第9話 交通ルールに即した運転

MT車の第一段階の半分が終わった。しんどい展開もあったが無事乗り越えて、

いよいよ実際の交通ルールに沿った運転教習が始まる。

教習課程、12.通行位置の選択と進路変更、13.障害物への対応、14.標識・標示に従った走行、

15.信号に従った走行、16~18.交差点の通行( 直進・左・右折)。言葉にすると簡単そうに感じるのは何故だろう。

 本日の教官は天使ことドドリア。比較的自分と相性の良い教官だ。

 まず手始めに、これまで普通に通行していた直線道路の障害物ポールを右矢印、左矢印を使って追い越してゆく。

 教習課程11までは特に意識しなかった、というか出さなかったウィンカー・左右合図を駆使した右折・左折、交差点の通行。

 これが非常に難しい!!

 ただでさえ車の操作で手一杯なのに、

 やれルームミラーを見ろ

 だの

 矢印を出せ!

 だの

 ドアミラー目視が抜けている。

 だの

 散々な言われようでさっそく頭はパニックになってしまった。

 なんだこれ? なんだこの教習。

 いつもは優しく感じる指導員がその日に限っては鬼に見える。

 悪夢だ、これはきっと悪い夢なんだ。

 何度も外周を回り、ポールを使った追い越しも慣れてきた頃、

 今度は

 A左折の後B右折してポールに合わせて停止しましょう。

 などと言われる。

 同じ道でも要所要所でウィンカーを出しながら進むだけで難易度は跳ね上がり、僕の頭はどんどん真っ白になっていくのだ。

 この段階になると、常にアルファベットで次に走行する道を指示されるため教習所のコースをある程度覚えていないと苦しくなってくるようだ。指示されたルートが良くわからず通り過ぎてしまい何度も注意されてしまった。

 それに加え交差点停止、先頭発進の際の左右確認、左折時合図30メートル手前付近の把握などのように50分の教習の中で行うことが大幅に増え、これまで以上に高い集中力を要求されるから堪らない。

 この間の教習は、困難を極めた。

 正直、交通法規に沿った運転がここまで大変だとは思っていなかったから。

 まさに前回の用務員のおじさん風指導員の言ったとおりの展開。

 とにかく、このままでは教習が持たないと、所内コースの上面マップを手に入れた俺は、その地図を使ったルートの詳細な確認とウィンカーを出す30メートル手前付近へのマーキングを行い、さらに何度もイメージトレーニングをしたうえで教習に挑むことにした。

 そんな俺の地道な努力が実を結び、+2回の復習項目で教習課程18までを突破することができたのだが、その間ずっと思っていたことは  MT車辞めてえ・・・

 というか教習所辞めてえ・・

 だった。

 33歳にもなって無様すぎる。やっぱり免許は若いうちに取るに限るな。 

 しかしやっぱり免許は欲しい。

 車に乗って旅がしたい。

 免許取ったらどこか人のいない崖に車を止めて、ボンネットの上で思いっきり阿波踊りをするんだ。

 まあそれは嘘だが、ミニクーパーを買って大都会を乗りまわしたい願望はある。

 そんでもって三日に一度新宿の伝言板にXYZと書いてあるかどうかを確かめたい。

 きっとみんな辛い辛いと思いながらも必死に教習所に通っているんだ。

 俺だけが逃げるわけにはいかないのだ!

 運転にも慣れ、第一段階の技能教習も残すところあと三つ。

 AT乗車。

 ふみきり。

 そして、みきわめ。

 行くぞ! 乗るぞ!!

 教習終了後、俺は莉来にLINEを送った。

 「今日も大変だったけど何とか乗り越えたよ」

 「ホント、よかったね」

 「莉来のためにもがんばるよ」

 「嬉しい。そういえばもうすぐ花火大会だよ」

 「花火?」

 「行こ」

 俺は莉来と花火大会に行く約束をしてLINEを終了した。


ユニコーンのすばらしい日々を聴きながら電車に乗っていたら鬱な気分になった。

 この曲、俺が中学生ぐらいの頃は普通に良い曲だと思って聴いてたのに、

今はその歌詞の深さに泣けてしまう。

 この疾走感の中に漂うこの上なく深い悲しみ。

 そして忘れたら会いにいける、という永久の別れを案じさせる歌詞、

 大人になった今なら解るよ、この歌の意味が。

 優れた文学作品は読んだときの年齢によって解釈が異なる場合が多々あるが、この歌はまさにそんな感じだ。

 民夫やっぱあんた凄すぎる、凄すぎるよ!!

