歌声 高志の国の女王

鹿紙 路

青山に日が隠らば ぬば玉の 夜は出でなむ 朝日の 笑み栄え来て 栲綱たくづのの 白きただむき あわゆきの 若やる胸を そだたき 叩きまながり 真玉手またまで 玉手差しき 股長ももながに さむを あやに な恋ひ聞こし 八千矛やちほこの 神のみこと


青い山なみに 日が隠れれば (ぬば玉の)夜はやってくるでしょう 朝日が照り栄えるような笑みを浮かべて あなたはやってくる わたしの 栲綱のように白い腕を 沫雪のように若やいだ胸を そっと叩き 叩きいとおしんで 玉のような手を差し交わして 脚をのびのびと伸ばして 共に寝ましょう だから むやみに恋しがらないで 八千矛の 神の命よ 


 するどい頂きに白雪を冠とする山を母に、冬には狂おしく荒れる海を父に、わたしは生まれた。

 沼河ぬなかわ、玉を産する秘められた川。急峻な渓谷を駆け下り、わずかな沖積地をつくって海に注ぐ川。それがわたしだ。

 いにしえより、ひとびとの往来は難しく、しかしわずかな海民と山民は、舟とかちでわたしから産する玉を運び、加工し、生業とした。

 乳のいろの霧のなかにひらひらと花びらのように舞い散るみどりの光。この地の玉はそのような翡翠。金のようにきらきらしくもなく、鉄のようにつよくもない。にじむような、やわらかでたおやかな石。

 姫よ、そちらの暮らしはどうです。

 母に訊かれ、わたしは微笑む。

 麗しい母上、玉はヤマトや上毛野かみつけのに求められ、民草は豊かに暮らしています。

 そちらに遊びに行きたいものだ。

 父にささやかれ、わたしは微笑む。

 猛々しい父上、わたくしは毎日父上に玉を運んでいるではないですか。

 父は不満げだ。渦を巻き、白波を立て、未練がましく打ち寄せ、岩を濡らす。

 春、父の機嫌の上向く貴重な季節だ。ひとびとは雪解け水を甕に溜めて舟を仕立て、北へ南へ旅立って行く。宮もひとけが少なくなる。

 渓谷のわずかな平地、春の花が咲き群れるちいさな庭に歩み出ると、木で組み立てた座機ざばたに向かって、むすめがひとり織っている。

 おとひめよ、そなたは舟を見送りに行かずともよいのかえ?

 父の海の向こうから伝えられた、精緻な文様を織り出す機に向かい、むすめは微笑む。

 父も姉も、もうおりませぬゆえ。

 ……おお、そうであった。わたしとしたことが。すまぬ。

 乙姫――この国の首長を母とするむすめは、この前の秋に、父親と姉を海で亡くしている。

 青人草はあっというまにいなくなってしまう。

 そうですね。

 むすめは玉の碧のようにおぼろげに笑う。

 わたしは胸がきゅんと痛み、慌てて彼女の肩を抱く。

 うからでなくとも、そなたをたいせつに思う者は舟に乗らぬのか。

 むすめはを握り、ふっと目をさまよわせる。

 ……かあさまに聞きました。わたしを呼ばいに、遠い出雲の国から舟がやってくると。ヤマトよりもふるく、つよい神と一緒に――……

 なんだって。高志姫はそんなことを。なにゆえわたしにひとこともなく。

 ヤマトに頼んで、来るのを阻もうとされているのですよ。そのことの道筋がついたら、お知らせになるつもりだったようです。

 ヤマトなど! 蛇の神だの稲穂の神だの。母上に頼んで、その者たちが来る道に地滑りを起こしてやる。

 ……そうおっしゃられるだろうからと……。

 乙姫はぽろぽろと涙をこぼした。

 沼河姫。姫のみことのおかげで、わが里は玉を豊富に産し、その財で口を養っております。しかし、田畑は狭く、交易をしなければ、わたしたちは米をじゅうぶんに得られません。山の道にしろ、海の道にしろ、ひらいて受け入れ、また送り出さなければ、生きていけないのですよ。

 そのようなことはわかっておる。そなたの生まれる前から。

 そうでしょうとも。

 わたしは彼女をぎゅうぎゅうと抱きしめ、手で乱雑に涙をぬぐってやった。

 出雲の国からやってくるのは、八千矛の神。

 顔を伏せ、彼女は続ける。

 たくさんの鉄の武器を持ち、武勇にすぐれた、大国主おおくにぬしの命。そのような神の率いる民に、わたしたちは抗せるでしょうか。

 畏るるに足りぬ! わが民はいにしえから険しく荒ぶる海山を乗り越えて暮らしてきた。鉄がいかほどの力か。玉をあがめぬ民はおらぬ。

 かあさまはそう思おされてはおりませぬ。

 そうじゃ、いまの世は鉄がすべてを決める。

 そう言いながら、庭の茂みの下から、にゅるにゅるとちいさな白い蛇が現れた。

 ぬっ! おぬし、御諸山みもろやまの。

 遠遠とおとおし旅であった。さかし女、くわし女がおると聞き、しゅるしゅる、しゅるしゅると地虫の通る穴を通ってやってきてやったのじゃ。歓迎せよ。

 せぬ! ヤマトへ帰れ、大物主おおものぬしよ。

 蛇は口をぴかっとひらき、二股に裂けた赤い舌をぴろぴろとふるわせる。

 おお、おお、たかが国つ神が吠えておる。

 無礼な! そなたの身を飾る玉を二度とやらぬぞ。

 よいよい、このごろでは出雲でも玉を産するでな。赤いのだの、白いのだの、よりどりみどりじゃ。

 なんだと……。

 眉間に皺を寄せるわたしに、蛇の神はけけけ、と笑う。

 出雲もヤマトも、あちらの田が欲しい、こちらの川が欲しいと言えば、鉄の剣だの矛だのを持ち、延々と隣のおびとと殺し合っておったが、いま時分は、もう生き残っている者もわずかじゃ。そういう生き恥さらしが、大手を振って王であると名乗り、ほかの国へ呼ばいに出かけている。厚顔無恥の極みじゃな。

 おぬし! なにゆえそうも民草をこきおろしておいて、のさばらせたままにしておるのだ。おかげで高志の国はいい迷惑だ。

 蛇の神は、まるい目をほそくした。

 どうでもよかろ。青人草がどう生きようが。われわれは神。調みつきが滞りなく献上されれば、世がおもしろおかしいように動くようにするだけでこころたのしいものじゃ。

 わたしは顔を真っ赤にして怒鳴った。

 たわけが! 自分の尾を呑んで死ぬがいい。

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