第33話 主人公は二度死ぬ

 彼女はそうつぶやくと、背中から黒い翼を生やし、生命の樹の先端目掛けて飛んだのだった。

 翼がはためくたびに漆黒の羽が舞い落ち、羽はしばらく空中で揺れると、紫色のガスとなって消えていく。


「まずいのじゃ! 小僧の生命力の大半は生命の樹に流れておる! これでは全てを探知することができん!」

「なんですって!? まずいですね、今の牧村カスミが樹に触れたらおそらくロメロさんの生命力ごと消滅してしまいます! そうなればもう彼女を正気に戻す手立てがなくなってしまう!」


 アストラは顎に手を当てて思考を巡らせた。


 この間もカスミは樹の先端目掛けてぐんぐん上昇していく。この時、抜け落ちた羽から出た瘴気が、エキドナたちの足元に立ち込め始めていた。


「生命力をそのまま流し込みましょう」

「バカな! それはできんと言ったじゃろ!?」

「この世界は私の力で作り上げたものです。ならば、今から彼の体を私と同じ、神の力に耐えられるように作り替えます」

「万が一それで成功したとしても、それはあの小僧なのか!? 根本的に種類の違う生命力を注入されて、あの小僧は正気を保っていられるのか!?」

「ロメロさんを信じましょう。彼はもとより普通の人間より遥かに強靭な生命力を持っていました。それに、強靭な意思の力も」

「賭けではないか!」

「その通りです。世界を滅ぼす邪神相手では、確実な勝利などありえません。私がロメロ様の体に入り口を作ります。あなたは、その入り口にありったけの生命力を流し込んでください。さあ、いきますよ。蘇ってください! ロメロ様!」


 ロメロの遺体にむかって手を伸ばすアストラ。 


 するとロメロの体は淡い黄色の光りに包まれ、ふわりと宙に浮きあがった。


 うつぶせのまま浮きあがった彼の体は地上から三メートルほどで制止し、やがて頭を上に向けるように回転した。 

 そして彼の胸に、先ほどエキドナが生命力を奪ったときのような暗闇が現れたのだった。

 暗闇は、大の男が両手を広げるくらいまで広がり、その中には、赤や白の小さな点が灯っていた。それはまるで、夜空に瞬く星々のようである。

 横からみると円錐形になっている暗闇の先端は、ロメロの左胸から伸びていた。


「ええい! こうなったらヤケじゃ! どうにでもなれい!」


 エキドナは生命の樹に向かって箒を振りかざした。

 箒の穂先が緑色に光り、そしてその光に呼応するかのように、生命の樹も同じ緑色の光を帯びたのだった。

 樹に灯った光は、上から下へと流れていく。こぶのように膨らんだ根元は、やがて真っ白に近い色で輝きだした。


 生命力が下へと集中しだすと、樹の先端をめざして飛んでいたカスミが尖塔の近くで止まった。

 そして、無表情でアストラ達のいる地上を見下ろしたのだった。


「なんで邪魔するの? ゲボちゃんは私の下僕なんだよ? だれにも……だれにも渡さないんだから!」


 カスミはぎりりと歯ぎしりをして、生命の樹の枝葉に抱かれた鐘を掴んだ。


 彼女が掴んだ部分から、黄金色こがねいろだった鐘はどんどん黒く変色していく。完全に黒一色になった鐘からは、握り手が生えてきて、まるで大きなスピーカーのような形に変形した。


 カスミは鐘の先端に口をつけて大きく息を吸った。


「邪魔しないでえええええ!」


 鐘の中で増幅された音の衝撃波は、空気の層を押しつぶし、地上へと向かっていく。

 光さえも屈折させるほど圧縮された音の波は、地上に到達すると同時に、広間の床や壁を吹き飛ばすほどの爆発を起こしたのだった。


「ま、まずいです! 防衛魔法展か――――きゃああああ!」

「し、死ぬ、死ぬんじゃああああ! 間に合ええええ!」


 アストラとエキドナは、ともに悲鳴を上げ、爆発に巻き込まれた。爆風が襲う直前で、二人の体は黄色い透明な球体によって包まれたが、すぐに砂煙と共に吹き飛ばされてしまった。

 爆発による衝撃波は、城全体に及び古城は内側から崩壊した。


 その衝撃波は城外にまで及び、城の外で大陸産の魔物リリンたちと戦っていたリリィたちも、襲い来る砂煙と瓦礫に巻き込まれてしまったのだった。

 周囲の木々をなぎ倒した衝撃波はやがて収まり、カスミが放った火も消え、もうもうと立ちこんる灰色の砂煙だけが辺りを満たす。

 時折瓦礫が崩れる音が聞こえる以外は、静かになった。


「ゲボちゃん……どこ……」


 渦を巻いて上空へと昇っていく砂煙の中心に、カスミは立っていた。

 彼女の右隣と背後には、もともと城を形作っていた瓦礫がうずたかく積まれている。

 荒廃とした大地を裸足のまま、ドレスと髪を引きずって歩きだすカスミ。

 濡羽色の長い髪と側頭部でそれぞれ結んだ髪が、乾いた風に揺れた。


 彼女の瞳から、紅い涙があふれだし、頬を伝って地面に落ちる。

 涙は土砂の上で黒いシミとなり、すぐに紅い蒸気となって消えた。

 彼女は顔を抑え、膝を地面につけた。

 彼女が涙を流すごとに、紅い蒸気は砂煙にとってかわるように周囲に立ち込めてきたのだった。


(た、助かったのじゃ……?)


 カスミの右隣に積まれた瓦礫の下には、アストラとエキドナが身を寄せ合っていた。

 二人は微かに開いた隙間から、泣き崩れるカスミの姿を眺めていたのだった。


(まだわかりません。ロメロ様はどこにいるのかしら)

(ぎりぎりのところで、生命の樹のエネルギーを送ったんじゃ。だから、きっと……)


 二人の囁き声とカスミのすすり泣く声以外はなにも聞こえない静寂。

 周囲の景色がおどろおどろしいほどに紅い霧に包まれたころ、カスミの背後の瓦礫が音を立てて崩れ、人影が現れた。上半身が裸で、体中に傷跡を残した屈強な体つきの男。

 その男は、ゆっくりとカスミに近づき、そして彼女のすぐ後ろで立ち止まると、口を開いた。


「カスミ……ちゃん……か? これは、いったい……?」


 蘇ったロメロ・ホプキンスは、あまりにも変わり果てたカスミの姿と、まるで世界の終りのような惨状に唖然としているのか、顔を強張らせたまま硬直している。


(おおおおお! 成功したのじゃ! むぎゃん!)

(まだです。牧村カスミの暴走が収まってから出ましょう)


 瓦礫の下では、アストラが、いまにも飛び出しそうなエキドナの首根っこを掴み、押さえつけた。

 その時アストラは、妙に細いエキドナの首に違和感を感じたのだった。


(あら? あなた、見た目よりずいぶんと細い……です……え)

(なんじゃその含みのある言い方、は……。あれ? お主こそ、やけに手が大きい……)


 アストラが驚くのも無理はなかった。

 なぜならエキドナの体は、幼い子供の姿になっていたのだから。

 エキドナは自分の顔をぺたぺたと触り、最後に自分の手を見て悲鳴を上げそうになった。しかし寸でのところでアストラに口をふさがれ、悲鳴が上がることは無かったのだった。


 口をふさがれもがきながらも、エキドナは瓦礫の隙間から、カスミとロメロの様子を観察していた。


「ゲボ……ちゃん……?」

「やっぱりカスミちゃんだよな。姿が違うから少し不安に……泣いてるのか?」


 瓦礫の隙間から見えるロメロは、振り向いたカスミの瞳から零れ落ちる涙を見て、目を見開いていた。


 この時彼はこう考えていた。


 紅い霧が立ち込める大地。


 自分とカスミ以外は誰もいない。


 森の中にいたはずなのに、耳が痛いほどの静寂。


 もしかしたら、カスミちゃんを怒らせるなにかが起きて、そして世界は滅んだのか、と。

 ということは、今のカスミ姿は全力を出すための姿であり、その脅威度は通常時をはるかに超えているであろうことを、度重なる死線どころか本当に一度死んだ男、ロメロは感ずいた。


 だからこそ、鼻をすすりながら立ち上がり、そしてゆっくりと近づいてくるカスミの歩みに合わせ、彼が後づさりしてしまうのも仕方がない事なのである。


「ゲボちゃん、どうして逃げるの?」


 カスミはそんなロメロの態度が気に入らないのか、口をとがらせていた。

 その表情だけを見れば相変わらず整った顔立ちの可愛らしい仕草なのだが、ロメロはゆっくりと後ずさりし始める。

 エキドナの目から見てもそれは、あまりにも変わり果てたカスミへの恐怖であることはすぐに分かった。


「ま、まあ落ち着いてくれよカスミちゃん。とりあえずいつもの姿に戻ろう? な? 話はそれからだ」

「ゲボちゃん! 後ろ!」


 カスミに気を取られていたロメロは、自分の背後にあったものに気が付かなかった。

 彼の背中に何かがとん、と触れ、それ以上下がれない。

 彼が間抜けな顔をして上を見上げると、そこには、新たに屍体をつなぎ合わせ、先ほどよりも数倍は大きくなった死霊竜が、紅い霧の中から鎌首をもたげてロメロを見下ろしていたのだった。


「ヴフウウウウウウ……」

「お前は! うおおお!?」


 死霊竜はロメロが声を上げた瞬間、頭の付け根まで裂けた大きな口を開き、ロメロを飲み込んだのだった。


(なんですかあの竜は!? 死体でできているはずなのに、凄まじい生命力を感じます! しかしこの力、どこかで……)


 アストラが神妙な顔つきで呟き、その隣では、エキドナが自身の肩を抱いて顔を青ざめさせていた。


「あれ、ワシの魔力じゃ……。死霊使いから産まれたあの竜に引き寄せられたのかもしれん」

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魔法少女カスミナールと下僕になった不死身の剣士 @koaraboshi

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