したり、飲食店に行くこともある。
だが、自分で「食材」を捕らえる際はできる限り「食材」が苦しまない殺し方をするよう心がけている。ストレスを与えないようにして屠殺した牛の肉は美味しい、というような話を聞いたことがあるからだ。
人間だけでなく、動物園や水族館、一般の家庭から拐った動物達もそうだし、休日等に捕まえに行く野生動物もそうだ。一撃で絶命させるか、一旦気絶させてから薬品で殺害するようにしている。あまりに一瞬なため、犠牲者はほぼ間違いなく苦痛を感じる前に命を落とす。下手をしたら、中には自分が死んだことに気付いていない者もいるかもしれない。
平等な生命である植物にもそうしたいところではあるが、痛覚があるのかどうか不明確である。かねてより非常に悩ましく思ってはいるが、とりあえず抜いたりちぎったりもいだりする際は時間をかけず一瞬で終わらせるように心がけてはいる。
どの命も、できるだけ安楽に逝ってもらいたい。どの命も、できる限り美味しくいただきたいから。
この世には無数の種類の生物がいる。だから、できるだけ様々な種類の生物を口にしてみたい。姿形も体質も能力も味も全く異なるのに、平等な生命であることを思うと一層生命というものの偉大さを感じ取ることができる。
絶滅危惧種を保護する団体への寄付を欠かさないのもそのためだ。どの種も絶滅することなく、存続し続けてほしいと心から願っているから、微力ながら協力している。そうしていれば、いつかそれらの種も口にできるかもしれないから。
ふと、机上に置いた弁当の蓋に目が行った。はっとして、持ち上げる。透明なプラスチック製のそれには、小さな羽虫の死骸がこびりついていた。
(先程、置いた時に気付かずに潰してしまったのでしょうか)
胃加物は迷わず死骸を爪で剥がし取り、口に運んだ。
しゃくり、と砂を数粒噛むのにも似た歯ごたえと音がした。
先日のニュースで見たバラバラ殺人事件、酷く残酷だと思った。
殺したのに食べないなんて。生き物の命を奪っていい理由などまず存在しない。けれど、食べるために殺すのは仕方のないことだ。
生き物は他者の命を食べなければ生きていけない。食べるために殺すのは、罪ではない。生命は皆、他の生物の命を奪い続ける共犯者だ。
一方で、命を「食材」にしておいて食べないのは許しがたい行為だ。その命は殺された意味がないし、世界には食べたくても食べられない人達だってたくさんいるのだから。こんな残酷な話はない。
しかもこの前の事件の場合なんて、せっかくバラバラにしたのだから食べやすくなっているだろうに。
そういうわけで、胃加物自身は誤って殺してしまった生物は責任を持って食べることにしている。
先日のニュースといえば……
逮捕されたあの犯人のように、自分と違う者に差別意識を持つことが、まったくもって理解不能だ。
さらに言えば、職場の同僚のように、恋愛がどうのこうのとはしゃぐこともまったくもって理解不能だ。
就職の際、飲食業界に行くことも当然考えたが、ある特定の種類の料理ばかりに関わる機会が多くなってしまいそうな気がしたので考えを改めた。現在の勤め先は給料もいいし、「食材」を捕りにいく時間も持てるのでおおむね満足している。
ただ、よく社内の人々に「胃加物さんはどんな相手に対しても態度を変えない、優しい人だ」と言われる度に内心で首を傾げている。
むしろ人によって態度を変える意味が分からない。
納得できない言動を取る人物はいる。けれど、それが「嫌悪」にまで発展することはない。
良くしてくれる人だな、と思うことはある。けれど、それが「愛」にまで発展することはない。
「嫌悪」だの「愛」だの、大部分の人間達は何故そんなものを抱き、時に人生を一変させるほどに執着するのだろうか。
「嫌悪」があるから、他者を傷つけ苦しめ、あまつさえ殺す。
「愛」があるから、自分の大切な存在を守るためと称して他者を傷つけ苦しめ、あまつさえ殺す。
否定しているわけでも批判しているわけでもない。
「嫌悪」があるから危険な存在を忌避できるのだろうし、「愛」があるから自分以外の者を助けようと思えるのだろう。
それらの感情があるから、人という種は今のところは絶滅せずに存続できているのだろう。そのおかげで、自分は美味しい人間を食べることができているのだろう。
それらの感情を持つ人々に感謝はしている。必要な感情なのだろうとは思っている。
ただ自分にはどうしても理解できないというだけの話で。
命は皆、平等に尊い。どんな命も、平等に食べていい。
だから、劣った命なんてものも、優れた命なんてものもない。
特別な命なんてどこにもない。
トカゲの最後の一口をじっくり味わい、咀嚼する。
「ごちそうさまでした」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます