落日の決闘

賢者テラ

短編

「おばあちゃん、今日もいい天気だね」



 車椅子を押す手を止めて空を見上げたアユミは、そう言って背伸びをした。

 山々に囲まれたこの盆地は、都会の喧騒も届かぬ静かな場所であった。

 聴こえてくるのは、鳥のさえずりと虫の声。

「そうだねぇ。この気持ちのいい空気の中で散歩でもできたら……どんなにいいだろうねぇ」

 おばあちゃんがポツリとそう言うのを聞いたアユミは、その小さな胸を痛めた。



 あばあちゃんは昨年、農作業機械の誤動作で、足に大ケガをした。

 不幸中の幸いで、手術自体は成功した。

 しかし、おばあちゃんは歩けるようにならなかった。

 医者は首をひねった。体の機能的には全く問題ないはずなのだ。精神的なものかもしれないし、何かのきっかけさえあれば歩けるようになるはず——

 術後の回復から半年以上が経過した今も、おばあちゃんは車椅子の生活を余儀なくされているのであった。



「そうだ! 山神様の白い粉、あれがあればどんな病気でも治るよ。おばあちゃん言ってたよね」

 名案が浮かんだとばかりに、アユミはパチンと手を叩いた。

「アユミや。あれはこの地方に古くから伝わるおとぎ話だからね、そんなもの本気にしちゃいけないよ」



 その昔話と言うのは、こうだ。

 隣り山に、山神様が祭られている祠(ほこら)がある。

 そこへ行って願いをかければ、百年に一度だけ、どんな病気でもたちどころに治るという「山神様の白い粉」が手に入るのだという。

「気持ちはうれしいけど、隣り山に行ったりして心配させないでおくれよ。私にゃ、自分の足なんかよりお前のほうが大事なんだからね」

「な~に言ってんの! 冗談よ。そんなの本気にしてるわけないじゃない」

 そう言うのとは裏腹に、アユミはすでに行く気満々だった。



「あれ、確かこのへんだったと思ったんだけどなぁ?」

 三時間かけて山道を歩いてきたアユミは、途方にくれた。

 二年前、遠足で歩いた時には、絶対ここに祠(ほこら)があった。

 土地勘もあり道には詳しいはずのアユミは、あるはずのものがそこにないので、狐にでもばかされたかのような感覚に陥った。



 あきらめずにその周囲を歩き回ると、一軒の丸木小屋が見つかった。

「この辺にはヒトは住んでないはずなんだけどなぁ……まぁいっか。ここの人に聞いてみよっと」

 アユミは小屋のドアをノックし、「ごめんくださーい」と呼びかけた。

 返事はなかった。アユミは、ドアのノブに手をかけた。

 鍵もかかっておらず、ドアはスッと開いた。



 小屋の中は、人が住んでいると思えないほど何もなかった。

 天井から裸電球がぶら下がっている以外にはテーブルと椅子と、部屋の隅に木箱が数十個積み上げられているだけ。

 不思議なカンが働いたアユミは、何気なく木箱のフタをずらしてみた。

 中には、ビニール袋につめられた、白い粉状のものがぎっしり入っていた。

 単純なアユミは、 「これがきっと山神様の白い粉なんだわ!」と喜んだ。

 そして木箱の中の粉を一袋、ジーンズのポケットに突っ込んだ。

 次の瞬間、ものすごい力がアユミの体を背後から締め付け、自由を奪った。



 縄で上半身を縛られ、体の自由を奪われてしまったアユミは——

 人相の悪い男の前に座らされ、質問をされた。

「お前はなんでここを知っている?」

「何でって……この辺の土地の人なら誰でもここを知ってるよ。まぁ、用事があって来る人はいないと思うけどね」

 男は、アチャーッと額に手を当て、天井を仰いだ。

「だから土地勘のない所は田舎でも使うのやめよう、って言ったのになぁ! まぁいいや。じゃあお前は何でこんな所に用事があったんだ?」

 アユミは、おばあちゃんの足のこと、そして山神様の伝説のことを、この見知らぬ怪しい男に語って聞かせた。

「ふーん。じゃあ、この小屋を建てる前にあった、あのバッちい祠を探してたわけか。残念だが、ありゃ邪魔だったからオレたちが潰しちゃったよ」

 これで、祠がなくなった謎が解けた。

「で……そこの白い粉がその病気を治す粉だと思った、と。そういうことだな?」

 アユミはこっくりと首を縦に振る。

「アハハハハ こりゃ傑作だ」 

 男は愉快そうに大笑いした。

 不思議そうにその様子を見つめるアユミに、男は説明した。

「その粉はな、お嬢ちゃん。薬は薬でも、人をダメにするほうの薬でさぁ。つまり覚せい剤、っていうのさ」



 同時刻。

 昼食時を過ぎても家に戻らないアユミのことをおばあちゃんが心配していた頃。

 一人の女が、道を尋ねてきた。この先の山に、建物は何かありますか? と。

「建物と言えるかどうか……地元の神様を祭った祠ならあるがのぅ」

「ありがとう。それで十分です」

 女は、一刻を惜しむかのようにスタスタと歩き去っていった。

 彼女は、腰にある最も信頼する相棒の感触を確認すると、ニヤリと笑った。

 ワタシのかわいい愛銃、ベレッタM93R——。



 男は、アユミと打ち解けた。

 まず、この小さな子供が警察機構の回し者であるはずがない。

 そして、ズレてはいるがおばあちゃん思いのアユミの話に、彼のサビついた良心は少しだけ顔を覗かせた。

 何よりも不思議に思ったのは、体を縛られて問いつめられてまでも、アユミが男を怖がったり泣いたりしないことだ。

「お前、オジサンが怖くないのか? オジサンはな、ヤクザ者なんだぞ! 平気で人を傷つける人なんだぞ?」

 ちょっと首を傾げて考えていたが、アユミは真面目にこう答えた。

「私……ヤクザ者が好きなの、タブン。『ヤクザ者』ってどんなのか良くは知らないんだけど、オジサンがそうだっていうのなら、好きになるわ!」

 それを聞いて腹の皮がよじれるほど笑い転げた男は、ついにはアユミの縄を解いてやった。



「そこまでよ!!」

 突然、小屋のドアがバンと開いたかと思うと、銃らしきものを構えた女がものすごい形相で突入してきた。

 しばらく、三人は固まったまま動けなかった。

 男はもちろん不意を突かれて驚いていたが、それ以上に困惑していたのは女のほうだった。

 何せ、銃を向けた相手は……何と小学校高学年くらいの女の子と、楽しそうにトランプをして遊んでいたのだ!

