第32話 世界の命運はあなたに託されました!
「治せないの?」
「治せん」
エキドナの返事にカスミはゆっくりと立ち上がった。
「そっかぁ」
カスミは、ただ淡々とロメロの死体を見下ろしながら、そうつぶやいたのだった。
軽すぎないかカスミちゃん! という声が聞こえてきそうだが、そんな指摘をしてくれる下僕はもう、いない。
☆
凄まじい地響きの中、エキドナ・エバーグリーンは自身の作り出した状況に少しだけ後悔していた。
死にたくないから大陸ごと死のうとするなど、本末転倒もいいところである。だがほんの数分前まで冷静さを欠いた自分ではこの選択肢以外は考えられなかったのだから仕方がない。
それにうまくすれば、自分もろとも生命の樹の養分となり、エキドナ自身は魔法を使って樹から分離できないかと考えていた。
「そっかぁ」
そんなずる賢い策略も、淡々と呟いたカスミの表情を見た時に途切れてしまった。
声色こそ無感情な響きだった。だがエキドナは、自分の中に渦巻く疑問を口にせずにはいられなかった。
「お主のような化け物にも、いっぱしに情があることにワシは驚いたぞ」
「情? どうしてそう思うの?」
「そやつはお主の仲間じゃったんじゃろ?」
「ううん。ゲボちゃんは下僕だよ。それに人間なんて、この世界にもいっぱいいるんだよ。何千人も、何万人も」
「……じゃあお主はなぜ、泣いておるのじゃ」
「……え?」
床に横たわるロメロの背中に、ぽつり、ぽつりと雫が落ちる。
それはカスミの頬を伝って流れ出た涙だった。
エキドナに指摘され、はじめて自分の目から涙が流れてることに気が付いたのか、カスミはゆっくりとした動作で手を皿のようにすると、胸の前で零れ落ちる涙を受け止めたのだった。
「なにこれ……。なんで……?」
彼女がいくら涙を拭っても、涙はいつまでも溢れ続けていた。
「ふはは、まあそう悲しまずともよいのじゃ! あと数刻もすればこの大陸は砂の大地にかわるじゃろう。この土地に住む全ての生命が一本の木となるのじゃ! あの世でその小僧と再会するがいいわ!」
「……気持ち悪い……」
「はぁ?」
「はぁ……あぁ……あああ! すごく気持ち悪いよ……。苦しくて、胸が痛い。これはなに? どうして、ゲボちゃんを見ると苦しいの? ゲボちゃんがいないと、私……」
「ふははは! 貴様も所詮は人の子ーーーー」
「黙って……。黙ってよ!」
カスミの足元から漆黒の煙があふれ出した。
ロメロの黒剣よりも遥かに暗いその闇は、カスミの体を包み込むように渦巻いていく。煙と共に紫色の稲妻が弾け、生命の樹によって崩壊が進んでいた広間の壁や床に、さらに深い亀裂が次々と刻まれていった。
「な、なんなんじゃこの魔力は!?」
煙に包まれ、カスミの姿が完全に見えなくなったと同時に、広間の片隅にうずたかく積もった瓦礫が白く光った。
瓦礫の隙間から幾筋もの閃光を放ち、やがて瓦礫を吹き飛ばして中から白いローブを来た白髪の女性が現れたのだった。
「アストラ、見参です! むむむ!? 復活早々邪悪の気配を感じますよ!」
アストラは復活早々に高貴な金色の瞳を細め、床に片膝をついていた。
以前ロメロと出会った時と変わらず、彼女は豊満な胸をローブからはだけさせ、膝をついていない右足を露わにしていた。
「な、なんじゃあお主はぁ!? 次から次へともーなんなのじゃ!?」
アストラはエキドナの苦言に反応することなく、カスミを包む漆黒の煙を見つめていた。
エキドナからすれば次から次へと妙な奴らがあらわれてもううんざりである。
「これは……。まさか牧村カスミ!? 抑えていた力を解き放つつもりですね。けれど、そのおかげで私の封印が弱まったということですか……。そこの魔女さん!」
ぱちんと鳴らして指をさしてきたアストラに、エキドナは面食らったのか、びくりと体を震わせていた。
アストラは艶のある人差し指の爪を向け、左手を腰に当ててたまま制止している。いくつかの小石が彼女の頭に落下するが、まるで意に介さない様子だ。
「やけにエネルギッシュじゃなお主……」
「このままでは世界が滅びてしまいます! どうか力をかしてください!」
「いや、ワシも今、大陸を滅ぼそうとしとるんじゃけど……」
「大陸なんて
「なんじゃそりゃ!? ちょっとまつのじゃ! お主はいったい何者で、あのカスミとか言う小娘はいったいなんなんじゃ!?」
投げかけられた問いに答えるようにアストラは胸の前で手を組んで目を細めた。
その一瞬だけは、この世界の共通貨幣に描かれた横顔のように神々しくまた美しい雰囲気を醸し出す。
崩壊が始まった古城の中においても、彼女の周囲だけが光に包まれていた。
「私の名はアストラ。この世界、アストラルの創造神。ながらく牧村カスミによって封印されていました」
「神じゃと!?」
「そうなのです。私は牧村カスミのもつマジックアイテムに封印されながら、彼女の底知れない力の理由をひそかに探っていました。それはそれは辛く苦しい戦いでした。闇の力に囚われないように、自分自身を常に叱咤しながら過ごす日々。眠ることさえ許されない暗黒の世界。その苦しい戦いのすえ、ついにそれがわかったのです! あの娘はーーーー」
アストラの話が終わる前に、カスミを包んでいた漆黒の煙が弾けた。
雪のような紫色の粒子を大気中にちりばめながら、晴れた煙の中から姿を現したのは、漆黒のドレスに身を包んだカスミだった。
髪は黒く変色し、後ろ髪が扇状に床についてしまうほど長く伸びていた。頭からは二本の角を生やしたその姿は魔法少女然としていた姿とは大きく違っていた。唯一魔法少女だった時の名残と言えば、側頭部でそれぞれ結んだツインテールのみ。それさえも今は床に広がる髪と同化して、ただ側頭部で髪を結っているだけの状態になっていた。健康的だった肌は病的に白くなり、頬にはいくつもの赤い亀裂が入っている。
彼女はゆっくりと、血のように真っ赤に染まった瞳を開いた。
その瞳に睨まれた瞬間、エキドナは自身の脳裏に漆黒の
「うおおおお!? なんじゃんこの
「くっ、遅かった! これこそが彼女の真の姿。そして真の力。【
「は、
「彼女は数多の世界を終焉へと導いた邪神。彼女の前では生と死は同じ。遠かろうと近かろうと距離が変わることなどなく、大きかろうと小さかろうと全ては同じ大きさになるのです! 死者は死ぬことができず、生者は生きることを許されない! 私たちよりもはるかに大きなこの世界は、私たちの大きさに耐え切れず崩壊します! どれほど牧村カスミから逃げたとしても、彼女は常に私たちの心臓を握りつぶせる距離にいつづける!」
「意味がわからんのじゃ!?」
「意味などわからなくて当然なのです! 彼女は全ての道理を覆す無理の化身。理論で説明できるような存在ではないのです! 重要なのは、世界の法則そのものを捻じ曲げてしまう存在だということ! 彼女がただそこにいるだけで、自転が逆回転になってもおかしくないのです!」
アストラはただじっとカスミをにらみつけた。
カスミはアストラには興味を示さず、無表情でロメロを見下ろしていた。
そして彼女は、小さく口を開いたのだった。
「アイテムナンバー108。『マジカル☆ドレス』。これはね、私を本当の姿に変えるドレスなの……。これを着ているとね、だれも私に近づけなくなっちゃうの。みんなを笑顔にさせる魔法少女になりたかったのに。お友達が欲しいだけなのに、本当は私、世界を滅ぼす邪神だったの……。ごめんねゲボちゃん。ずっと嘘ついてて。嫌われちゃうと思って、どうしても言えなかったの。でもどうしてゲボちゃんには嫌われたくないって思うのかわからないよ。それに、なんでだろう。今はまた、前みたいに、なにもかも壊したくなっちゃったよ」
小さなため息をつき、彼女は首をこてんと捻ると、あどけない笑みを浮かべたのだった。
「ねぇ、ゲボちゃん。あなたもそう思うよね★」
カスミがいい終わると同時に、エキドナの脳裏に再び星が瞬いた。漆黒の星々は激痛を伴って二人を苦しめる。
脳みそが締め付けられるような苦痛に顔をゆがめ、同時にカスミから放たれる禍々しい魔力に立っているのがやっとの状態だった。
大気中に黒い稲妻が走る。カスミの魔力で震えた大気が強い摩擦を起こしているのだ。
「ああああ! 星が、星がああああ!」
「耐えてください! 今この場で世界を救えるのはあなたしかいないのです! いいえ、正確には、あなたの中にいるあの人しか! 狂気の思考回路を持つ牧村カスミを、唯一制御していたあの人しかいないのです!」
「な、なにをいっているのかわけがわからんのじゃあああ!」
「まだあなたの中にはロメロ様の生命力が残っています! それを彼の体に返すのです!」
「無理じゃ! 生命力は本来その者に合ったものしか受け入れられぬ! 体内に残った生命力を増幅させる回復魔法とはわけが違うんじゃぞ!? ワシの中にある小僧の生命力だけを取り出すなんぞ不可能じゃ!」
「諦めないで! あなたと私の力があればきっと不可能なことなどないのです! 世界の命運は、いまや私たちにかかっているのです!」
「そんなこと言われても……」
あまりにも熱いアストラの言葉に、エキドナは自分が大陸を滅ぼそうとしていることなど言い出せず曖昧な返事をすることしかできなかった。
世界を手中に収めようとする魔王の手先であるエキドナに、まさか世界の命運が託されるとは、本人を含め誰も予想だにしなかった展開であろう。
エキドナは、痛む頭を押さえながらただただ考えていた。なぜワシは、世界を救う立場になってしまったのじゃ、と。
城の崩壊もいよいよ佳境に入った頃、エキドナの元へアストラが駆け寄ってきた。そして彼女はエキドナの手を握って微笑んだ。
有無を言わせないアストラに流され、エキドナは目を閉じて集中し始めた。
同時に生命の樹の成長が止まり、城の崩壊も一時的に止まる。
「感じる……。ゲボちゃんの命の気配」
広間の中央でカスミは頭上を見上げながら、樹の先端にむかって手を伸ばした。
「ゲボちゃん、そこにいるの?」
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