第2話

 走り始めてどれほど時が経ったのだろうか。早朝に屋敷を出た筈だったがいつの間にか日は傾きかけ西日が眩しくなっている。

 今僕は尊後山の山中にいる。兄は先に行ってしまった為僕は兄に追い付こうと笹が生い茂る白樺林の道なき道を進んでいる。

 この時代の山道は主要な街道筋でもなければまともに整備されていることなど無かった。

 「ハアハアハアハアーーー。」

 いつの間にか立ち止まってしまっていた。辛い辛すぎる。持っていた水も底を尽き、日頃鍛練を怠っていたせいか体も思うように動かない。

 「もーう限界だっ!」

 

 「こんなことならこなけりゃ良かった!大体にして何で兄さんは先に行ってしまわれたのだ!何が稽古だ鍛練だ!ふざけんな!何が文字の読める猿だ!自分達の立場が上だからってやりたい放題しやがって!!」

 立ち止まり考えた瞬間、これまで我慢していた不満や鬱憤が堰を切ったように流れ出てきた。

 

 「・・・。」

 

 だがそんな僕の叫びも静かなる北国の白樺の木々に掻き消されてしまう。

 

 僕は今まで抱えてきた不安や苦しみ、養子故の差別の全てを嘲笑われた気持ちになった。これだけ叫んだのは兄に対しての怒りや特別強い抵抗心故という訳ではなかった。僕が激しく叫んだのはむしろ後者への不安だった。

 自分でも分かっていたし他人にも何度も言われたことは気にしないでいるつもりだった。義父や義母は優しく僕を本当の子供のように可愛がってくれていた。

 だがその優しさが逆に僕にとっての苦しみになっていた。

 僕は生まれや素性が判っていない養子だったため同じ公学や私塾に通う貴族の子弟に激しいいじめに遇い終いには教師もいじめに口を出さなくなった。

 恐らく教師陣も相手が貴族だと物一つ言えないのだろう。

 それを分かってくれていたからこそ義父母は離れに部屋を用意してくれたり多様な面で気を遣ってくれていた。だからいつもいつも申し訳なく感じていた。

 この国の貴族達は腐っている。貴族というだけで税を免れ私有地で農民を酷使させ商人の取引に介入し取引相手に対価もろくに払わない。

 挙げ句の果てに裏で国禁とされている奴隷使役や人身売買なんかも平気で行っている。

 そんな貴族達の子弟だ。態度が傲慢なのも納得できる。

 

 「クソッタレ。」


 心の底から思っている。常に思っている。

 

 


 立ち止まってからどれほど経つだろう。段々と暗くなって来た。

 まずい!そろそろ歩かないと山頂つく前に日がくれちまう!

 そう思い一歩ずつ蟻のような足取りで進み始めた。

 「そろそろ進まないとまずいかな?」

 笹の茂みから声が聞こえた。

 「へ。兄さん?」

 とっさに声が出た。兄が笹藪からいきなり現れたのだ。

 「はあ。お前今までこんなとこで油売ってたのか?根性なしめ。」

 呆れたような口調で兄は言った。

 「ご、ごめんなさい!僕、体力全然無くて。兄さんについていけなくて。その。」

 「大丈夫だよ。そんなこと前から分かってた事じゃないか?体力は少しずつつけていけば良い。それより、お前を一人だけ置いていってごめんな。怪我はないかい?」

 そう言って兄さんは僕の脚を見た。その時僕は兄の履き物と着物の裾が泥でグショグショになっているのが見えた。僕を必死に探してくれていたのかもしれない。

 僕は申し訳無い気持ちになった。



 それから兄と共に尊後山の山頂を目指して登った。白樺林を越え岩場を越え小さな川を渡って最後に背の低いマツの木々を掻き分けて進んだ。

 道幅は肩幅程しかなく片側は断崖絶壁である。

 慎重に歩こう!そう思ったその時

 「ゴロッ。ゴロゴロロロッ。」

 「あっ。」

 足を小石で滑らせたようだ。

 まずい!

 「バシッ!」

 兄だ。咄嗟に僕の袖を掴んだ。

 「おうっと。ちょいと危なっかしいなあお前。」

 笑顔でそう言った兄は何事も無かったようにまた歩く。

 


 「ふうー。やっとついだー。相変わらず景色は綺麗ですね。」

 「いやー!景色もいいけど今日はちょうど日の入りが綺麗だね!」

 僕らは尊後山の東の頂きに着いた。ここから見渡せば千州城だけではなく。近くの樽湊の浜や恵州、遠くは蘭州に新厚城まで眺められる。つまり北海國本土の南海と西海を繋ぐ要衝地帯を望むことができるのだ。

 「ここは真ん中に灼熱の溶岩丘がある不思議な山だよ。ここにくるまで巨大な樹海が続いて、そこから登るにつれ山肌が荒々しくなる。ここに来ると毎回心が洗われるよ。」

 そう言って兄は持参したのだろうか。麦飯のおにぎりを手渡してくれた。

 遠出するときは毎回これが定番だ。

 「ありがとうございます。」

 「礼は良いから早く食べな。」

 それから僕は無言で雄大な景色を眺めながら達成感にみちた食事をした。

 

 しばらくして。


 「あっ!兄さんあれを見てください!」

 「ん?どうしたのだ?どれどれ。」

 「。。。」

 驚きのあまり言葉がでなかった。

 それは、明らかに北海國や自治区の軍とも違う姿をした3000人近い大軍が蘭州方面から南海街道を通り大挙してこちらへ向かって来ている様だった。

 「あれは、あれは農民の反乱だ。今年になって国内の各地で起きているとは聞いていたがまさかこんな都の近くで起きるとは。投石器や雲梯のような攻城兵器まである。これはまずいな。」

 「に、兄さん。た、たしか今日は石狩湊警備の役を受けて千州城には番兵や予備兵が200人ほどしかいなかったはず。。」

 「何ッ?おいそれは。。それはまずいぞ」

 兄は僕の言葉を聞いた瞬間青ざめた顔をした。

 「千州は都である太平城までの街道筋の重要拠点。つまり奴らが進む進路に兵が15分の1しかいない丸裸の城があれば格好の標的になってしまいます。」

 その時僕の頭には最悪の結果が浮かんでいた。あっという間に城門を破られ、城内を反乱軍が蹂躙し一応は貴族である義父母たちが殺され街は壊され火がかけられる。最悪の結果である。

 「農民は強い恨みや怒りによって反乱集団を形成している。つまりこの状態で城内が襲われれば大変な事になる。」

 「とりあえず全力で城に戻りましょうか?」

 「ああ。当然だ。いくぞ!」

 こうして僕らは到着して直ぐ尊後山を後にした。


 

 

 

 

 

 


 


 

 

 

 





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北国の灯火 千里万里 @shikachan

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