誰かが呼んで噂が創る

不立雷葉

誰かが呼んで噂が創る

◇事件の発生


 一九九九年の出来事である。世間がノストラダムスの予言に賑わっていた年、K県のH町で二月に殺人事件が起きた。被害者は二〇代のOLであり、犯行現場は彼女が住んでいたアパートである。

 発見されたのは殺害されてから二週間が経過していた。


 被害者の勤める会社の上司が発見の切欠だった。一週間以上の無断欠勤が続いていた彼女を心配した彼がアパートに訪れ、新聞受けに溢れるほど溜まった郵便物に気づき良好な勤務態度を取っていた彼女が事件に巻き込まれたかもしれないと通報。

 警察が大家の協力を得て中に入ると、部屋の真ん中で変わり果てた彼女がそこにいたのである。


 一目見て殺人と分かる現場だった。彼女の遺骸は居間に敷かれたカーペットの真ん中で血溜まり横たわっており、腹部を大きく切り開かれ中に納まっていた臓物は引きずり出され部屋中に散乱した状態となっていた。

 酸鼻極まる惨状と、戸締りがなされていた事からK県警は知人による怨恨の線が強いと見て捜査を始めた。恋人や親族あるいは友人知人との間に交友関係を探ってみたのだが、被害者に恋人はおらず親族間のトラブルも認められなかった。


 また友人関係は希薄であったようで、彼女と最も仲が良いと思われた小学校からの友人も最後に会ったのは半年以上前。職場でも前述の通り勤務態度は良好と評価されるだけあって、それなりに良い人間関係を築いていたらしく事件直後の時点では悪い話は出ていなかった。


 では近所との関係はというと、可もなく不可もなくというべきか。良くある騒音やゴミ出しに関するトラブル等も無く、居住者とは顔を合わせれば挨拶はするという程度。殺害されたと思われる日に関しても騒音など怪しい様子は無かったと隣人は供述している。

 被害者の人間関係を洗っても容疑者は浮かび上がらない。警察は強盗殺人も視野に入れて捜査を行うが、不審者の目撃情報も無く捜査は難航の気配を見せ始めた。他に手がかりらしいものといえば、部屋の中から見つかった一本の動物の毛だけであった。

 


◇二人目の被害者


 OL殺人から二ヶ月が経った頃の事、事件は早くも風化を始めていた。


 事件発覚当初は紙面を賑わせていたのだが、三月に有名歌手の親族が殺害されるという事件が起きたため世間の注目はすっかりそちらに移ってしまっていたのである。

 もちろんK県警はOL猟奇殺人の捜査を熱心に進めていたのであるが、今だ新たな手がかりが得られない状況であり進展は何も無かった。


 そんな時に二件目の殺人事件が起きた。現場はH町と隣市の間を流れる川、そこを渡る橋の袂である。ここにはいつの頃からか一人のホームレスが段ボールハウスを作って住み着いており、殺害されたのはそのホームレスだった。

 最初に殺されたOLと同様に彼もまた刃物で腹部を大きく裂かれ、臓物を散乱させていた。けれども違う点もあった、OLよりも凄惨に殺害されていたのである。


 彼は腹部を裂かれただけでなく、四肢と首を鋭利な刃物切断されており付近に散らばっていた肉体を集めても足りなかった。そして動物の毛も発見されている。

 遺留品は犬のものと思われる動物の毛だけであり、それ以外に犯人に繋がりそうな手立ては無かった。OLとこのホームレスに関係は認められなかったが、内蔵が散乱しているという共通点から同一犯の可能性も考えられた。


 これにはH町の住人は戦慄せざるを得ない。最初のOL事件ならまだ自分には関係が無い、そう思えただろうが二件目に殺害されたのはホームレスである。この町に無差別殺人を行う悪魔的人物が潜んでいるように感じてしまったとしても無理は無い。


 当然、H町内だけでなく近隣の学校は集団登下校を行いクラブ活動も一時停止となり外で遊ぶ子供の姿は消えた。子供だけでなく大人たちも日没以降の外出を控えるようになり、住宅街でありながらH町からは人の気配が感じられなくなり、生活の明かりが灯りながらもゴーストタウンの様相を呈したのである。

 


◇児童・生徒の噂


 二月の終わり頃からH町内にある学校の児童・生徒達の間にある噂話、怪談あるいは都市伝説と呼んでもよいものが広がり始めていた。

 その内容は当然ながらOL猟奇殺人に絡んだものである。一九九九年という時期はノストラダムスの大予言、人類が滅亡するという説が話題になっていた時期の事だ。想像力豊かな彼らの間にはこの殺人事件の犯人が恐怖の大王であるという話が流行っていた。


 噂に寄れば人類を七月に滅亡させるために現われた恐怖の大王は人を食らって力をつけているという。誰が言い出したか分からない荒唐無稽な話だが、噂話というのは得てしてそういうものであろう。

 そして噂というのは広まるうちに尾ひれが付いてエスカレートしていくもの。子供の間で流行する恐怖の大王犯人説も例外ではなく、登下校の時間に休み時間に誰かが口にする度に恐怖の大王はそのディティールを増していった。


 彼らによれば恐怖の大王は身の丈二メートルを越しており、黒いマントで全身を覆い隠しているという。人型ではあるがマントの下は獣毛に覆われており、指先には鋭く長い爪を持ち人を切り裂き、尖った牙で人を食らうというのだ。

 この噂を本気にしていた生徒はあまり多くは無く、面白半分に話されていたところがある。だがノストラダムスの影響力は強く、信じ込んでしまっていた生徒にとってはとんでもない話。


 そんなものはいない、そう思おうとしていたところに予言の大王が現実の事件を伴って姿を表したのだから恐怖に囚われてしまっても仕方が無い。この噂が原因で登校拒否になってしまう生徒も現われた。

 こうなれば教師たちも手段を講じるというもの。だがこの手段というのは、恐怖の大王等というのは嘘であり現実には存在しないのだから話してはならない、という命令をするだけだ。


 だが子供というのは大人を信じない生き物であり、教師が懸命に恐怖の大王は嘘っぱちだというものだから彼らの間で噂は益々信憑性の強いものへと変貌してしまったのである。

 最初はただの作り話だと思って楽しんでいただけの者も、この緘口令が敷かれてしまったために噂ではなく本当の話だと信じてしまうようになった。大人は真実を隠しているのだと、一〇代という時期がもたらす特性もあいまって噂はより広まった。


 大人の目から隠れるように校舎の影で、階段の踊り場で、トイレの中で。恐怖の大王はより強大な存在へと姿を変えてゆく。

 そこに起きたのがホームレスによる殺人事件であった。当初は噂話でしかなかった恐怖の大王は根拠も無いのに真実性を強くしてゆき、恐れのあまりに口にするのも憚れるようになってゆく。


 教師をはじめとした大人たちは彼らが話しをしなくなった事に喜んでいたが、噂は止まらない。頻度は減ったが、彼らは恐怖の大王を実しやかに語り続けた。



◇大王現る


 児童と生徒、中高生が主となっていたこの恐怖の大王ブームではあるが誰もが信じていたわけではない。家から出られないほどに信じ込む者がいる中でも、やっぱり一種の怪談あるいは都市伝説という名の娯楽として楽しむものがいたし、頭から信じないものもいる。

 そうした信じない生徒の中にタカヒロという名の少年がいた。このタカヒロは成績も良くない上に素行も悪い、俗に言う不良少年というヤツである。


 さてこのタカヒロ少年なのだが、学校の勉強には付いていけなくとも怪談というものを嫌う性質があった。勉強は出来ないのだが、構内で噂される恐怖の大王の姿というのは非現実的であると感じていたし、仮にいたとするのなら警察が当の昔に捕まえているだろうと考えていた。

 そもそも彼は嘘を嫌う、だからこそ怪談が嫌いでおためごかしを図る大人が嫌いで不良あるいはヤンキーと呼ばれるタイプになってしまっているのだが。そしてこんなヤンキーと呼ばれる人種には、住んでいる地域に強い愛着を持っている者もいて、タカヒロ少年はちょうどその類だった。


 恐怖の大王という実しやかに語られる嘘が気に入らなかったし、その嘘を真実として受け止め実話として語る友人も気に入らない、お気に入りの場所を寂しいものにしてしまった噂の種が許せなかった。

 こういった一種の怒りそして一〇代特有の全能感と大人への不信感に駆られた彼はいてもたってもいられなくなってしまい、自警活動に出る事にした。こういう言い方をすれば格好よく見えるかもしれないが、賛同してくれた数少ない友人とガンを飛ばしながら町を練り歩いているだけなのだが。


 もちろんこういう事をすれば大人たちは彼に好ましい視線を向けるはずが無く、タカヒロ少年もその視線に気づいている。それが余計に苛立った。

 噂の種になった誰かを許すものかと息巻いて町を歩いたところで、彼らに見つけられるはずも無い。ケンカはほとんど負けたことが無く、背伸びをして煙草を吸おうが酒を飲もうが所詮は子供で大人の気苦労を無駄に増やしているだけなのだが、一〇代の彼らの視点はそこに至らない。


 人気の無い町を歩いたところで、出会えるものといえばムカツク教師と半ば顔馴染みになりつつある警官だけだった。

 タカヒロ少年が彼なりの警邏活動を初めて一週間が経った日のこと、その日のタカヒロ少年は特に中の良い友人と二人で人気の無い夕暮れの待ちを練り歩いていた。


「タカヒロよー。俺らじゃ見つけられっこねーべ、つか見つけてどーすんよ? あっちはナイフとか持ってんだろ? いくらおめーでも刺されたら終わっちまうしよ、帰ってゲームでもしよーぜ」


 と、仲が良いはずの友人にこう言われてタカヒロ少年は苛立ちを感じていた。彼の言うことが最もであることは理解できていたのだが、胸の奥にある粘ついた靄は歩みを止めさせない。


「っせーな! ビビってんなら俺一人でやるっつてんだろ!」


 額に青筋を浮かべてキレ気味に返しても友人は笑うだけで帰ろうとはしない。そのことにタカヒロ少年は悪態をつきながらも安堵し、前方の街灯に妙な人影を認めたのである。

 身長はかなり高く二メートルはあるように見えた、全身を黒い布状の物で覆い隠し頭にはシルクハットを被っている。明らかな不審者であると共に、噂で語られる恐怖の大王に酷似していた。


 捕まえてやると意気込み街を歩いていたタカヒロ少年だったが、いざ実物を見てしまうと背筋が凍りついて逃げ出したい気持ちが湧き上がってきたが背を向けようとはしなかった。無防備な所を晒してしまうのも怖かったし、それ以上に友人にビビっていると思われることのほうが恐ろしかったのである。


 震える足は武者震いだと言い聞かせ、街灯の下に佇む不審な影へと近づいていく。向こうもタカヒロ少年たちに気づいて、足音も無くやってきた。一歩一歩と距離が近づくにつれて緊張が高まり、まだ肌寒い時期だというのに汗が吹き上がる。

 そうして二メートル程度に距離が縮まったところで、不審な影は俯いていた顔を上げると共に大きく両手を広げた。マントの中には熊のような柔毛に覆われた太い体躯があり、そこから伸びる腕は胴体の太さには似つかわしくない針金のような細さであり、指とも爪とも判別できぬそれは夕暮れを反射していた。


 もうこの時点で叫びだしそうだったのだが、顔を見てやろうとさらに上を見た。開かれた口は耳まで避けており尖った乱杭歯が涎を滴らせている、ここで限界がやってきた。プライドも何もかなぐり捨て、喉を傷つけんばかりの悲鳴を上げてタカヒロ少年は友人と共に背を向けてひた走った。

 後ろを向けばそこに大王がいるかもしれないと、振り向かずに走って走ってどれだけ走ったか分からないが気づけば交番の中にいた。タカヒロ少年とその友人は恐怖のあまり記憶の一部を失ってしまっていたが、狂乱した彼らはパトロール中の警官に保護され交番まで連れて行かれたのである。


 ただ事ではないと感じた警官の落ち着いた対応と、出された緑茶の温かさに落ち着いたタカヒロ少年たちは警官に見たままの顛末を語り始めたのだが、どうにもそれはおかしなものだった。

 タカヒロ少年と友人は不審者に遭遇して逃げ出した点は同じなのだが、目撃した不審者の姿が大きく異なっていたのである。タカヒロ少年の見た不審者の姿は、一言で言えばシルクハットを被った悪魔という様相だったのだが友人の証言は異なるもの。


 彼が見たというのはビジネスバッグを手にした金色の髪をしたビジネスマン風の男性だったというのだ。逃げ出したのはその男性は額にも目があるだけでなく、鞄から真っ赤な血の付いた鉈を取り出したからだという。


