第7話 海が見たくて
一念発起して7月から免許取得を目指してから早1ヶ月。夏の暑さを吹き飛ばすため、俺は東矢を海水浴に誘った。丁度彼も行く準備をしていたらしく、返答は迅速だった。こちらは俺と莉来、向こうは東矢と女性陣数名が来るらしい。牧野さんもやってくるとのこと。楽しい海水浴になりそうだ。
海水浴の当日、俺は朝早く家を出て品川に向かい、莉来と合流し、駅前で東矢の車を待った。本来なら俺も運転して行きたかったのだが間に合わなかった。未だ路上に出ることは叶わず、足踏みしている自覚はある。莉来のためにも早く免許を取らなければ。
東矢のワンボックスカーが品川駅に止まった。ドアが開くと、牧野さんが出迎えてくれた。
「おはようございます、段さん」
「ああ、おはよう」
牧野さんと莉来の視線が交錯した。莉来の方から牧野さんに挨拶した。その後牧野さんも丁寧に挨拶してきた。
「あ、段さんの彼女さんですね。どうも牧野です。今日一日よろしくお願いします」
「よろしく」
ワンボックスカーにはもう一人ワンレンの美女が乗っていた。知らない人だ。一体誰だろう。とりあえず俺は挨拶することにした。
「はじめまして段手毬といいます」
「ああ、どうも。日下ルリよ、よろしくね」
なんだかちょっとサディスティックな雰囲気を漂わせる、美人だけど怖そうな人だ。
「日下さん、今日は楽しい海水浴ですよ、顔が殺し屋みたいです」
牧野さんの指摘を受けて、日下さんはようやく笑顔を見せた。笑顔は女神みたいに美しいな。
「本当はもう一人男も来るはずだったんだけど急に仕事が忙しくなっちゃってこれなくなっちゃったんだよ。」
「そうだったのか」
俺と莉来はワンボックスカーの後部座席に乗り込んだ。
後部座席では牧野さんと日下さんがトランプ対決をしていたらしく、俺達が合流したことで一旦仕切りなおしになったようである。
「ちぇ、せっかく勝ってたのに」
日下さんは唇を尖らせていた。牧野さんはカードを切って俺達にも配り始めた。
「到着まで時間があるので、これで遊びましょう」
「いいわね、楽しそう」
莉来も乗り気になったようで嬉しい。これだけ女性がいるのは東矢なりの気遣いだろうが、逆に莉来が嫉妬するんじゃないかと心配だった。なので年の近い牧野さんと年の離れた日下さんという2人組みは俺にとっても理想的な組み合わせと言える。
「あなた達、付き合ってどれぐらい経つの」
日下さんの質問に莉来が答えた。
「4ヶ月」
「失礼だけど、あなた幾つ」
「19です」
日下さんがサディスティックな眼差しを俺に向けてきた。
「33歳と19歳のカップルなんて犯罪よ、犯罪」
やっぱり、日下さんに言われてしまった。
「どういう経緯で交際に発展したんですか?」
「仕事上の関係から発展して、そのなんとなく、ね」
俺は莉来に助け舟を要請したが、彼女は沈黙していた。
「あなたの職場にも10代がいるのね。うちでは牧野さんが唯一の10代なのよ、ね、牧野さん」
「はい、私は18歳なので莉来さんとは一つ年下ですね」
「年下なの?」
莉来が牧野の発言を受けて驚いたような顔をした。
「ちょっと大人っぽい雰囲気だったから絶対年上だと思ってた」
「ありがとう。よく言われるんですよ」
「ところで普段どんなデートしてるの」
「基本的には映画行ったり、食べ歩きしたりですね」
「食べ歩き?」
「私がカレーに嵌ったので、この間は神保町でカレー屋の食べ歩きをしたんです」
「丸善には行った?」
「いえ、行ってないです」
「あらやだ、神保町では丸善が一番美味いのよ。食べなかったの。もったいない」
「そうだったんですか、じゃあ今度行ってみます」
「ぜひ行ってみて、あそこのカレー屋感動するほど美味しいから」
日下さんはその雰囲気から怖そうな人のイメージがあったけど、凄く話しやすくて優しい人だった。ただしサディスティックなところはあるらしく、カードで負けた牧野さんのほっぺたをつねってゲラゲラと笑っていた。
「何だか楽しい人たちだね」
莉来が柔らかな笑みを俺に見せてくれた。
「本当だね。よかった」
年下の牧野さんと大人で社交的な日下さんのコンビは絶妙だった。東矢の人選は見事だ。
「あはははは、あははははは、ほら泣きなさい、あなたの涙がみたいのよ」
「なっ泣きません」
