千代

三津凛

第1話

酒屋の爺(じい)が、文鳥を持ってきた。真っ白な良い子である。

ころころと鳥籠の中を忙しなく動き、雪まろげをするようである。嘴の赤さが鮮烈で、めくれた女の唇のように艶い。

それは酒瓶のおまけに持ってこられたものらしかった。父と爺が話し込んでいる足元で、文鳥はよく膨らんだ腹を反り返らせて、つまらなそうに止まっていた。

小夜は柱からそれを覗いて、小賢しそうな小さい頭がくるくると落ち着きがないのを可愛く思った。父と爺の話がひと段落したところで、爺が鳥籠をわざとらしく持ち上げた。

「ほう、文鳥かね」

「へえ、手前のとこの倅が貰ってきたのですがうちには猫がいるもんでね……」

「猫がいるんじゃあ悪さするね」

「だもんで、旦那のお嬢様にでもとね……へえ」

そこで父はひょいと振り返った。小夜と目が合うと、顎をしゃくって「こっちへ来い」と合図した。小夜は鞠が転がるように出て行って、酒屋の爺の前に立った。

「お嬢様は小鳥は好きですかい?」

「小さいものはなんでも好き」

「本当に貰ってもいいのかい」

父は今更、気遣うようなふりをした。

「ええ、もちろん。うちにいても猫に喰われちまうだけですから」

「ありがとう」

また父と爺が話し込むようか気配を感じたので、小夜は鳥籠を爺の手から受け取るとすぐに引っ込んだ。



文鳥は景色が変わったのを不思議そうに眺めている。止まり木をせわしなく行ったり来たりして、時折狭い鳥籠の中を飛び回る。空になった粟粒がぱらぱらと飛ぶ。文鳥がちよちよと鳴くので、小夜は文鳥を「千代」と名付けることにした。

酒屋の爺は帰りしなにもう一度小夜を呼んで、粟の入った袋を渡して帰った。



小夜は千代と名付けた文鳥の世話をよくした。千代は賢く人懐こい。すぐ小夜の顔を憶えて、媚を売る幼女のように小首を傾げて寄ってくる。千代はよく鳴き、よく食べた。

それがまことに可愛い。無邪気だと思えば、小賢しく指を噛んできたりして憎い。

千代を飼い始めてから、たまに不思議な童が庭先の石に座っているのに気がついた。

童は古い着物を着て、千代が縁側に置いてあるときに決まって現れた。肌の白い、全体的に色の薄い子である。男とも女ともつかぬ容貌をしている。ただ、いつも行儀よく庭石に腰掛けて千代を眺めていた。

小夜は不思議に思って、その童に声をかけた。

「……そこの石はお爺様が拵えたものだよ、座っちゃ駄目なんだ」

「お前は知らないだろう?これは家守のための石なんだ、だからいいんだ」

「家守とは、なんぞや?」

小夜は意外なほど老成して聞こえる童の声に気圧されて聞いた。

「家を守る大きな大きな蛇さ。青大将なんかよりも、ずうっと大きいんだ」

そこで童が立ち上がって、庭にある池の周りを巡った。それが硬い骨を思わせるものがまるでなくて、小夜は不思議に思った。

童はもしかしたら、神なのかもしれん。童は童でなくて、本当は翁のような姿を本当はしているのかもしれぬ。

それにしても、どうして今更それが庭先に居座るのか小夜には分からなかった。

「あの文鳥はお前のかい」

「そうだけれど……」

「良い子だ、可愛い子だ。だがあんまり放っておくと、いつか喰われてしまいそうだ」

童は面白そうに笑う。

小夜は少し不快になった。童は真っ赤な口を開けて笑う。

千代は我関せずで、ちよちよちちちと鳴き続ける。童はじいっとその様を眺める。

それからしばしば、童は現れては消えた。



小夜は少し経つと、千代のことを放っておくようになった。餌の粟も一度二度ならず、取り替えてやるのを忘れていた。

時折、一晩中軒先に吊るしたままにすることもしばしばあった。

小夜の関心は、また別のものに移りつつあったのだ。




ある朝起きてみると、羽が散らばっているばかりで千代がいない。軒先に吊るされたままの鳥籠は、忘却を怒ったようにしんとする。小夜は空になった鳥籠を下ろして、正座した。粗い板目が痩せた膝頭に食い込んで、次第に千代の不在が沁みてきた。よく見ると、無造作に散らばった千代の羽毛に混じって、真っ赤な2つの脚先がまだ鮮血をつけたまま転がっていた。

小夜は冷たくなったそれをつまんで、鳥籠の中に仕舞った。

やがて父が起きて来ると、「蛇にやられたな」と呟いた。父は小夜の後ろで、ぬりかべのように不動だった。

小夜は泣いた。文鳥は死んだ。蛇に食われて、消化の悪そうな脚先だけ残されてあとは喰われてしまったのだ。小夜があまりに泣くものだから、父は苛々として小夜の頭をげんこで打った。

千代が可哀想だと思った。それから、千代を亡くした自分も可哀想だと思った。それに思いがいたると、更に泣けてきた。

小夜は朝飯も食わずに泣き続けた。最後の方はほとんど涙は流さずに、惰性で泣いていた。

千代は戻らない。どこかに腹の膨れた蛇がいる。千代がいなくても、小夜は次第に落ち着いてきた。

最後に小夜は立ち上がって、鳥籠を庭に置いた。それから、味噌汁の炊くいい匂いがしていることに気がついた。そういえばやたらと腹が減っている。




小夜は鼻を少しすすって、朝の食卓に向かって走っていった。その後で、縁側に千代によく似た羽ペンが置いてあるのに気がついた。誰がそんなものを置いたのか分からない。

小夜はそれを誰にも悟られないうちに懐へ仕舞った。その日は一日、動くたびに冷たいペン先が胸にあたって痛かった。その度に、無性に千代を思い出す。

それが、千代を放っておいた代償のように思わせるのだ。



大切にとっておいたその羽ペンも、いつのまにか無くなって小夜は随分寂しく思った。

あの不思議な童とは、二度と会わない。

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千代 三津凛 @mitsurin12

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