 これに困ったのは保護した警官の方だった。

 タカヒロ少年もその友人も素行の悪い不良として知られている生徒ではあるが、酷く真剣に話しており大人をからかおうという様子は微塵も見られないのである。だからといってタカヒロ少年が見た不審者の姿は常軌を逸しすぎているし、友人のほうもおかしなことを言っている。


 二人一緒に目撃したにしては姿に共通点が無い、あるとすれば現実的に存在しないものを見たと主張しているということだろうか。結局、警官は思春期が引き起こすある種のヒステリーに襲われたものだと解釈することにし、目撃者が現われた事で恐怖の大王はより噂の中で強大さを増していった。



◇ある生徒の死


 三月にホームレスが殺害され、タカヒロ少年に目撃されてからというもの恐怖の大王の噂はより燃え上がっていた。新たな殺人事件は起きなかったが不審人物の目撃件数は跳ね上がる。


 さてこの不審人物だが多く目撃されているが一見足りとて同じ証言のものは無かった。男だったり女だったり、性別だけでなく年齢や人種も違っている。さらに人型ではあるものの、悪魔や怪物と形容するしかない姿の証言も数多い。

 警察もパトロールを強化するのだが不思議と警察の前には姿を表さないのだ。


 四月に入り恐怖の大王は噂ではなくなっていた、H町に現われる殺人鬼という都市伝説にその姿を変えていた。主に語るは一〇代の少年少女、大人たちにはバレないように放課後の教室で、夕暮れの通学路で恐怖の大王は語られる。

 目撃はされても新たな殺人が起きぬまま、四月は平穏のままに過ぎてゴールデンウィークを迎える。大型連休となり陰鬱な気分を吹き飛ばそうとして、H町の人々の多くは遠方に出かける者が多かった。


 旅先での出来事は彼らに凄惨な事件そして都市伝説を忘れさせるには充分で、連休明けになると皆どこに出掛けたのかの話に持ちきりとなって恐怖の大王の事を口にするものはいなかった。

 そうして一時的とはいえ語られることが無くなると移り気な一〇代のことである。自然と語るものも少なくなっていき、このまま流行として消え去る気配すら見せ始めたのだが五月の半ばに入った時に事件は起きた。


 被害者は高校生の女子だった。発見されたのは自室、学習机に座ったまま死んでおり遺体に首は無く、首は窓辺に置かれていた。部屋の中には一滴の血も無く、首の断面は非常に鋭利な刃物で一刀のもとに切断されたようである。


 犯行が行われたのは土曜日の昼で、朝食を食べてから部屋に篭っていた彼女を呼びに行った母親が第一発見者だった。警察は家族による犯行を疑ったが家族仲は良好であったし、家の中には首を切断できるような刃物が見つからなかったために外部の人間による犯行と推定された。


 ただ彼女の部屋の窓は内側から鍵が掛かっていた状態であったし、玄関から彼女の部屋に行くにはリビングを通らなくてはならない。ただし朝から母親がリビングを離れておらず、誰にも気づかれずに彼女の部屋に行くのはほぼ不可能な状態だった。

 奇怪というにはあまりに不可思議、超常的な事件に捜査担当者は頭を悩ませ胃に穴を開けるほど。マスコミもこの件については自主的に大々的な報道を避け、殺害された状況を報せるメディアはゴシップ誌にも存在しなかった。


 そしてマスコミが報道しなかったのはこれだけではない、学習机の上に置かれていた便箋とその内容についても報道しなかった。これに関しては事件が凄惨であるというより、支離滅裂な内容のせいだろう。以下に便箋の内容を一部を記しておこう。


『あれは恐怖の大王なんかじゃないノストラダムスとは何の関係も無い。面白がったのがいけなかった、話したのがいけなかった。あれを生んだのは私たち、呼んだのも私たち。

 あれは昔からここにいたに違いない。知られていなかっただけ、知られていたのかも。でもいなかった、その時はいなかった。誰も語らない名前を呼ばない、いるけどいなかった。』


 これ以降の文章も存在しているのだが、筆跡が乱れすぎていて読めるものではないが最後の一語は『爪』と書かれていることが判別できる。


 この文章を書き、殺害された女子生徒はクラスメイトによると怪談話等オカルトを好んでいたという。それと彼女が残したこの文章に何の関係があるのか、どんな意味があるのかは分からないし捜査の手がかりになることも無かった。