 いよいよ教習所第一段階も大詰めである。今回はATに乗ってみた。

 特記事項は、あんまりなかった。運転操作にに困ることも無かったし、普通に一発合格だった(当たり前)。

だがしかし、運転中、ものすごい違和感を感じてはいた。

足元に、普段あるはずのものが無いからだ。

車イコールMTの俺にはクラッチがないとむしろ怖い。運転しているときもブレーキとアクセルだけだから左足はリズムを刻むぐらいしかやることが無いのだ。

 ギアチェンジも出来ないから左手が落ち着かないし。

 半クラッチを使った微妙な速度調節もできず、運転が大雑把になってしまう。

 ブレーキもフガフガするし、なにより速度が出すぎてしまうのだ。

 MTに慣れてしまった僕には、逆にATの方が怖い気がする。

 こんな簡単でいいのか?! ってぐらい簡単で、改めてMT車操作の大変さを実感した一時間だった。

 でもこんなに簡単に操作できるのに、女性は大抵手こずるようだ。

 教習中にS字に入ったときに俺は楽々と進んでいったのだが前を行くAT車が思いっきり脱輪して、暫くまごまごしていた。

 S字とクランクはATMT関係ない、純粋な運転感覚を要求される部分だと思うが、クラッチ無しのATだと、MTに慣れた俺にはもはや脱輪するほうが難しいと感じる。

 だってハンドル操作だけじゃん!!!

 にも関わらず、思いっきり脱輪している前の車。

 ブレーキ何度も踏みまくり、アイシテルのサイン連発。求婚か!!

 教習中、指導員がAT車を運転する女性ドライバーはアクセルとブレーキを踏み間違える事故が多いんだよ、と苦笑いしながら話していたが・・・ありえん!

 後日、気になったのでMT車とAT車の事故率の差を調べてみたところ、

非常に興味深い統計データの一部を発見した。その要旨を簡単にまとめると、MT車は運転の際、脳内全体の運転時の注意に関する容量がAT車よりも多く、事故が抑えられている。というもので、都市構造の改革、車に安全システムを取り付けるなどの主対策にプラスする形でAT運転者の脳内の注意容量を引き上げることも事故の軽減につながるのでは、とされていた。

 なんというか、操作が簡単すぎると逆に緊張感が無くなるのかもしれない。

 俺はMT車の方がしんどいけど自分で動かしているっていう実感が持てて楽しいと感じている。

 AT車はなんかいまいち達成感が乏しい、勝手に動いている感が強いのだ。

 まあ一つの免許で二つのタイプの車に乗れるのだから、女性だから~時代の流れだからとAT免許を目指すのではなく、免許取るときだけでもMTでやったら? ってこれから免許を取る子に言ってあげることが超間接的にだが事故軽減につながるのではないか、と感じた。

 何事も経験ということで。

 これまで女性の指導員にも何度かあたったけれど、MT車運転できる女性は何故かカッコよさが急上昇する。どの人も輝いてみえたから不思議だ。男は全然変化無いけどな。

 MT車を運転できる男の人ってカッコいい! 

 できるあたしはMT免許。

 みたいな記事をファッション雑誌が掲載してくれればMT免許を取る女性も増えるかもしれない。とりあえず、俺はこれからもMT免許取得を頑張ろうと思う。

 教習終了後、いつものように莉来とLINEで会話を楽しんだ。彼女は花火大会を楽しみにしているらしく、浴衣姿を添付して送ってくれた。ありがたい。彼女のためにも頑張らなくては。


派生元作品はこちら

https://kakuyomu.jp/works/1177354054890338560/episodes/1177354054890338592

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