(異世界に行きたい)少年

蓮見 悠都

(異世界に行きたい)少年








「……おほっ、……おほっ、……おほっ、……おほっ」


 僕は興奮していた。かつてこれほど脳が膨張してアドレナリンを放出させることなどあっただろうか。いや、ない! と強く疑問符を打つ。


 手に持っているのは、只今学生に絶大な人気を誇っているライトノベル小説それだけだ。部屋でゴロゴロと寝転がりながら、ページをめくるだけで自分を現実から引き剥がしてくれる。ああ、なんて素晴らしいんだろう。罪深いものよ!


「このライトノベルの魅力は?」と訊かれたならば、僕は24時間ぶっ通しで話し続けるほどに自信がある。もちろん小休憩も入れずに、時計の短針が2周するまで止めることはないだろう。ストーリー構成、登場人物、制作の舞台裏なんでもござれだ。


 いや、しかし異世界を舞台にしたこのラノベはたまらん。ネットでは「なろう」や「カクヨム」の「異世界転生・転移系」を小馬鹿にして害悪呼ばわりする者もいるようだが、はっきりいってそれはおかしい。だって、こんなに人気があるんだから。pv付きまくり、小説も売れ行き好調、ついにはアニメ化までとまさに夢のバージンロード。これのどこが駄作だ? と僕はいってやりたいものだ。


 今日も、僕は異世界系小説を読み終え、パタンとページを静かに閉じた。


 ふぅー、やっぱり面白い。ちなみにこれがループ234回目である。もちろん、アニメ版もOVAを購入済み、50回は少なからず見直しているところであろう。何度見ても飽きることのないその面白さは、この作品の完成度の高さを示しているに違いない。


 このくだらない日常から飛び出してくれる小説は、まさに僕のバイブルといっていい。嫌々行く学校や渋々こなす勉学になんの楽しみも見いだせず、親兄弟から見放される始末、おまけにこれといった友人、ましてや恋人などはいるはずもない。まあ、クソみたいな生活であろう。


 いや、しかし、今日こそは僕は変わるべきだ。きたるべき明日に向かって、僕は立ち向かう! そう、この魂さえ鼓動が打っているのならば!


 僕は立ち上がった。


「よし! ちょっこら死んでくるか!」


 まずは、コンビニへgoだ! 



    ・  ・  ・



「うっ……いってえ……」


 僕は呻き声と共に目を覚ました。頭がボーッとして、上手く動いてくれない。体もかなり重くて、なかなか思うようには働いてくれなかった。


 が。


「こ、ここは……」


 見慣れない景色、おそらく小高い丘の上であろう。見下ろす風景はいうならば、古代西洋の街のようだ。まわりは緑で取り囲まれて、遠くから小鳥のさえずりも聞こえてくる。


 そうか……。ここは、


 異世界だ!


 よっしゃー! と僕はガッツポーズをする。今日からここの世界の住人だ。あのうざい教師や親と会わず、信頼し合える仲間と共に生きていける。なんと素晴らしいことなんだろうか。


 と、いきなり、高く掲げた右の拳が何かゴソゴソともがいていた。麻酔をかけられた後のように、上手く開け閉めができなくなっている。おっ……これはまさか!


 僕は近くの大きな木へ右手を向けてみた。


 すると突然、右手に青色の発光が巻き上がり、するりと拳を包んだと思うと、ピカッ、と鋭い閃光をとどろかせた。


 眩しい、と僕は思わず目をつぶった。次の瞬間、ゆっくりと開いた目の先には、先ほどまで堂々と根を張っていた大木が、跡形もなく焼け滅んでいたのだ。


 僕は刹那的に戦慄わななき、何事もなくなった右手をまじまじと見つめた。そして、状況を飲み込めたら、すぐさま笑顔と興奮を取り戻した。


 これは、異能の力だ。僕は転生と同時にこいつを手に入れたんだ!


 す、すげえ。


 胸の高なりが抑えきれなかった。これを使えばどんな猛獣でも倒せそうな気がした。あれくらいの威力だから、小ボスは余裕、中ボスはなんとか倒せるぐらいの出力だろう。さすがに、「炎をまとった古代龍」などが出てきたら、さすがに太刀打ちできないかもしれない。しかし、そこは団結の力。他の魔力を持った仲間と共にドラゴンを倒し、世界の平和を維持し続ける。


 そして、僕をいつも気にかけてくれて、サポートしてくれる相方の女の子。時には仲違いするときもあるだろう。だが、お互いの思念と過去を乗り越えて、すべての悪を倒したとき、二人はついに――。


「誰だ!」


 僕は、はっと振り返った。そこには、中肉中背、鎧を身に付け、腰に剣をたずさえたまさしく勇者のような格好の男がいた。


 この格好……もしや、王宮の人ではないのか? 


 僕は心の中でガッツポーズを決めた。よしよし、順当だ。これで僕の異能の力が認められて、王の娘、もしくは召使いと会うために、とにかく僕を側近として迎え入れてくれれば計画通りである。


 男は僕を一瞥し、焼失した大木をじっと眺めた。そして再びこちらに目をやって、


「ちょっとついてこい」


 という。


 え、僕が? と人差し指を顔に向ける演技をする。本当は「はいはい、いらっしゃいいらっしゃい。いいよいいよ」とバンバン手を叩きたくなるが、この場ではグッと我慢。少なくとも、敵だと疑われるような不自然な行為はあってはならない。


「早くしろ」


「は、はい!」


 僕は大きく返事をした。




 ガランガランと、馬に引きずられて荷車は進む。屋根と窓付きであって、かなり高級なものであろうと推測できるが、中はかなりキツい。隣に座る男の吐息が聞こえるほどである。だから、必然的に窓の外へ目を向けることになった。昼下がりの時間帯であろうか、街の住人が果物だったり野菜を買っているようである。この世界でも「金銭」という概念はあるみたいだ。ていうか、こんな昼間っから大の男が買い物かよ。お母さんはいないのか? もしくは、ニートか? なーんて――。


 と、僕はある違和感に気付いた。


 窓の外に映る人、人、人。子どもから老人まで年齢幅が広いけど、性別はただ一つ。


「な、なんで、男だけ?」


 僕は動揺した。え、おかしいだろ? あそこのリンゴを買っている大人も、路上の脇でチャンバラごっこをしているあの子らも、路地裏で井戸端会議をしている人たちも、みんな男であった。


「どういうことだ……」


「お前、何いっているんだ?」男が反応した。僕は思わず振り返る。「何十年も前、人間製造機が大量開発されて、女はこの世界の外に移住されただろ? もうこの街には一人もいない」


 マ、マジで……?


 僕のバージンロードが一気に崩れるような感じがした。路上には土砂崩れが起きて道が塞がれ、腐敗したコンクリートから地下水が噴射してくる。進もうにも、道が閉ざされたここでは、もう無理だ。


「嫌だ」


「あ?」


「嫌だ! 女の子がいない世界なんて、転生した意味がいない! どけ! 下ろせ!」


 僕は男の胸ぐらを掴んだ。


「ちっ、てめえ! おい、止めろ! こいつを捕らえて地下牢獄へぶちこんどけ!」


「うわぁ! いやだぁー! あああぁーーー!」


 筋肉質な男に取り抑えられながら、僕は雄叫びを上げた。


 こんな世界に転生したのが間違いだったんだ! やり直す!



     ・  ・  ・



「……はぁあ!」


 気付いたときには、見慣れた部屋に戻っていた。幾度となく寝過ごした、自分の部屋である。体のそばには、あの小説がパタリと置いてあった。


 戻ってきたのか……。


 すぐさま頭を切り替える。僕は再び決心を固めた。今度は世界を間違えない。トラックの跳ねどころが悪かったのだろうか。ちゃんと間違えないようにする。やるぞ、気合いを込めて。


 もう一回! 死にに行くぞ!



     ・  ・  ・



「うっ……いったいなぁ……」


 僕は再びどこぞやに放り出された。今度の目覚めた場所は、一面の野原であった。建物の類は確認できず、木々に囲まれ、草が均等に生え広がった地面は少し臭かった。


 僕は寝転んだまま、右手をちらりと眺めた。今回は何も変わっていない。他の体の部位も曲げたり伸ばしたりするが、特殊能力を持っているわけではなさそうだった。そのことに関しては、少しばかり残念に思った。


 だけれども、これはもしや――と考えうるところがあった。この世界では、ランクアップ系なのでは? と。つまり、最初は無能の状態から始まり、敵と戦う度に能力を得て、どんどんスキルアップしていくという仕組みではないのかということだ。


 よし。それならば、やっていくぞ! 僕は元気よく立ち上がった。


 と、そのときコロコロと乗り物が動く音がした。木の摩擦音であろうか、車輪が地面と擦れあい、こちらに歩みを進めている感じがする。僕は少しウキウキした。こんな何もない野原への来客者など、僕への目的に違いない。


 やがて、遠い木々の間から、人の形が現れてきた。女である。よし! と僕は拳を作り、第一関門突破である。ここから、あの女性に気に入れられなければならない。


 豪華なドレスを身に纏ったその女性は、女王と名乗るにふさわしかった。首には高価そうな首飾りを吊るし、足場が悪い野原の汚い地面には似合わない、高いヒールを履いている。横には、家政婦か執事か、どちらもとれるおばあさんが、リヤカーを押しながら女王に従えていた。


 僕は地べたに座りながら、彼女らが到着するのを待った。キツい表情の女王であるが、僕は悪い気がしなかった。なにせ、美人である。そういう人は、一度手なづければ、かわいいものに大変身だ。おっと、ダメだ。バージンロードのため、ここはやましい気持ちを一切捨てて、へり下らなければならない。


 僕は片方の膝、両手を地につけて、粛々と頭を下げた。


「お前が新しいスレイヴか」


 女王はそういった。ス、スレイヴ? 僕は意味がわからなかったが、とりあえず、「そうです」といっておいた。


「じゃあ、早速仕事に取りかかってもらおう」


 し、仕事? ど、どういう展開? 僕はゆっくりと顔を上げた。


 すると、そばにいたおばあさんが、押していたリヤカーの覆いをパッと素早くはずした。


 次の瞬間、僕は、ひいっ、と小さい悲鳴を上げた。


 その荷台いっぱいに、白骨化した骨がゴロゴロと詰まっていたのである。


 僕は恐怖で開いた口が塞がらず、そこから一歩、二歩と後ずさりをした。胸から異物がせり上がってくる。この場で吐き出すのは、全集中した気合いでせき止めた。


「これを埋めろ」女は命令した。「もし一つの欠片でも残ったりしたら、即刻処刑だ。いいな!」


 い、いや――僕は反射的に首を振った。こんな遺体を埋めるために転生したんじゃない。そもそも、気持ち悪すぎる。


「む、無理です」


「ああ?」女は不機嫌そうに顔を歪めた。


「い、いや――も、もっと、別の仕事ないんですか? た、例えば、王宮での事務作業とか――」


「バカ者!」おばあさんが声を荒げた。ひどく太い、威圧するするような質である。


「男にそんな人権があると思っているのか。男は女の奴隷。それがこの街の秩序だろうが!」


 は、はぁ? 僕は愕然がくぜんとした。


 僕は何度も首を振った。違う。絶対に違う。僕が思い描く転生はこんなのじゃない! 奴隷? ふざけんな!


「うわあぁぁぁぁぁ! いやだぁぁぁ!」


 すぐさま反対方向へ逃げ出した。「追え、追え!」という声がする。無我夢中だった。「処刑」という単語が頭にこびりつく。足を絶対に止めなかった。もう周りを見れず、自分がどこへ走っているのかもわからず、ただがむしゃらに走って走って走り続けてて――。



     ・  ・  ・



「……あぁ! ああ……」


 僕は即座に体を起こして、辺りを見回した。に、逃げ切ったのか……?


 だが、ここはいつもの部屋、自室だった。また、戻ってしまったのか……。いやいや、あの女に顎で使われる世界で働かされるのは散々である。また、やり直せばいい。時計を見れば、同じ時と分を指していた。


 よし、やるぞ。今度こそ、今度こそは、絶対にちゃんとした異世界に飛ぶぞ。


 ズズッ、と鼻をすすり、手で拭いとった。


 見ると、赤い血が指に付着していた。鼻血か。どうってことない。


 もう一回!







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