第31話 生命を枯らす樹、セフィロト

「ゲボちゃーん。はやくぅー☆」


 カスミが片手でチェーンソーを振り上げた。振り上げられたチェーンソーはけたたましい唸りを上げる。


 血を見たがる主人と、血を吸いたがる凶器が生贄が捧げられるのを待っているのだ。


 天井から差し込む太陽の光が壁を照らす神秘的な空間で、今まさに凄惨無比な宴が執り行われようとしている。


「今行くからちょっとまっててくれ。おい、自分で歩けよ」


 すでに歩くことを放棄したエキドナをずるずると引きずるような形で引っ張っていく。彼女はうつぶせになったまま微動だにせず、つま先が地面をこする。


「ーーじゃ」

「ん?」


 蚊の鳴くような声にロメロは立ち止まった。


 彼が振り向いた瞬間、エキドナが突然起き上がり、握っていた手を振り払った。


「嫌じゃ嫌じゃああああ! こうなったらなにもかも全てを滅ぼしてくれるわあああ!」


 踵を返し駆け出すエキドナ。


 そして魔法樹の脇に落ちていた箒を掴むと、穂先を上に向けて杖の先端を床についた。同時に、緑色の魔方陣が杖の先端を中心に広がっていく。


「はぁー! はあああああ! 発現せよ究極の魔法樹! 【生命の樹セフィロト】!」


 魔方陣の下から床を突き破り、大きな木がぐんぐん伸び始めた。その樹の根元には、大きなこぶがついている。強大な生命力を宿したその姿はまるで、マングローブの木のようである。


「バカな真似はやめろ! 大人しくすれば痛いだけで済む可能性があるだろ! 生きる希望を捨てるな!」

「刺すし削るし解体するよぉー☆」

「無理じゃろ!? 刺すし削るし解体するっていっとるもん! だいたいどの口がそんな綺麗ごとをほざいとるんじゃ!?」  


 その意見にはかねがね同意である、とロメロはそう思ったのだった。


 だからといって彼女の抵抗を見過ごすわけにはいかない。抵抗すればするほどその反動でカスミの攻撃も苛烈さをましてしまう。しならせればしならせるほど手を離したときの勢いを増す竹のように。抵抗するほどあとで痛い思いをするのだ。


 魔法を発動したエキドナは箒を持ち直し、穂先に手を突っ込んだ。


 もぞもぞと何かを探り、彼女が手を引き抜くと、穂先から巨大なハートの塊が現れたのだった。


「それは!」

「くっくっく、こうなればお主の生命も食らってくれる! この魔法を維持するには魔力だけでは足りないのじゃ! ワシの生命力を削ってでも小娘を、いや、この大陸を滅ぼしてくれるわ!」

「なんだと!? よせ! 大陸を滅ぼしたってお前は殺されるぞ!」

「うるっさいわ! どうせ死ぬならみんなもろともなんじゃー!」


 ロメロがエキドナへと手を伸ばしたその時、彼女は巨大なハートを握りつぶした。


 粉々に砕かれるハートから黄色の粒子が飛び出し、エキドナが大きく息を吸うと粒子は彼女の口から体内へと吸い込まれていったのだった。


「ぐ!?」


 ロメロは左胸に走る激痛に耐えかねて、膝をついた。


「なんという強靭な生命力! これなら大陸を滅ぼせるのじゃあああ!」


 顔を苦痛にゆがめ、視線の先で高らかに笑うエキドナを見た後、彼の意識はぷっつりと途切れてしまったのだった。

 力なく倒れたロメロは、ぴくりとも動くことはなかった。


「ゲボちゃん?」


 カスミの呼びかけにも、ロメロは反応しない。彼女の声は尋常ではない速度で成長を進める生命の樹の轟音に掻き消されてしまった。


 上へ横へと成長していく樹は、やがて塔の先まで到達し、鐘もろとも円錐状の屋根を突き破った。それでもまだ成長が留まることはなく、瓦礫や尖塔に取り付けられた鐘を巻き込んで成長を続けていったのだった。


 広間には、枝葉が掬いきれなかった瓦礫が次々と降ってくる。


 普通の人間では押しつぶされてしまうような石の塊にも関わらず、カスミはまるで見えていないかのように、広間を歩き、横たわるロメロの元へと向かったのだった。


 ロメロの隣に立ち、手に持っていたチェーンソーが光の粒となって消えた。


 カスミの見下ろすロメロの体には、いくつもの瓦礫や砂埃が覆いかぶさっている。


 しかし、すでに命の輝きを失った彼には、精々必要のなくなった体が押しつぶされる程度の些末な問題だった。


「ゲボちゃん、起きて? つぶされちゃうよ?」


 カスミがしゃがみこんで、ロメロの遺体に覆いかぶさった瓦礫をどかした。


 そして彼の腕をつかんで起こしたのだった。


 だがロメロは、力なくうなだれるばかりで、自力で立ち上がろうとはしない。


「ゲボちゃん。ほら立って? 一緒にお仕置きしよーよ」


 返事はない。カスミが手を離すと、糸の切れた人形のように倒れた。冷たい石の床に頭を打ちつけ、くしゃ、と虚しい音が響く。


「死んじゃったの? ねえ、ゲボちゃん? ……アイテムナンバー13! マジカル☆ホッケーマスク!」


 カスミが叫ぶと、ロメロの体の上にホッケーマスクが音もなく現れた。


「ウォオオォォ……」 

「アストラちゃん。ゲボちゃんが死んじゃったみたいなの。私だと治せないから、アストラちゃんが代わりに治してよ!」

「……デキ……ナイ……」

「どーして? アストラちゃんはこの世界の女神なんでしょ?」

「ハートガ……ナイ…………モウ……肉……塊ィィ……」


 ホッケーマスクから漏れ出る地を這うような声に、カスミはしばらくきょとんとした顔になり、徐々に顔をしかめていった。


「もう! アストラちゃんの役立たず!」

「アアアァァアアアアァァァア!」


 手の甲でホッケーマスクをはたくと、マスクはからんからんと乾いた音を響かせながら床を滑っていったのだった。


「な、なんじゃあの不気味な仮面は……。あんな耳を塞ぎたくなる悲鳴、初めて聞いたわ……」

「ねえ、君!」

「え、ワシ?」


 急にカスミに声をかけられ目を白黒させるエキドナ。若干腰が引けていた。


 だがいまだ箒をしっかりと握りしめ、魔法だけは途切れさせないようにと震える足を踏ん張っている。


「ゲボちゃんを治してよ!」


 カスミの瞳はまっすぐエキドナを見つめていた。


 悲しみも怒りもない、ただ自分の目的だけを伝える無感情な瞳。


 その瞳と視線が交わった瞬間、エキドナの表情が恐怖で引きつった。


 ついさっきロメロを殺したのはエキドナである。その彼女に臆面もなく治せというカスミ。そしてロメロの死に全く動じない彼女の姿が、エキドナにそこはかとない不快感を与えたのだった。


「無理じゃ。そやつの生命力はすでにワシが吸収した。仮に心臓が動いても、それはもうそやつではない。たんなる操り人形じゃ」

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