◇犯人逮捕そして終焉


 六月の頭に事件は唐突に終焉を迎えた。


 犯人が逮捕されたのである、犯人の名は仮にAとしておこう。Aは五〇代の男性で最初に殺されたOLと交際関係にあったという。といってもそれは健全なものではなく、援助交際といえば聞こえは良いがつまるところただの売買春だ。

 当初OLとの人間関係を洗っていても出てこなかったのだが、五月に入ってからOLの勤め先へ聞き込みに行ったところ「給与の割りに良い物を持っていた」「年上の男性と歩いているところを見かけたことがある」等の証言が新たに得られたのだ。事件発生直後は被害者への哀れみがこれらの証言をさせなかったものだと思われる。


 そしてこれらの証言を得て捜査を進めたところ、浮かび上がったのがAという男性だったのである。犯行動機は痴情のもつれ、彼女から一方的に関係の清算を持ちかけられたことに対し腹が立ったというのがその理由だった。

 事件現場に落ちていた動物の毛は、このAが飼っている大型犬のものであることも判明した。彼の衣服に付着していた犬の毛が事件現場に落ちたものであったのだ。


 これで一安心かと思いきや、このAはホームレス殺害と女子生徒殺害に関しては強く否認していた。確かにこのAとホームレス及び女生徒との間に接点は認められなかったし、女子生徒殺害に関して言えばアリバイがあったのである。

 精神鑑定も行われたが、癇癪の気が強いものの精神的な問題は認められなかった。結局Aは最初にOLを殺しはしたものの、以降の殺人事件にはなんら関与していなかったのである。


 では以降の殺人の犯人は誰だったのか、結局のところわからずじまい。警察の懸命な捜査にも関わらず何の手がかりも見つからず、捜査線上に容疑者が浮かび上がってくる事はなかった。

 それでも一応は犯人が捕まったということもあり、H町の人々は安堵に胸を撫で下ろした。生徒達も犯人が捕まった頃から恐怖の大王の噂をする事はなくなった。


 とりあえずは犯人がいた、人間の犯行だったということで不謹慎な話ではあるが面白みが薄れてしまったのがその原因だった。

 ただ不思議な事に、人の口から噂が出なくなると共に町中で目撃されていた不審人物の姿がぱったりと消えてしまったのである。

 


◇大王、再び


 一九九九年の八月、知っての通りノストラダムスの予言が成就する事はなかった。恐怖の大王が空から降りてくる事はなかったし、アンゴルモアの大王が蘇ることもなかった。一時はブームとなっていた予言は人々の頭から消え去り、顧みられることもほぼなくなった。


 猟奇殺人と目撃される奇怪な人物に震撼していたH町の人々も例外ではない。年末になればノストラダムス等というオカルトよりも、世間がそうであるように二〇〇〇年問題に注目が映っていた。この時にはもう不審者の目撃情報もなくなり、殺害された被害者の家族や友人以外にはかつての出来事として捉えられる様になっていた。

 大きなシステムの問題も起きずに新たな節目を迎えると、誰も予言と町を恐怖させた怪人の事は忘れ去られていた。犯人として逮捕された男性Aは相変わらずOL殺人以外の容疑を否認し続け、また関与した証拠も見つかっておらず警察の捜査は続いていたが有力な手がかりは無い。


 そのまま時は過ぎ、新たな世紀を向かえ平成が終わり新たな元号となった。

 新たな世になってしばらく経った頃、インターネット上でH町の事件が話題になった。発端はネット上の匿名BBSで、誰かがそこに思い出話のように語ったのがきっかけである。当時もセンセーショナルな事件であったため、再びH町の恐怖の大王は語られる事となった。


 BBSから俗にいうまとめサイトに転載され、そこからSNSへと噂は拡散していく。語る人物の数は二〇年前と比べ桁違いに増えていた、場所もH町だけでなくなった。日本どころか、ネットを通じ遥か海の向こうにまで知られる事となった。


 恐怖の大王の名が与えられていた真犯人の正体について、数え切れぬほど多くの者がそれぞれ憶測しネットの海に投げていく。

 そしてまたそれはH町に現われる、今度の怪物は長く消える事はないだろう。

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