歌声 高志の国の女王
鹿紙 路
一
青山に日が隠らば ぬば玉の 夜は出でなむ 朝日の 笑み栄え来て
青い山なみに 日が隠れれば (ぬば玉の)夜はやってくるでしょう 朝日が照り栄えるような笑みを浮かべて あなたはやってくる わたしの 栲綱のように白い腕を 沫雪のように若やいだ胸を そっと叩き 叩きいとおしんで 玉のような手を差し交わして 脚をのびのびと伸ばして 共に寝ましょう だから むやみに恋しがらないで 八千矛の 神の命よ
するどい頂きに白雪を冠とする山を母に、冬には狂おしく荒れる海を父に、わたしは生まれた。
いにしえより、ひとびとの往来は難しく、しかしわずかな海民と山民は、舟と
乳のいろの霧のなかにひらひらと花びらのように舞い散る
姫よ、そちらの暮らしはどうです。
母に訊かれ、わたしは微笑む。
麗しい母上、玉はヤマトや
そちらに遊びに行きたいものだ。
父にささやかれ、わたしは微笑む。
猛々しい父上、わたくしは毎日父上に玉を運んでいるではないですか。
父は不満げだ。渦を巻き、白波を立て、未練がましく打ち寄せ、岩を濡らす。
春、父の機嫌の上向く貴重な季節だ。ひとびとは雪解け水を甕に溜めて舟を仕立て、北へ南へ旅立って行く。宮もひとけが少なくなる。
渓谷のわずかな平地、春の花が咲き群れるちいさな庭に歩み出ると、木で組み立てた
父の海の向こうから伝えられた、精緻な文様を織り出す機に向かい、むすめは微笑む。
父も姉も、もうおりませぬゆえ。
……おお、そうであった。わたしとしたことが。すまぬ。
乙姫――この国の首長を母とするむすめは、この前の秋に、父親と姉を海で亡くしている。
青人草はあっというまにいなくなってしまう。
そうですね。
むすめは玉の碧のようにおぼろげに笑う。
わたしは胸がきゅんと痛み、慌てて彼女の肩を抱く。
むすめは
……かあさまに聞きました。わたしを呼ばいに、遠い出雲の国から舟がやってくると。ヤマトよりもふるく、つよい神と一緒に――……
なんだって。高志姫はそんなことを。なにゆえわたしにひとこともなく。
ヤマトに頼んで、来るのを阻もうとされているのですよ。そのことの道筋がついたら、お知らせになるつもりだったようです。
ヤマトなど! 蛇の神だの稲穂の神だの。母上に頼んで、その者たちが来る道に地滑りを起こしてやる。
……そうおっしゃられるだろうからと……。
乙姫はぽろぽろと涙をこぼした。
沼河姫。姫の
そのようなことはわかっておる。そなたの生まれる前から。
そうでしょうとも。
わたしは彼女をぎゅうぎゅうと抱きしめ、手で乱雑に涙をぬぐってやった。
出雲の国からやってくるのは、八千矛の神。
顔を伏せ、彼女は続ける。
たくさんの鉄の武器を持ち、武勇にすぐれた、
畏るるに足りぬ! わが民はいにしえから険しく荒ぶる海山を乗り越えて暮らしてきた。鉄がいかほどの力か。玉をあがめぬ民はおらぬ。
かあさまはそう思おされてはおりませぬ。
そうじゃ、いまの世は鉄がすべてを決める。
そう言いながら、庭の茂みの下から、にゅるにゅるとちいさな白い蛇が現れた。
ぬっ! おぬし、
せぬ! ヤマトへ帰れ、
蛇は口をぴかっとひらき、二股に裂けた赤い舌をぴろぴろとふるわせる。
おお、おお、たかが国つ神が吠えておる。
無礼な! そなたの身を飾る玉を二度とやらぬぞ。
よいよい、このごろでは出雲でも玉を産するでな。赤いのだの、白いのだの、よりどりみどりじゃ。
なんだと……。
眉間に皺を寄せるわたしに、蛇の神はけけけ、と笑う。
出雲もヤマトも、あちらの田が欲しい、こちらの川が欲しいと言えば、鉄の剣だの矛だのを持ち、延々と隣の
おぬし! なにゆえそうも民草をこきおろしておいて、のさばらせたままにしておるのだ。おかげで高志の国はいい迷惑だ。
蛇の神は、まるい目をほそくした。
どうでもよかろ。青人草がどう生きようが。われわれは神。
わたしは顔を真っ赤にして怒鳴った。
たわけが! 自分の尾を呑んで死ぬがいい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます