第2話 世界を救えるのは私?
ケイを家に入らせるとスリッパを隅から出した。
「はい、これ履いて先二階行っててくれる?」
「これは何?」
首を傾げながらまじまじとスリッパを見つめる。ケイは初めて見たようだ。
「これはね、スリッパっていうの。日本は家に入る時靴を脱いでこれを履くのよ。ほら、靴下じゃあ汚いって言っちゃダメだけど、一応礼儀としてね」
「スリッパ…なるほど。ニホンは靴を脱ぐのか?」
「ええ。外国人にとっては驚きだよね」
外国人は靴を脱がないと聞いたことがあるが、だからといって土足のまま入れるわけにもいかない。
ここはしっかりと履いてもらおう。
ケイはなれない感じでスリッパを履いた。
少し足元をもじもじさせていたが、だんだん慣れてきている様子。
「じゃあ二階に行っててくれる?飲み物持ってくるから。あ、お茶しかないけどいい?」
「オチャ?オチャって何?」
「え…」
さっきから質問攻めされてる気がする。これじゃあなんでもキリがない。こんなことしてる間にも“あいつ”が来るかもしれないのに。
でも教えないわけにもいかないし…。
ケイがこちらの返答を待っている。
あちらにとっては分からないことだらけなんだ。日本の認知度を上げるためにも教えた方がいいと思う。
私はスマホを取り出すと『お茶』と検索した。
便利になったものだなぁと感心しながら説明書きを読み上げる。
「お茶は、チャノキっていう植物の葉とかを加工して作られた飲み物──だって。」
「チャノキ…それは美味しいのか?」
「まぁ、加工して食べれるんだし害はないと思うけど。素のままで食べたことないからなんとも言えないかなぁ」
「そうなんだ」とケイは呟くと気が済んだのかクルッと私の方に背を向けて拍子に合った足取りで二階へ上がって行った。
「そうなんだ」しか言わないの?もっと「ここ何?」とか言うもんだと思った。
ケイの対応が塩対応で悲しくなってくる。
いまいちケイのことが分からない。急な行動がありすぎてついていけないし。
ケイの行動を予測しても百八十度回転するもんなぁ。
足音が遠くなるのを聞きながら私はキッチンへと足を運んだ。
幸い親は帰ってきていないのでケイのことを聞かれることは無い。
安心して冷蔵庫を開ける。
ヒヤッとした風が肌を撫でて暑さを吹き飛ばしてくれた。
さっきまで目の前にいた砂漠やラクダの姿は消えて無くなっている。
暑さで幻覚が見えていた。やばいやばい。
頭を左右に振って冷蔵庫から冷えた麦茶を取り出すと、透明なグラスに八割くらい注いだ。トクトクと心地よい音が一層涼しくさせる。
グラスを手で掴んで勢いよくカラカラの喉に押し入れた。ゴクゴクと喉が鳴り終わり、プハァとため息混じりに感嘆の声を出す。
「これぞオアシス!生き返る〜」
拳を上に突き上げ歓喜に満ちていたが、外から聞こえてきた蝉の声で強引に現実に引き戻された。
「こんなことしてられない。ケイのところにも持っていかなくちゃ」
一階より二階の方が熱が籠りやすいことは知っている。
早くしないと。ケイがまた倒れた、なんてことになったら大変だ。
飲み干したグラスにもう一度麦茶を注ぎ直して、円くて黒い漆が塗ってあるお盆に二つ乗せた。
今度は冷凍庫を開けてキンキンに冷えた氷を取り出しグラスに二、三個投げ入れる。
カランと軽い音が鳴り響いた。
太陽から差し込む光の屈折により氷がダイヤモンドの輝きと化している。
ただの水道水で作った氷なのに、どことなく上品さがあった。
その幻想的な作品に思わず見とれてしまったが、なんとかケイのいる二階へとお茶を運びに行った。
やはり一階より蒸し暑く汗が吹き出てきたが、ケイはというと何も感じず凛と座っていた。
汗一つかいていない。
「あ、暑くないの?クーラー点けよ」
服の襟を掴みパタパタ仰いでリモコンに手を伸ばそうとすると、
「私はそうでもないけど、あんたが暑いって言うなら…」
とケイは訝しげな表情でこちらを見てきた。
え!?こんな暑いのに暑くないってどういうこと?
と思考をグルグルさせる。
私の頭がおかしいのかなぁ…。
もしかしたらケイは暑いのが得意なのかもしれない。
そう思うことにした。
決して自分の頭のおかしさを肯定している訳では無い。断じて。
なんか暑い暑い言ってる私が馬鹿みたいじゃない。
渋々エアコンの電源を付けてケイと向かい合う形で座った。ミニテーブルにコースターを二枚敷きその上に冷えたグラスを置く。
お茶の匂いを嗅ぎ続けるケイを横目に私は勢いよくお茶を飲み干した。
ギョッと目を見開くケイだったが私の幸せそうな顔を見るや否や、覚悟を決めてお茶をコクリと一口飲み込んだ。
するとみるみるうちに目が輝き、さっきの警戒はなんだったのかグラスをグビグビ飲み干した。
ドンッとグラスをテーブルに叩きつけるように置くと
「美味い!こんな飲み物初めて飲んだ!」
と頬を震わせながら言った。
「気に入ってくれて良かったよ」
私はため息混じりに言った。なんか、わがままな人だなぁとも思ったが。
すると一瞬にして空気が異質なものに変わった。
こんなに暑いのに背筋が凍る。
ケイはスイッチを切り替えたように真剣な顔になった。
切れ長の目がより一層長いまつ毛を強調させる。
な、何?と戸惑っていると、空のグラスを静かに見つめていたケイが、ふぅ。とため息をついた。
「こんなことあんたに言うのもなんだけど、私と一緒にこの世界を救ってほしい」
「は?」
いきなりのことで間抜けな声を出してしまった。
真剣な顔で何を言うのかと思ったら…。
「あんたにしか頼めないんだ。だから…」
「ちょ、ちょちょちょ待ってよ。無理だって!そんな世界を救う力なんてないし。ケイを守れるかどうかだって…」
「…でも、私を助けてくれた」
「それは…」
それとこれとは別次元だ。世界なんて広すぎる。何億の人の命を抱えるなんて私にはできっこない。
「助けたと言ってもローブ脱がしたり水飲ませたくらいだし。そんな大きな力なんて…」
「違う」
ケイは頭を振り私を見つめてきた。心の中まで
「うっ…」
その強さに一瞬怯んでしまった。
ケイは気にせずに口を開く。
「“あいつ”にかけられた魔法は普通の人じゃ解けない。私も自己治療を試みたが駄目だった。けど、あんたは違う。あんな強力な魔法をいとも簡単に解いたんだからな。」
え?ケイが倒れてたのって熱中症の類じゃなかったの?
それに魔法をかけられてたって…。
「もしかして、ケイって魔法が使えるの?」
「あれ、言ってなかったっけ。私はメリトニア国という所で生まれた。その国の者は九割魔法が使えない。けど稀に魔力を持った者が生まれるんだ、私のようにな。」
「じゃあ、レアキャラってこと?一割ってかなりの確率ね。」
「あぁ。」
ケイの声が低くなった。表情はさっきよりも暗い。
地の底を見るような遠い目で続ける。
「しかしその分命を狙われるということだ。珍しい物にはそれほどの価値がある。私の仲間も連れていかれた。」
ケイの憎しみがこもった声でメリトニア国で何が起きたのか想像出来た。かなり大変な思いをしたんだろう。
「酷い…。一体誰がそんなことするの?」
するといきなりケイが立ち上がりキイッと私の方を睨んだ。目には今にも溢れ出しそうな涙がこれでもかと言うくらい溜まっている。
震える声でケイは言った。
「そんなの人間に決まってるだろ」
ガツーンと後ろから殴られるような感覚に襲われた。
じわじわと背中の方から凍りついていく。
それとは裏腹にだんだんと顔が熱くなってきた。
なんだろう。抑えきれない。
そう思う頃には手遅れで私もケイに負けじと勢いよく立ち叫んでいた。
「じゃあ、なんで私を頼るの?私も人間だよ。助けてくれたからって、お金に目がくらんで手のひらを返すかもしれない。なのに、なんで…」
私には分からなかった。嫌いなら何故こうまでして頼ろうとするのかが。
確かに私は助けると言った。けど人間が嫌いなら私の手を払い除けることだってできたはずた。
それをしなかったのは───
「あんたが他の人と違ったからだよ。目を見て分かった。私を、この世界を助けてくれるって本能がそう言っていた。」
「だからって…」
するとケイは静かに笑った。さっきの憎悪に満ちた顔はなくなり、幼い無邪気さが残った顔で言う。
「私は単純なんだよ」
その純粋な顔が私の心に幾千の矢となって刺さった。
「もう、隙ありすぎ。それじゃぁ誰がケイを守るのよ」
何故か私も、ふつふつと煮えていた感情が消えて無くなっていた。その代わりにある決断が固まる。
「わかった。世界を救ってみせるわ!どんな敵もかかってこいよ」
腰に手を当てると、ふんっと荒い鼻息を出した。
「ありがと。あんたを頼ってよかったよ」
ケイはそう言うと右手を出してきた。
私はそれに続き同じようにして右手を出すと、ケイの手を固く握った。
「これからよろしくな、絵里」
「あ!名前、初めて呼んでくれた!」
そう言うと、ケイは顔を少し赤らめる。
「やっぱ言いずらいからあんたでいいや」
「えー!なんでよー」
ケイの顔にも笑顔がこぼれる。良かったと胸をなでおろした。
これからどうなるんだろう。もしかしたら私がやられてこの世界からいなくなってしまうかもしれない。
死ぬ時は後悔のないようにしたいなぁ。
そう思いながら外の景色を見る。
生憎蝉と陽炎しかない風景だが、世界を救うために私は立ち向かう。
梅干しが世界を救う話 里月 @Moon-bookSastuki
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