三
とっぷりと日が暮れ、月が出ている。妻問いに適した時間ではあるが、
なんだ、大物主。わたしは機嫌が悪い。あとにしてくれ。
小蛇の神が律儀にも戸の外にいる。あの神であれば、わが廬に入り込むのもたやすいであろうに。
つれないのう。せっかく遠遠し道を来たというのに。
そもそもおぬし、なにゆえ高志に来たのだ。高志姫の話では、ヤマトから呼ばいに来るのは青人草のほうだというではないか。
青人草の約束は青人草のもの。わたしはわたしの望みを持って来たのだ。わが半身がそなたのもとを訪ねる前に、うつくしいと聞くそなたと契っておこうかと。
半身?
おや、知らぬか。わたしは八千矛の大国主の
粟の神が八千矛の神を助けたというのは知っているが、それとはちがうのか。
ちがう、ちがう。わたしは
では、なにゆえ出雲ではなく、ヤマトで祀られている?
……。
のう、沼河よ。戸を開けてたも。八千矛の神のことを教えてやろう。
わたしは戸に歩みより、かんぬきをはずした。内開きの扉を引いて開け、手燭を向けると、そこには、細身で白髪、柳の葉のような眉に切れ上がったまなじり、赤い瞳の、金の冠や玉の首飾りに耳飾り、貝の釧で着飾った大物主が立っていた。
まあ。
ふふ、と蛇の神は微笑む。
このすがたを見せるのは初めてじゃのう。
蛇のすがたと同様、その笑みには狡猾ないろが見えるが、わたしは微笑み返した。
きらきらしく飾りたてても、身が負けることのないすがたというのは得だな。
うむ? よし、入れてたも。わが身をとくと見せてやろう。
洞窟のなかを案内し、板の組まれた床の、敷布の上に上げてやると、大物主はにこにこした。
沼河、そなたはほんにうつくしい。灯りを消してもよいか? 燭がなくともそなたのからだは輝くのだろ。
わたしはうなずく。すると、かれはふっと口をすぼめ、二股に分かれた舌を出して息を吹きかけた。手燭も、床の周りの灯台の灯りも、いちどに消える。
わたしは身を横たえ、大物主の抱擁を受け入れる。互いの上衣を脱がせ、素肌の腕を見せると、かれはそこに口づけし、玉のような腕じゃ、と言う。
なにを当たり前のことを。
そう言って、わたしは腕をかれのものと差しかわし、かれの首の下に入れる。闇に沈んでいたかれの顔が、わたしの腕に照らされてぼんやりと光る。
ここちよい光じゃ。
かれの顔がやわらぎ、わたしはそれを見つめる。そのあいだに、かれはわたしの首の後ろに自分の腕を差し入れる。向かい合って横たわり、かれはわたしの唇に口づけを繰り返す。薄いかれの唇は乾いていて、くすぐったい。わたしはころころと笑う。
ヤマトはこのごろ、まぶしうてな。
まぶしい?
蛇の神は目を閉じ、わたしの頬に自分の顔を寄せる。
荒ぶる海の向こうから、あたらしく日の神が来たのじゃ。
そうなのか……。
だから、そなたのような、柔らかい光は慕わしい。
かれはほそく目を開き、うっとりとわたしを見る。わたしはむずがゆくなり、かれをぎゅうっと抱きしめる。
そうだ、八千矛の神のことを教えてくれ。
床でほかの男の話をするのか!
かれが叫ぶので、わたしは笑う。
だって、おぬしがそう言ってわたしの戸を開けさせただろう。それとも、もう帰るか?
かれは鼻頭に皺を寄せる。
むう、そうであった。
そう言って、かれはわたしにいろいろと教えた。わたしはそれをよく聞き、ついでにかれの愛撫を受け入れ、しまいにすべて忘れ、ともにこころよいことをなすと、かれを抱きしめて眠った。一番鶏が鳴く前に、かれは白い蛇に戻り、二股に分かれた舌先でわたしの鼻にかすかな口づけをし、暗闇のなかをしゅるしゅると去っていった。
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