 女は思いっきり場違いな気まずさを感じたのか、銃を下ろしてコホン、とひとつ咳払いをした。



「オレはもう降参するよ。組にも大した恩義はないし、ただの荷物番だし。どうせアンタは刑事かなんかだろ?」

「そう、公安警察の遠藤亜希子」

「マル暴じゃなくて公安がもう動いていたのか。こりゃこっちの負けだな。アンタの噂も聞いてるよ。『規則破りの遠藤』 だろ?  同業者はみんなアンタを恐れてるよ」

「失礼ね! 私はどんな時も職務に忠実よぉ」

 木箱の覚せい剤を確認していた亜希子は、ムキになって反論した。

「……どうせ今回も、認められてない銃火器持ってきてるんだろ」

「エヘッ、バレたか」 

 亜希子はそう言って、腰のベレッタM93Rを得意気に見せる。

「そら。やっぱりじゃないか——」



 男がそう言い終らないうちに、亜希子はアユミに向かってダイブし、彼女を抱えたまま部屋の隅に転がった。

 その跡をなぞるかのようにかん高い轟音が小屋中に響き渡り、木の床に黒々とした無数の穴が空いた。

 亜希子はテーブルをひっくり返し、一秒をかけずに弾倉を銃に装填し、安全装置を外した。

「アンタ、武器はある?」

「いいや。まさかこんなことになると思っちゃいなかったからな」

 亜希子はバッグにしまってあった黒い塊を、男に投げてよこした。

 男が手にしたのはMP5K自動小銃、つまりサブマシンガンだった。

「アンタ、やっぱり噂通りの規則破りや……」

「またやっちゃったぁ」 

 亜希子はあっけらかんと言い放ち、ペロッと下を出した。



 ……敵は10人以上ね。

 弾幕をかいくぐりながら、亜希子はそう状況判断をした。

 小屋の窓を飛び降りた三人は、道とは反対側の斜面を駆け下りていた。

 夕方近くになっていたせいか足元が見にくく、思うように歩が進まない。

「あれはロシアン・マフィアね。私が来たのがバレちゃったかぁ」

「みたいだな。あんたは存在自体が派手だからな」

 二人が苦笑を浮かべて顔を見合わせた時、アユミの悲鳴が上がった。

 彼女ははじけるように体を回転させ、もんどりうって地面に倒れこんだ。

 あわてて駆け寄る二人。

「……足を撃たれたな。でも、かすり傷だ」

 男はシャツの袖を破き、アユミの足に巻きつけた。

「大したことないだろうが、歩くのは辛かろう。ここからはオレがお嬢ちゃんを背負っていく。援護できるな?」

 亜希子はくるぶしに忍ばせてあったもう一丁の愛銃、デザートイーグル50AEを抜き放ち、安全装置を外した。

「もちろん。任せてよ」

 言うが早いか、亜希子の手の二丁拳銃が火を噴いた。



 追っ手を一人ずつ確実に仕留めながらも、二人はやがて見えてきた目の前の光景に愕然とした。

「オレ達を火あぶりにする気だ」

 銃撃ではラチがあかないと見たのか、彼らの四方に火を放ったようだ。

 木々がパチパチとはぜ、炎が緑をどんどん舐めつくしていく。

「これじゃ、火の壁をくぐり抜ける前に私らは焼き鳥だわね」

 男はアユミの体を柔らかな草地に下ろし、玉のように浮かぶ額の汗を丁寧にぬぐってやった。

「あのなぁ。こんな時に、もっとマシな表現はないのかよ」

「いえ……我ながらマヌケな最期だなぁって。そう思ったら焼き鳥、死ぬ前に沢山食べときたかったなぁって」

 深刻な状況である割に、亜希子の態度は妙にサバサバしていた。



 その時だった。

 急に、山火事の音が消えた。

 いつの間に現れたのか、髪の長い、色白の女性が三人の目の前に立っていた。

「私についてきなさい」

 ボソッとそう言って、彼らの前を歩き始めた。

 刑事としてあらゆる状況に対処してきた亜希子も、あっけにとられた。



 それは、不思議な光景であった。