日下さんはちょっと怖いけど。
「ところであなた、自動車免許取得中ってホント?」
「ホントです」
「33歳で自動車免許取得って中々に勇敢ね。なんで免許なんて取ろうと思ったの」
「莉来をドライブに連れて行ってあげたくて、それでMT免許を取りに行こうとしてるんです」
「へえ彼女のためなんだ。素敵な動機じゃない。モチベーション高いんじゃない」
「ええ、何と言っても莉来のためですから」
俺の言葉に照れくさかったのか、莉来は頬を赤らめうつむいていた。
「うちの知り合いにも免許取得中の人がいるのよ。」
「へえそうなんですか」
「うん。でもその人絶望的に勘が悪くてATなのに復習連発しててまだ路上にも出てないのよ」
「日下さんは免許持ってるんですか」
「ええ、仕事で使うからね」
「俺もMT免許なんですよ」
「へえ、あなた中々の挑戦者ね。普通あなたぐらいの年だとAT限定が鉄板だと思うけど」
「そういうもんですか」
「そりゃ10代の反射神経の良いうちでも大変なのに、30代と衰えた反射神経でMT免許は中々勇気がいるわよ。何かMTにこだわりでもあるの」
「家の車がMTなので、それでMT免許以外の選択しかないんですよ」
「自分で車買えばいいじゃない」
「さすがに都心住みでマイカーもつのは経済的にきつくって」
「なるほどね。それで今どこまで進んでるの?」
「丁度坂道発進を終えたところです」
「まだ序盤もいいところね。これからよ、MT車の本当の恐ろしさを味わうのは」
日下さんはサディスティックな笑みを浮かべて言った。
「そっそんなに大変なところがあるんですか」
「そうね、鬼門は沢山あるわね。私が悔しくて泣くぐらいだからよっぽどよ」
「日下さん、あんまり段さんを怯えさせるようなことは言わない方がいいですよ」
牧野さんが助け舟を出してくれた。
「何言ってるの。貴方だって苦戦したでしょ、車庫入れとかで」
「それはまあ、確かに」
おい、納得しちゃったよ。
「他にも高速教習とか、序盤ならクランクとか、きついところは沢山あるわよ」
「おどかさないでくださいよ」
「事実だから言ってるのよ。わざわざ2万ほど多く払ってMT免許を取るメリットなんて今時ないわよ」
「そういうもんですか」
「そういうもんよ。私、教習中、ずっと後悔してたもの。だから免許取ったらATしか乗ってない」
「それじゃあMT取った意味ないですね」
「そうね、免許ぐらいはMTで取ろうかしらと軽く考えたのが運のつきよ」
「おいおいルリちゃん。あんまり段ちゃんを苛めるなよ」
運転席で話を聞いていた東矢が会話に入ってきた。
「だって事実だもん。ねえ牧野さん」
牧野さんは顔をゆがめつつ、うなづいた。
「でも、段さんには明確な目的がありますし、絶対にMT免許取得できますよ」
「取得は出来ると思うわよ。でもそれで乗りこなせるようになるかは全くの別よ」
「それは日下さんが挫折したからですよ」
何やら雲行きが怪しくなってきた。
「そうね、確かに私はMT免許だけ取ってATに逃げた負け犬よ」
日下さんはひどく落ち込んだ様子で言った。と思ったら手に持っていたカードを床において
「ロイヤルストレートフラッシュ。私の勝ちね」
「ひえええ」
これまでの会話は全てこの役を作るための時間稼ぎだったらしい。意識を自動車免許に向けさせて、カードから意識をそらし、自分だけが集中してカードバトルに挑む。これがどS日下ルリの巧妙な手口か。やられた。
「言い忘れたけど負けた人はビキニだから」
日下さんは楽しそうにどぎつい事を言い放った。牧野さんも莉来も動揺したのか真剣にカードに打ち込んでいた。しかし結局牧野さんが勝ち、ビキニは莉来が着る事になった。
「嫌だ~恥ずかしい」
「勝負の世界は非情なのよ、お嬢さん。覚えておくことね」
日下さんはとても楽しそうだ。牧野さんはビキニを避けられて素直に喜んでいた。莉来は顔を赤くしてうつむき、モジモジしていた。
「おいおいルリちゃん。あまり初対面の子を辱めるなよ。ビキニは自分が着るって言ってただろ」
東矢が運転席から援護射撃をしてくれた。
「そういえばそうね。じゃあ私がビキニでいいわ。二人は別のものを着ればいい。大人の魅力を見せてあげる。うふふ」
日下さんの言葉に安堵したのか、莉来は肩を小さく揺らした。牧野さんはどうでもよさそうにカードを切っていた。
「次はスイカ割の順番を決めます」
厳正なる勝負の結果、莉来が一番手の座を勝ち取った。ニ番目は牧野さん、三番手は俺で、最後は日下さん。勝負に参加していない東矢は不参加となった。
「畜生、俺のいないところで勝手に決めんなよな」
「あらスイカ割りたかったの」
「いや、特に割りたくない。それよりやっこさんたち、そろそろ着くぜ」
東矢が俺達を導いた海岸は地元の人しか来ない穴場的なスポットだった。おかげで人も少なく、水泳に集中できそうだ。
「よくこんなところ知ってたな」
「な~に、営業先の人に教えてもらったんだよ」
俺と東矢は女子達が着替えてる間に荷物を外に出し、一番見晴らしの良い地点でビニールシートとパラソルをさした。
最近は仕事と教習所の往復だったので、今日はひさびさに羽目を外して楽しもうと思った。
俺が波の感触を確かめていると、水着に着替えた莉来がやってきた。莉来はフェミニンなオフシェルビキニ、牧野さんはホルダーネックビキニ、そして日下さんは大人の色気がむせ返るほどの王道のビキニ姿。三人とも胸があるので目のやり場に困ってしまった。
「どう、段くん」
「凄く可愛いよ、似合ってる」
「ふふん。若い割には二人とも出来上がってるわよね。まあ私ほどじゃないけど」
日下さんはそう言うと髪をかき上げ、海へと走っていった。
「一番乗りはこの日下ルリ様よ」
「いいえ、私です」
牧野さんも遅れて海へとダッシュしていった。タッチの差で日下さんが先に海につき、牧野さんの後頭部を掴んで海に沈めた。
「日下さんって、サディストだね」
「ああ、そうだな」
本日は生憎の曇り空のため日焼けすることができなかった。女性陣は喜んでいたが、俺は少し不満だった。それから俺達はビーチバレーを楽しみ、お待ちかねのスイカ割りを始めた。一番手の莉来の木刀は空を切り、スイカに当てることが出来なかった。二番手の牧野さんもあさっての方角に木刀を振り回していた。結局三番手の俺が見事スイカを縦に割り、一堂はこの日一番の盛り上がりを見せた。
皆で食べるスイカはとても甘くて美味しかった。今日という日は俺と莉来にとって忘れられない一日になった。当初は皆に遠慮がちだった莉来も、午後にはすっかり皆となじんでいた。牧野さんも日下さんも適度な距離感で俺と接してくれたので、彼女に嫉妬されずにすんだ。
「どうだい、段ちゃん。少しは息抜きになったかい」
東矢がスイカをほお張りながら俺に話しかけてきた。
「ああ、すごい楽しんでるよ」
「そいつはよかった。免許取得は大仕事だもんな、息抜きは大事だぜ」
「そうだな」
「ところでお前の彼女、いい体してるな。うらやましいぜ」
「ははは、うらやましいだろ」
でも俺達まだキスしかしてない。今後キス以上に発展するだろうか。
「東矢さーん、段くーん。一緒にビーチバレーやりましょう」
莉来が明るい声でパラソルの下で涼んでいる俺達に声をかけてきた。
「よっしゃ、いっちょやってやるか」
「おう」
俺達は女性陣に混じってビーチバレーにうち込んだ。日下さんは笑いながら牧野さんに厳しいボールを打ち続けていたのが印象的だった。 牧野さんも負けじと日下さんに対して厳しいコースにアタックしていた。
楽しい時はあっという間に過ぎていき、帰る時間がやってきた。帰りの車の中で俺と莉来は眠ってしまった。莉来は俺の肩にもたれかかるように眠っていた。運転は牧野さんと日下さんが交代で行っていた。
夢のような一日の翌日。早くも教習所通いという現実を突きつけられた。
しかも今日は「段君のかっこいいところが見たい」と莉来が教習所にやってきた。お弁当を作ってきてくれたのでお昼ご飯の心配はないが、それ以上に上手くできるか心配だ。少しブランクが空いてしまったのでMT操作が上手くできるか不安が残る。しかし、俺には上手くやれる自信があった。
だが、教習項目10・11後退・狭路。
ひさしぶりの技能教習はやはりきつかった。
MTで間隔をあけると素人に戻ってしまう。
この日の担当は、ライダーだったのだが、教習開始直後、発進時にまさかのエンスト!! 出鼻をくじかれた後は散々で、バック時にエンスト!! 交差点停止時にクラッチを踏み忘れてエンスト! 停止時にローに戻し忘れてセカンド発進してエンスト!
