たまにはいいか
深山木
たまにはいいか
「ただいまー」
日も沈み、真っ暗な部屋に声は吸い込まれていった。
ただ虚しいだけだが、誰もいない部屋に向けて家族と暮らしていたころの惰性で声をかけている。
飯を作るのも面倒だが、帰りの電車からお腹の虫が鳴りやまないので仕方ない。何か作るか。
ネクタイを緩めながら、キッチンへ向かい、電気をつける。
冷蔵庫を開くと、朝ごはん用のパンとジャム、昨日の残りの肉じゃが。…あとはパックで買った卵か。
…碌な食材がない。
だが、買い出しに行くのも面倒だ。卵焼きでも作るか。
卵を2つ取り出し、ボウルやらフライパンを用意する。
まずはボウルに卵を割る。このとき、卵は角で割らずに平面で割ってあげるといいと昔バイトで学んだ。
この一瞬は緊張する。殻を紛らせると取るのが面倒だからな。
…うん。きれいに割れた。
次に、卵を白身から切る。なんでかは忘れたが、そうしろと母さんに教えられた。
カンカンと音を立てながら、黄と白色が交じり合うさまを作り出す。
切れたかなと箸を持ち上げ確認すると、きれいな黄色の流れができた。
そしたら、ボウルに砂糖、みりん、酒を入れて再び混ぜる。
うまく混ざったところで、中火でフライパンを温め、程よいころ合いで油をひく。そして、油をキッチンペーパーで拭う。
いつもこの工程のもどかしさは嫌いだが、まずい物を食べるよりはと思い我慢する。
そろそろだという己の直感で、卵を三分の一だけ流し込む。無感情に卵を広げ、手前に返していく。トロっとした卵は好きだが、加減を見ることや食中毒が怖くて一人暮らしを始めてからは食べていないことを思い出した。
今日くらいはいいか。
疲れもあったが、タベタイという感情が上回った。
完全に火が通りきる前に巻いていき、形を整え、残りの一部を注ぐ。手間はかかるがおいしいものが食べたいのだから仕方がない。
…できた。
柔らかな卵を皿に盛り付ける。包丁を入れると、柔な表面に思えるが形が崩れることもなく、トロっとした中身が零れ落ちる。
思わず口の中に唾液がたまった。自画自賛ではあるが、食欲をそそるおいしそうな見た目に仕上がった。
買ってあった市販のレンチンご飯とインスタント味噌汁、肉じゃが、そして卵焼きを食卓に並べる。
野菜が少ないが、まあご愛嬌だろう。
「いただきます」
手を合わせて、作ったばかりの卵焼きを口にする。
ふんわりと鼻孔をくすぐるいい香り。そして、口内に広がる甘さ。
疲れた身を癒してくれる。そんなやさしい味だ。
空腹は最高のスパイスというが、ぺろりと完食してしまった。
「ごちそうさまでした」
虚空に向かい感謝の意を向ける。
たまには一品くらい手間をかけて料理を作るのもいいかもしれない。
たまにはいいか 深山木 @fukayamagi
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます