出雲からの船団がやってきた。帆は白くはためき、威を示すきぬがさの、金の装飾がきらめいている。櫂は統率され、船は速やかに津にたどり着く。わたしは山裾の見晴らし台から、それを見下ろす。

 きぬがさをさしかけられて、出雲の神――八千矛の神が高志に降り立つ。黒くつややかな下げ美豆良、豊かな髭、丈高い溌剌とした壮年の男神――

 かれはわたしを見上げる。遠くからでも、それがわかる。わたしは微笑み、廬に戻る。


八千矛の 神の命は 八島国 妻きかねて 遠遠し 高志の国に 賢し女を 有りと聞かして くはし女を 有りと聞こして さ呼ばひに 有り立たし 呼ばひに 有り通はせ 大刀たちが緒も 未だ解かずて 襲衣おすひをも 未だ解かねば 嬢子をとめの すや板戸を 押そぶらひ が立たせれば こずらひ 我が立たせれば 青山に ぬえは鳴きぬ


 洞窟の入口に、大国主が立って、朗々と歌を歌っている。わたしは大八島国じゅう、妻を問いかねて遠い遠い高志の国にやってきた。賢い女、美しい女がいると聞いて、あなたを呼び、さらに呼んで、引き続いて立ちずさみ、通い詰めた。大刀の緒も解かず、上衣の紐もほどかずに、あなたのいらっしゃる板戸を、押しゆすぶって、また立ちずさんで、引っ張ってまた立ちずさんでいると、青い山で鵼が鳴き始めた――

 呼ばうのは、夜、月の出ているあいだだけ。雨が降っていても、風がつよくても、月が沈んでもふさわしくない。それが現し世の、神と人のさだめだ。

 わたしは灯りを消し、洞窟のなかから、扉を見つめる。かれは松明を持って扉を揺さぶり、叩き、大声を上げてわたしを呼ばう。扉のすきまから光が漏れている。わたしは椅子に座り、頬杖をつき、それを見つめる。

 わたしが、はなり髪の時分のおとめであれば、この音に驚き困惑し、畏れたことだろう。おおきな力を持つ外つ国の男神に、ひれ伏してあなたに仕えると言ったかもしれない。そうして自分の国――いとしい高志の国を、この男に引き渡したかもしれない。

 しかしいま、わたしはそうではない。


とり きざしとよむ にはつ鳥 かけは鳴く 心痛うれたくも 鳴くなる鳥か の鳥も 打ちめこせね


野では雉が鳴き 庭では鶏が鳴いている いまいましい鳥め ぶん殴って鳴きやませてやろうか


 鵺も、雉も、鶏も、あなたのために鳴いているわけではない。身勝手で横暴な八千矛の神よ。

 わたしは立ち上がる。つねに淡く発光するからだに、おおきく息を吸い込む。そして、全身の力を込めて口をひらく。


八千矛の 神の命 え草の にしあれば 我が心 浦渚うらすの鳥ぞ 今こそば 我鳥わどりにあらめ のちは 汝鳥などりにあらむを 命は なせたまいそ


八千矛の神の命よ わたしは萎えた草のような女ですので わたしのこころは 砂地を飛び交う鳥のように 不安になって夫を求めております いまはわがこころのままにおりますが のちには あなたのものになりましょう ですから 鳴く鳥たちの命を 殺したりなさらないで


 扉の向こうが静かになる。わたしは両腕を伸ばす。闇のなか、ぼんやりと光るわたしのからだ。いままでも、これからも、これはわたしのもの。ずっとわたしを照らし、ずっとわたしを支える。


青山に日が隠らば ぬば玉の 夜は出でなむ 朝日の 笑み栄え来て 栲綱たくづのの 白きただむき あわゆきの 若やる胸を そだたき 叩きまながり 真玉手またまで 玉手差しき 股長ももながに さむを あやに な恋ひ聞こし 八千矛やちほこの 神のみこと


 わたしは今夜、かれを拒む。かれはわたしの歌に感じ入り、身を引く。けれど明日は、かれを受け入れる。うるわしい大国主の命、かれはわたしの、白妙のように白い腕、ふわふわと舞う沫雪のような胸に触れ、抱き締めていとおしみ、手枕を交わしてのびのびと眠るだろう。そう、わたしがあなたのものになるなら、あなたはわたしのものになるのだ。高志の玉、高志の国の女王にあなたは夢中になる。しげしげと洞窟に通って、わたしたちは子をなす。その子は出雲に行き、しまいに諏訪に鎮座する。けれどわたしはあなたの国には行かない。ずっとこの、険しい山、荒ぶる海のほとり、清冽な水ほとばしる川としてここにいて、神々や青人草の暮らしを見つめる。

 乙姫よ、わたしのいとしいむすめよ。畏れることはない。わたしたちは、問われたとて、なにも変わる必要はない。わたしたちはうつくしい。ヤマト、上毛野、諏訪、出雲、いずこからひとびとが来て、受け入れ送り出しても、わたしたちは玉のように淡く輝き、自分の生を照らすだろう。

 さあ、歌うのだ。おのれの歌を。

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歌声 高志の国の女王 鹿紙 路 @michishikagami

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