第30話 吊り橋効果

 いくらかカスミの強さに触れた彼女だが、いまだに逃げることなくこの場に留まり続けていることがエキドナ自身の考えの甘さをなによりも表している。


 彼女はいまだ、カスミに目を付けられて生きて帰れると思っているのである。


 ロメロはエキドナの甘い考えをすでに読み取っており、だからこそ、彼女を脅威とはみなさず、むしろ死なせないための立ち回りをせざるをえなくなっているのだ。


 開けた場所。身を隠す物もない。仮に部屋の中央やや左寄りに位置しているエキドナが全速力で出口まで走ったとしても、恐らく一秒未満で胴体を貫かれるだろう。


 ならばエキドナ自身の防衛能力にかけるしか、彼女が生きる道はないとロメロは判断した。


「さあ、いっくよー!」

「来るぞ! 構えろ!」

「ひいいい!」


 ロメロが叫んだ瞬間、カスミが右手に持ったチェーンソーを投げた。


 だがしかし彼女の投げたチェーンソーは、ロメロのとエキドナの中間あたり。エキドナの遥か右手側へと投げられたのだった。


「な、なんじゃ驚かせおって……。ノーコンじゃったか……」


 エキドナは自分とは見当違いの場所へチェーンソーが放り投げられたことに胸をなでおろした。

 だが、その時。


「バカヤロー! かがめえええ!」


 ロメロの怒声が響き渡る。彼は気づいていた。これは全て相手を油断させ、一撃で仕留めるための作戦であると。


 普段は直線的な動きで敵を蹂躙するカスミだが、彼女は決してワンパターンな戦法しか使えないわけではない。


 ロメロは思い出していた。はじめて彼女がこの世界に現れ、そしてロメロを倒したあの時。儀式の間で見せたあまりにも自然な一連の動きを。


 ロメロの言葉にエキドナ動きが一瞬止まった。 


 戦場を遠目から眺めるロメロには見えていたのだ。チェーンソーのスターターロープが通常ではありえないほど伸び、そしてその先端をカスミが握っていることに。紐は灰色の壁や床と同化し、一見すると視認することが非常に困難である。


 ありとあらゆる方法で敵を蹂躙しようとするカスミには、どのような行動も敵を抹殺する恐ろしい意図が隠されていると疑っている彼だからこそ、そのことに気がついたのだ。


 エキドナと目が合ったその瞬間、張りつめた紐によって軌道を変えるチェーンソー。横なぎに刃を振るうようにしてエキドナの胴体へと刃が向かっていく。


「お、おおおおお!?」


 エキドナは自身へと襲い来る刃を察知したのか、その場に腰を抜かすように尻もちをついた。


 彼女の三角帽子が慣性の法則に従って宙に残され、ゆっくりと降下を始めた。


 帽子がエキドナの頭に着地する前に、帽子と彼女の頭の間を、不快な音を響かせる銀色の狂刃が通過したのだった。


「エキドナあああ!」


 ロメロからは切り株になった樹木に隠れてエキドナの姿は見えない。


 思わず駆け寄るロメロ。彼がエキドナの元にたどり着いたとき、彼女の周囲を覆っていた魔法樹が、木こりに切り倒された樹木のように倒れた。


 数本の木を絡み合わせた切り株から、肩を震わせて涙を流すエキドナが這い出てきた。


「お、おおぉ……あ、頭の上を……ひゅん、って。ひゅん、って!」

「ああ、よしよし、わかってるわかってる。恐かったな。安心しろ。とりあえずお前は生きてる」


 ロメロはあまりにも怯え切った表情のエキドナに手を伸ばした。


 彼の手を弱々しく握り返したエキドナの手は、ひどく、震えていた。


「い、生きとる? ワシ、生きとる?」

「生きてる生きてる」

「もぉー! 邪魔しちゃダメだよゲボちゃん! あとあんまりべたべたしちゃダメー! ゲボちゃんは私の下僕なんだよ!?」


 しゅるる、と紐が勢いよく巻き戻り、カスミの元へとチェーンソーが戻っていった。少女の腕力では到底うけとめられないであろう、そのチェーンソーを片手で軽々とつかむカスミ。


 彼女は頬を膨らませてロメロをにらんだのだった。


「まつんだカスミちゃん! 今のはたぶん死んでた!」

「大丈夫だよぉ! ちゃんと浅めにしたもん!」

「思いっきり真っ二つコースじゃったぞ今のは。魔法樹も切り倒されとるし……」


 小刻みに肩を震わせるエキドナを尻目に、ロメロの背中を得体のしれない悪寒が走った。


 思い返せばカスミと正面から相対したのは初めて出会ったとき以来である。特訓で一度彼女の魔法を受けたことはあるがその時はあくまでも特訓という名目上、カスミからそれほど強い殺気は放たれていなかった。


 だが今の彼女からは、逃げ回る獲物に苛つく竜のような重く淀んだ気配が漏れ出している。それは単なる殺気というにはあまりにも複雑な感情が絡み合い、今にも爆発しそうな怒りさえ感じさせた。


 呼吸すら忘れてしまいそうな程の圧迫感を感じたロメロは、一度冷静さを取り戻すために深呼吸をした。


 そして妙案が浮かんだのであった。


 このままエキドナが無事でいれば間違いなくカスミの攻撃は激しさを増す。


 いまでこそ単体を攻撃する凶器チェーンソーだが、さきほどエキドナが言ったように全方位攻撃が発動されてもおかしくない事態に陥ることは容易に想像するができる。


 そうなれば自分たちはもちろんのこと、外にいるリリィやシアン。オークたちも窮地に陥るのではないと考えたのだ。


 カスミによるパーティーの全滅。いや、北の大陸の滅亡が脳裏をよぎる。


 もっとも危惧すべきことはそれである。


 だからこそロメロは、いまだ青ざめているエキドナの手をひいて立ち上がらせた。


「な、なんじゃ? へぇえええ!?」


 いまだ腰が抜けたままのエキドナは無理やり立ち上がらされ、よろめいた。


 そんな彼女を優しく抱きしめるロメロ。


 ロメロは城外に上半身の鎧を置いてきたため、彼の厚く力強い胸板にエキドナは顔をうずめる形となった。


「エキドナ……立てるか?」


 彼は慈愛に満ちた表情でエキドナを見下ろした。細めたその視線は、どこか憂いを帯びており、普段の武人然とした目つきとは違う優し気な雰囲気を漂わせていた。


 その瞳を覗き込んだエキドナの頬が、仄かにしゅに染まる。


「な、なんじゃそのきらきらした目は!? あ、ワシ、知っとるぞ! 昔、絵本で読んだことあるぞ! 敵同士なのに、こ、恋仲になって駆け落ちするやつじゃ……。ま、まさかお主、さっきまで助けてくれていたのは、ワ、ワシと、その……逃げるつもりだから、なのかの……? と、遠くへ……」


 エキドナはロメロの腕の中でもじもじと身をよじっている。ロメロは彼女の頓珍漢な言葉に、柔らかく微笑み返したのだった。


 エキドナはその表情をみてさらに顔を赤らめると、ん……まあ顔はアリじゃな、と呟き、人差し指をロメロの鎖骨辺りに押し付けて、いじらしくも上目遣いで彼を見上げた。これから共に逃げ出して、長くない余生を共に歩む妄想をしながら。


 無論ロメロにはそのような考えはない。


 彼の目的、それは。


「大人しくお仕置きされよう。下手に逃げると被害が拡大する。この大陸の存亡にかかわる事態だ。俺は不死の呪いを解くことを諦める。だからお前も諦めろ」


 そういって自身の体に押し付けられた手を握り、エキドナの手を引いてカスミの元へと向かおうとしたのだった。


「はあああ!? ふっざけるなよお主! ここはワシを連れて巨悪・・から逃げるところじゃろ!? 人里離れた山小屋でひっそりと身を寄せ合って生きていく展開じゃろおおお!」


 エキドナはしっかりと足を踏ん張りロメロの歩みを止めた。


 彼女の乙女的思考回路ジュリエットがんぼうが理解できないロメロにとっては、彼女が錯乱状態に陥り狂言を繰り返しているようにしか見えなかった。


 事実、その考えは正しいと言えるだろう。


 無理やり引っ張るのをやめて、ロメロは再びエキドナに振り向いた。


 いまにも零れ落ちそうな程瞳いっぱいに涙を溜めたエキドナは、恨めしそうに見つめ返してくる。大人の女性らしい凛々しい顔立ちだったはずが、眉を八の字に下げたその表情は彼女の内面に潜む幼さを滲ませていた。


 ロメロの背後からは、いまかいまかと唸りを上げるチェーンソーのエンジン音が響いている。


「お前は……いったいなにを言っているんだ?」


 あまりにも冷え切った視線を彼は向けた。


 それはエキドナを案ずる瞳ではなく、売られていく子羊を見送る視線だった。


 エキドナの瞳から光が消え失せ、そして踏ん張っていた足から力が抜けていったのだった。


「だいたい巨悪はお前らだろうが。魔王の手先め」


 吐き捨てるように呟いたロメロは再び歩き出した。


 生贄の羊を、血に飢えた悪魔に捧げるために。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る