わたしの勢いに驚いた蛇が、ぴゅっと消えてしまったので、わたしは乙姫と顔を見合わせた。そこに、乙姫の母――高志姫が現れ、悄然と、出雲から船団がやってきます、と言った。

 ヤマトと折衝をしたのですが、乙姫の婿をヤマトから出すか、出雲から出すか、どちらかしか選択肢はないと言われました。ヤマトは荒ぶる海の向こうからやってきた船師を従えており、出雲は豊富な鉄の武器を持っています。どちらかを選ぶことはできないと伝えると、ヤマトからは乙姫の婿を出すから、出雲からは――……

 わたしはさけんだ。

 もしや。

 高志姫はうなだれた。

 神の婿を、神の姫にと。

 あなや。八千矛の神が、わたしを呼ばいに来るのか。

 はあ。左様です。

 高志よ。なんとかならぬのか。

 なんともなりませぬ。民草では大国主の神の妻にはなれませぬゆえ、交換もできませんので……。沼河さまはヤマトの神がお嫌いでしょう。

 小蛇だのなんだのが代わりにわがいおに来るなど、想像しただけで怖気が立つ……!

 ですので……。

 ……。

 八千矛の神は、たいへんな美丈夫で、出雲や近隣では評判だそうですよ。

 しかし、適妻むかいめがあれだろう。

 ……須勢理すせりさまですか。

 荒ぶる須佐男すさのおの命のむすめ。とても嫉妬ぶかいと聞く。高志まで追いかけてくるのではないか。

 さすがに舟を仕立ててまでは来ないのでは……。

 わからぬぞ。



愛子いとごやの いもの命 群鳥むらとりの わが群れなば 引け鳥の 我が引けなば 泣かじとは は言ふとも やまとの 一本ひともとすすき うなかぶし が泣かさまく 朝天あさあめの 霧に立たむぞ 若草の 妻の命


いとしい須勢理の命 群れ鳥のように わたしたちの一行が去れば 誘われていく鳥のように わたしが引き寄せられて行ってしまえば 泣きますまいと あなたはおっしゃるが 独り身の 一本しかないすすきのように うなじを垂れて あなたは泣くでしょう その嘆きの息は 朝の空にかかる霧のように 深く立つでしょう 若草のような いとしい妻よ



八千矛の 神の命や が大国主 こそは にいませば 打ちる 島の崎々 掻きる 磯の崎落ちず 若草の 妻持たせらめ はもよ にしあれば 汝をは無し 汝をて つまは無し


八千矛の神の命、わが大国主さま あなたは男でいらっしゃるから めぐる 島の岬や 漕ぎめぐる 磯の岬のひとつ残らず 若々しい妻を持っていらっしゃるのでしょうが わたしは女ですので あなた以外に男はおらず あなた以外に夫はいないのですよ



 もちろん、わたしにも恋人のひとりやふたり、いや、五人くらいはいる。なにしろ玉のような美貌と衣を通すような輝く肢体、遠くから繰り返し打ち寄せる父上の歌を聴き、高みからやまびこを響かせる母上の歌を聴いて育ったので、歌の腕もなかなかのものだ。ちかくの山の神、川の神、泉の神などなど。高志の村の青人草の若者も、果敢にわたしの廬にやってきては、歌いかけて戸を開けてくれと懇願する。気が向けば開けてやり、歌が気に入らなかったり、評判が悪い神や人は拒む。多いときは、一晩に数人を相手にする。待ちかねて合唱を始める者さえいる。うるさくなってわたしが一喝すれば、そういった者たちは蜘蛛の子のように散っていく。

 わたしは高志の国の女王。そうして男たちをさばいていたのだ。わたしのねぐらを侵す者はだれもいない。

 しかし出雲の、八千矛の神はどうだろうか? 大国主、神々の盟主である大己貴おおなむちの神は――……

 あの小蛇が言っていたように、このごろ力を付けた男の首長や神は、遠くへ行って妻問いをするという。ただ共寝の快楽や子孫をつくるためにそうしているのではない。行く先々の土地の首長や巫女である女たちの、財や権力を狙っているのだ。この高志の国であれば、わたしの産する玉を、その玉がもたらす威と財を――

 戦をしかけ、血や骸を並べて迫るよりは、穏当なやり方と言えるだろう。しかし矢面に立つのは女たちだ。自分のからだと機知だけを頼りに、自分を奉じる民のためになるように振る舞わなければならない。わたしの廬、険しい母上のからだに穿たれた洞穴は堅固だが、青人草の妻屋など、草で壁や屋根をつくった、吹けば飛ぶような家だ。武装した男たち、しかも地元の権威が通用しないつ国の荒ぶる者たちが押し寄せればひとたまりもない。そうしてこころをつぶす女たちもたくさんいるのだろう。

 うつくしい沼河よ、戸を開けてくれぬか。

 暗い気持ちになったわたしの廬の戸を、ほとほとと叩く者がいる。

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