 女が歩く先では、火のほうが彼女をよけた。

 その後を亜希子と、アユミを背負った男が続く。

 安全な場所まで来ると、女の姿はまるで消しゴムでこすったかのようにかき消えてしまった。

「……お母さん……」

 アユミは息もたえだえにしゃべった。

「お嬢ちゃん。まさかとは思うけど……お母さんって今、どうしてる?」

「三年前に死んじゃった」

 亜希子と男は顔を見合わせた。

「見、見たよな? お前も、見えたよな?」

「ええ……見ちゃった、ね」

 亜希子も呆然とした。



 その後。

 警視庁によりSAT隊が山一帯に投入され、ロシアンマフィアと取引先であった山野組の関係者を制圧した。

 観念した彼らの最後の悪あがきで、C2小型爆弾が炸裂した。

 小屋と周囲200mはあとかたもなく吹き飛んだ。

 大量の覚せい剤は、粉雪のように辺り一面の空に高く舞い散った。



 亜希子と男は、心配しているであろうおばあちゃんのところへ向かった。

 男に背負われたアユミを見たおばあちゃんの心配は、頂点に達した。

 そして、何の前触れもなく、車椅子から立ち上がった。

 男の前まで歩いてきたおばあちゃんは、背負われたアユミの頭をなでた。

「アユミ、心配したんだよ。とにかく、生きててよかった……」

「おばあちゃん。歩けるようになったんだね!」

 アユミは満足そうな表情を浮かべて、目を閉じた。

 男は、天を仰いだ。

「なぁ、これってやっぱり『山神様の白い粉』だったんだよ」

 フワフワと漂い、白くけむる覚せい剤の降る空に向かって、ポツリとつぶやいた。

「本当に……そうね」

 亜希子は、フッと笑って銃をホルスターに収めた。



 三年後。

 事件当時、武器庫から勝手に必要以上の装備を持ち出したことで厳罰を食らった亜希子は、出世とは縁遠いヒラ生活を送っていた。

 男はあの事件後、大規模な麻薬取引に関わった罪で逮捕された。

 検察の求刑は懲役9年だったが、子供を救いまた刑事の捜査に貢献した事情が酌量され、求刑の3分の1に当たる3年の実刑で済み、なんとか刑期を務めあげた。



「二度とこの門をくぐるんじゃないぞ」

 刑務所の門衛は、男にそう声をかけた。

 ……これじゃ、ベタなテレビドラマと同じじゃないか。

 苦笑いして顔を上げると、そこには二人の人物が立っていた。

「やっほ~。おっひさしぶり~」

 相変わらずのふてぶてしくも愛嬌のある態度で、遠藤亜希子は声をかけてきた。

「アンタが待ってるとは意外だな。ところで隣りの娘さんは?」

「ええっ、やっだぁ。もう忘れちゃったの? まぁこの年頃の子って成長が早いから、仕方ないか~」

 セーラー服姿の可憐な少女は、はにかんで頭を下げた。

「お久しぶりです、オジサン。私……アユミです」



 三人はその足で、アユミの母の墓参りに行った。

 墓前で手を合せた三人の心は、ひとつだった。

「助けてくれて本当にありがとう——」

 普通に暮らしていれば、全く交わることがなかったであろう三人の人生が、ひとつになった瞬間であった。

 ……人の縁ってのは、つくづく分からねぇもんだな。



男は、新しく人生を生き直す希望に燃えていた。

女は、男と少女を守れた自分の仕事に、改めて誇りを持った。

少女は、死んだ母がいつでも自分を見守ってくれていることを知った。



三人が手を合せて黙祷を捧げる姿を、沈み行く夕日が照らしていた。



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落日の決闘 賢者テラ @eyeofgod

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