っと、まさにエンストのバーゲンセールだった。
MTで後退や狭い路を走行をするときはクラッチ踏む、半クラッチを定期的に繰り返して速度調節を行うのだが、ブランクで全てがすっぽ抜けてしまった俺には非常に難しく、そこでも何度となくエンストしてしまった。しかもクランクでは何度も正面にぶつかりそうになるし!!
右折時に車を寄せることもできないし!!左折時に左に寄せることもまったくできないし。
指導員には「まあブランクがあるから」
と慰めの言葉をいただき、なんとか○をもらえたが、でもそんなの関係ねえ!!彼女の前で醜態をさらしてしまったのが悲しくてお昼ごはんも喉を通らなかった。
「今日の教習難しかったみたいだね」
莉来は心配そうに俺の顔を窺う。俺は何も言えず、もくもくと弁当を食べていた。卵焼きにから揚げにポテトサラダにプチトマト。ご飯は俺の好物の、のり弁当になっていた。
「弁当美味しいよ」
「よかった」
せっかく
莉来がこんなに美味しい弁当を作ってきてくれたのに、俺は一体何をやっているんだろう。
初めてMT車に乗るのが怖いと思った。
クランクとかなくなればいいのに、と思った。
もう辞めてえ、とも思った。
しかし、困難から逃げても仕方がない! と気持ちを持ち直し、俺はアリスのチャンピオンを口ずさみながら再び教習に向かった。
教習項目11 狭路の通行。
次の指導員はNHKにローキックを教えてくれたケツプリだった。
MT車での教習において狭路はAT車へコース変更を迫られる局面だと個人的には思う。はっきり言って激ムズなのである。正面をしっかりみつつハンドルをさばきつつ足元はクラッチを切ったり半分入れたりして細かく速度調節を行なわなければならないのだ。運転手には機械のような精密な動作を要求される。あえてマニアックにジョジョでたとえるならば運転手はスタープラチナになれ、ということだ。
俺は針に糸を通すのが苦手である。しかも暫く教習所に通えなかった。
その日の教習中の精神状態は、将棋で言えば常に王手を取られているような感じでとても苦しく、俺は全てに余裕が持てず、あらゆる場面でエンストを連発してしまった。狭路に入る前もローギアに変えるのを忘れてエンスト。
畜生・・・こんなはずでは。
MT車とのシンクロ率は完全にマイナス状態。これには基本ポーカーフェイスのケツプリも苦笑いである。
結局その日は、「まあブランクがあるから」と次回再チャレンジで終わった。
なんとか家のトイレで練習して次は○もらおうと思ったのだが、俺の本当の地獄はここから始まるのである。
帰り道、莉来の方から手を繋いできてくれた。
「ダサダサでごめん」
「何言ってるの、段君頑張ってたし、すごいかっこよかったよ」
莉来にフォローされ、俺は少し気持ちが上向きになった。次こそは決めてやる。
派生元作品はこちら
https://kakuyomu.jp/works/1177354054890338560/episodes/1177354054890338592
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