北国の灯火

千里万里

第1話

 「自らを信じ運命にあらがわなければ生き残る事は出来ない。」

 僕が幼い頃父に何度も言われた言葉だ。父の顔は覚えていない。僕が3歳の時に亡くなったと義母から聞いた。母は僕を産んだ時に亡くなったらしい。だが僕は生前父や母が何をしていたのか?どんな人だったのか聞いていない。僕には唯一血の繋がった兄がいるがその事について聞くといつも違う話に変えられてしまう。でも一つ分かることがあるとすれば僕は父と母が生前書いた秘密の書簡を未だ誰にも見せずに持っていることだ。書簡はやがて来るべき日のために決して開けてはいけないと僕が10歳の時に謎の隠者に渡された。


 


 「コリョン!早く出掛けるぞ!」


 兄の声が聞こえる。


 「え。いや兄さん?!」


 日が上がってもいない早朝である。屋敷の離れにある僕の部屋に兄が来ている。

 

 「昨日は来なかったのは許してやったが今日は!」


 昨日来なかった事というのが何か思い当たる節が無かった。

 「今日は?」


 その時僕の寝室の戸が開いた。

 

 「バシッ!」

 「?!」

 

 「絶対に許さん!!」


 兄が部屋に勝手に入って来た。 


 「ちょっと兄さん勝手に入らないでくださいよ!」


 そんな僕の言葉にもお構いなしに僕の寝床に近寄ってきた次の瞬間。 

 

 「ガサガサ!ガサガサ!」

 「ひゃーーーー!」

 外で稽古でもしていたのだろうか?兄のキンキンに冷えた手が布団の中の僕の背中に確かに当たっっている。

 

 「な、な何するんですか兄さん!!」


 「いやー、やっぱり冷えた手には弟の背中だな!」

 兄はそう言って幸せそうな顔をしている。


 この人最初からこれが目的だったのか?

 

 「僕の背中を熱い食べ物みたいに言わないでください!」

 

 「何回呼んでも出てこないお前が悪い!!」

 

 「呼ばれたのは今日が初めてですよ?!」

 

 そう。兄は今日初めて僕を呼びに来たのだ。

 ついでに言えば兄がこの離れに来ることなど月に2度有るか無いか位の頻度である。

 

 僕が続けて話す。

 「それから、昨日来なかったとは何の事ですか?」

 

 「ん?ああその事か。それはだな、お前がずっとやりたいと言ってた兄さんとの二人だけの鍛練をする日が今日になったんだよ。」


 改まった風に兄が言った。確かにやりたいと言ったときもあった。が、しかしそれは兄さんがしつこく誘ってきたため断りづらく一旦場を収める為に言った事であり、さらに言えばそれは3ヶ月近く前の約束だった。

 

 部屋を出て離れの外扉を開けてちょうど屋敷を出たところで僕は最後の抵抗をしようと思った。

 「今日からやるなんて聞いてませんよ?」

 しかし兄の頭のなかに僕の言葉は一言も届いていないようだ。

 「ようし。ここからどこまで走る?」

 話の流れを掴めない僕は茫然としていた。

 「え?」

 兄が口を開いて言った。

 

 「よーし決めたっ!尊後山【そんこうざん】にいくぞ!」

 

 兄は自分が何を言っているのか分かっているのだろうか?

 「・・・。は、はい?」

 尊後山は僕達が住む千州城から約10里(1里が約4キロ)程の場所に有る小高い山である。時代は今から800年も前で、車もバスも電車もない。馬を早駆けさせても行って帰ってくるだけで2日は掛かる。

 

 「兄さん。それでは執務に影響があるのでは?」

 兄さんに諦めてもらうためにやんわり断りを入れたつもりだった。

 

 「ああ、それならこないだお役目を解かれて今は暇をもらっているのさ。」

 

 その時僕の背中に何か寒気が走った。何か小さな予感のようなものを感じた。

 

 「え。」

 僕は耳を疑った。兄は総事政右史という北海國中央政府の重臣であり無派閥で史上最年少で科挙に合格したエリート中のエリートである。急に辞めさせられたと有れば笑い事では済まされない。父上や母上の耳には入ったのだろうか?この話を聞いたら激怒するに違いないだろう。

 「い。いや尊後山に行くなどと言っている暇有るのですか?」


 「大丈夫だ気にするな!次の役職は東川府左史だ。」

 東川府は北海國本土の中央部に有る要衝である。だがその実中央政府で失脚した役人の溜まり場と化している。

 信じられない、あの兄さんが左遷されたのか?

 「兄さん都で何かあったのですか?」


 何気無くした質問だった。

 だが、その瞬間。 

 「うるさい!」


 悪い予感の正体はこれだ。

 滅多に怒ることのない兄がその瞬間鬼気迫る程の勢いで激怒したのだ。だが、その中でも一瞬だけ何か後悔や怒り、苦しみ悲しみ絶望のようなものを感じさせる顔を覗かせた。

 僕はとっさに謝った。

 「ご。ごめんなさい」


 恐らく兄もそこまで強く怒るつもりはなかったのだろう。だがその事について詮索されるのを激しく拒絶した。

 「すまない。その話は今はしないでくれ。自覚はしているし分かってはいるんだが今日は黙ってついてきて欲しい。」

 「分かりました。」

 そんな兄を見て行かないとは言えず、僕は結局往復20里を走ることとなった。

 


注釈

 北海国は建国から僅か80年ほどしか経っていない新しい国だ。

 領土は現在の北海道と樺太、さらに千島列島から北はカムチャッカ半島の付け根まで領域の広さは現在の日本の約1.5倍である。

 国内の人々は多種多様な民族によって形成されており、総人口320万人の内の50%つまり160万人は100年程前に滅亡した高句麗遺民の末裔である。

 北海国民の中枢の人々はこの160万人に及ぶ旧高句麗人達で、他には80年前に共に建国した百済や新羅の人々や唐の遠征や圧迫によって海を渡り逃れてきた突厥や契丹の人々、そして原住していたアイヌの人々がいた。

 国家体制は王政だが、強力な絶対王政ではない。 

 重臣が3つの派閥と科挙【役人の登用試験】によって選ばれ、科挙や派閥試験を通過すれば政府の重役に一般人も成れる開かれた臣下中心の体制であった。

 そんな東方の島国も建国から200年近く経ち財政は破綻し、飢饉と冷害で悩まされ幾度となく海を渡り攻め寄せてくる強大な外敵との戦いや政治や役人の腐敗により建国史上最大の危機を迎えていた。

 

 

 

 

 

 


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